「プレミアムシート」 5 (シズイザ)

 

「あっ…う…ぐっ!」

 熱。
 膨大な熱。
 それが臨也を翻弄する。

 静雄が初めてだとか、臨也が経験者だという理屈は何のハンデにもならなかった。
 口を大きく開いて貪り合い、喰われると身がすくむ程、うなじをきつく吸われ、全身を咬まれ、鷲?みにする勢いで肌をまさぐられる。
 服などズタズタに裂け、もう絡み付いているだけだ。
 僅かでも腰が引けたり、逃げようものなら叩きつけるように引き戻される。
 優しさも気遣いのかけらもない。
 激しい息遣いと息苦しさと一方的な欲望、そして、それでも追いつけない激情があるだけ。
 かつて、臨也を蹂躙した者どもと静雄では、圧倒的に比べ物にならない。下卑た欲はそこにはない。

「あう…あ、は…あ!」

 海鳴りに似た力の奔流が彼をさらう。
 もっと、もっと来てよ。おいでよ。足りないんだ。
 痛い。痛い。苦しい。
 でも、肉体の苦痛など物の数ではない。

(君が欲しいよ、シズちゃん)
 心の苦痛に比べれば。
「あっ! あ、くぅっ!」

 まだ触れられてもいないのに、既にぬるぬるして湿ったそれをギュッと握られた。
 形を味わうように幾度も擦られて、臨也の顎が上がる。

「やらしいな、手前…。こんなにしやがってよ。クソったれの変態野郎が」
「そんなに鼻息荒くして、歓んでんのは…誰さ」
 ニヤリと笑って反論すると、キツイお仕置きが飛んでくる。

「んあっ! 痛っ!」
「この状況でまだ余裕かましやがって。ムカつくよなぁ、手前はホントにっ!」
こっちはギリギリだってのに、静雄はそんな風に見えるらしい。ああ、いつも自分勝手だよね、シズちゃん。

「うぐっ! ふ、ひぐっ!」
 臨也が苦痛で顔を歪ませるたび、静雄の目がギラつく。狂喜に染まる。

(ああ、その目)

 自分もきっと今同じ目をしてるんだろう。二人で殺し愛に身を投じる時と同じあの胸の高鳴り。
「うあ…っ! あ…っ」
 初心者らしい欲望と焦りにまみれた捻じ込み方に、さすがに恐怖を覚える。何せ静雄の力だ。律動すれば、腸など簡単に裂けてしまうかも知れない。
 殺される。身体が裂ける戦慄に震える。

 臨也は思わず静雄の背に手を回し、爪を立てる。意識が闇に逃げ込んで楽になりたがるのを必死でこらえた。
 どんな激痛だろうと、ここで失神する訳にはいかない。
 静雄の身体から汗が飛び散るたび、火花のようにチリチリと臨也の皮膚を焦がす。乱れる金髪を綺麗だと思う。
 静雄の青白い怒り。殺意すれすれの暴力。それを味わい尽くしたい。飲み干したい。
 それの為に、その為だけにこんな状況を作った。


 高校の時、パルクールでいつも軽がると逃げ延びた。高みから静雄をからかい、嘲るのが常だった。
 だが、ある日突如静雄は怒りに任せ、ただ腕力だけでがむしゃらに追ってきた。瞬く間に爪が届く距離まで猛迫してくる。
 反射的に静雄の視界をナイフで払い、一時的に距離を取ったが、命が縮むというのはあれを言うのか。

 街角で出会えば、ポストや自販機が容赦なく飛んできた。
 標識を紙一重でかわし、殺意と狂気と暴力だけに染まった静雄と命のやり取りをするあの瞬間。

 自分だけしか目に入らない静雄のまなざし。
 あの金色の狼のような笑みと咆哮。


 それに臨也はどうしようもなく魅せられていた。
 自分がどうにも下種な事は解っている。
 人に最低な事をしておいて、尚かつ愛されるべきだ、気にかけて、用心して、常に自分の事を考えて欲しいと望んでいる。
 でも、現実に自分と関わった者達は臨也を嫌い、疎んじつつも、完全否定する事はない。姿を見た瞬間、石を投げる事もなじる事もない。
 理性だのしがらみだの世間体だの、結局は自己保存の法則に乗っ取って、言い訳を揃えて臨也を受け入れてしまう。

 黄巾賊とダラーズの全面戦争は終結したが、高校中退して身元保証の曖昧な正臣は沙樹と暮らす為に、臨也からの仕事を請け負う道を選んだ。
 ダラーズの創始者へのプレゼントの準備はまだ仕上がってないが、帝人も臨也に何をされたを気づいても、結局はそういう選択をするだろう。
 世間と、何より自分自身と折り合う為に。
 まぁ、臨也が保身も兼ねてそう仕向けているのだが。
 臨也は背中を押すだけなのだから。
 選んだのは押された者で、踏み止まらなかった事で責められる筋合いはない。


 静雄だけだ。
 臨也の本質から目をそらさないのは。
 あらゆる倫理を飛び越えて、臨也を真正面から怒って、否定してくるのは。
 静雄には幽しかいないだろうが、臨也には静雄しかいない。
 だから、幽を利用してでも奪い取る。


 臨也は人を人として愛せない。
 どんなに人を愛しても、それは人種として高みから愛してるだけであって、決してその中に踏み込めないし、踏み込む気もない。同じ人間でありながら。
 臨也は自分が歪みそのものだと知っている。


 だから、思う。願う。試したくて、我慢できない。
 あの死のパルクール。
 あの生死の境を争う二人だけのあの瞬間。
 その時、静雄に捕まってしまったらどうなるだろう。
 あの逆巻く熱をまともに食らったらどうなるだろう。
 きっと死ぬ。静雄は一瞬だって、あの標識を止める気はない。
 それだけの事を臨也はしてるからだ。


 だからこそ味わってみたい。
 殺されたい。

 でも、死にたくはない。
 一度味わったら、何度でも病み付きになるから。

 シズちゃんが欲しい。何度だって欲しい。満たされたい。
 自分の意にならない男。殺したくて消したくて、ひどい目に会えばいいと願ってやまない男。
 自分を絶対に愛さない男と愛が何か理解しない男同士で何も生まれなくていい。それが道理。
 だから、抱き合いたい。

 (シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん)

 静雄から注ぎ込まれる、叩きつけられる、ねじ込まれる熱が痛い。中が灼ける。静雄の形も脈打ってるのもはっきり解る。
 ああ、でも何て心地いい。
 気持ちいい。
 たまらない。
 ゾクソクする。
 このまま死んだっていい。
 二人で果ての果てまで行こうよ。
 殺して、殺してよ、シズちゃん。
 目茶目茶に俺を壊してよ。
 今だけ。今だけだから。


 スクリーンであんあん言ってるあんな馬鹿げた薄っぺらい「体当たりの演技」なんか全然本物じゃない。
 本物のセックスなんかじゃない。

「い…ざやっ!」

 シズちゃんが喘いでる。苦しそうに、辛そうに、たまらなく興奮して絶頂を感じてる。
 そして、俺も。
 昇りつめる。行くところまで行く。優しげな抱擁では絶対得られない、本当の昂ぶり。

「あ…あーっ!」

 ああ、これこそが本物だ。
 体液を撒き散らし、果ててもまだ許してはもらえない。
 シズちゃんの怒りが収まるまで、何度でも引きずり上げられる。
 床に蹴落とされ、またのしかかられる。
 気持ちいい。やっと抱き合えた。


 求め合う事は別に肯定的なものばかりではない。殺し合うのも憎み合うのも相手がいてこそだ。
 これが本当の恋でなくたって、誰が否定できる。
 そこに好意も愛もないけれど。

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