「雨に濡れても」

 

 

「うえ〜、やっぱ降ってきた!」
 エドワードは空を見上げた。道行く人々が傘を広げる中、飛ぶように駆け抜ける。だが、雨足は意外に強く、宿までは遠い。仕方なく緑のひさしがある店の軒下に逃げ込んだ。
「あーあ、やっぱり傘持ってくんだったかな」
 エドは忌々しげに空を睨んだ。アルから出がけに傘を持って行けと口を酸っぱくして言われたのだが『面 倒臭ぇ』だの『大丈夫』だの、なおざりの返事をして飛び出してきてしまった。 
 血印は湿気に敏感だ。
 機械鎧の付け根の痛み、雲の匂いで雨の到来を知るエドワードも、アルの予報には及ばない。
 ほんの短時間のつもりで軍部に行ったのだが、興味深い資料を見つけたり、立ち話をしてしまったりして、結局、予想の時間をオーバーしてしまった。
 しかも、この雨は通り雨でなく、本降りになる気配濃厚だ。アルが気をきかせて迎えに来てくれればいいが、軍部から宿まで道は幾通 りもある。擦れ違う可能性もあった。それにさんざん要らないといった手前、ちょっと怒っているかも知れない。
 だが、雨の夕方は暗くなるのが早い。周囲の店も次々と灯をともし始めていた。早々に宿に戻らないと真っ暗になってしまう。
(しゃーねぇ。適当な所で走るか)
 エドが雨足の強さを確認しようと身を乗り出した時、
「こんな所で何をやってるんだ、鋼の」
 呆れたような声が響いた。
「何だ、びっくりした!」
 エドは目をパチクリさせる。ロイが大きな黒い傘を持って立っていた。私服だ。茶色のジャケットに白いシャツ。軍服を脱ぐと意外な程、普通 の街の青年に見える。当たり前の事なのに、少し焦った。
「……あんた、かっこつけてたんだな」
「何の話だ」
「いや、こっちの事。それよか、何であんた、一人で歩いてんの?」
「私が住んでいる街を私が歩いてると、おかしいのか」
「いや、だってさ、今日は無能の日だろ。危ないじゃん」
 ロイは溜息をついた。
「焔だけが私の武器じゃない。護身用の銃位は携帯している。それに通勤程度に大佐クラスが常に護衛をつけていると思っているのかね、鋼の。
 護衛はイヤだ、勘弁しろと散々愚痴っていた報告書が、ロス少尉からも上がってきている。私の気持ちも解るんじゃないかな」
「あんたはいちいち論理臭いんだよ。にしても、今日は早いじゃん。またさぼりか?」
「生憎、今日は夜勤明けだ。ソファもいいが、たまにはゆっくり寝たいからな」
「へぇ、あんたでもちゃんと働いてるんだ」
 エドは肩をすくめた。しかし、片手に傘、片手に夕飯らしい買い物袋を抱えた姿は余りにありきたりな独身男性の帰宅風景で、少しも軍人の匂いがしない。
 それがエドには意外だった。彼が知るロイという男は皮肉屋で底意地が悪く、自信過剰で、少し繊細で、何処か抜けた所もあるが、いざとなれば面 変わりする程冷酷な軍人でしかなかった。
 こんな男は知らなかった。
 想像もしなかった。
『早く出ていけ、ここは大人達の庭だ』
 と、彼に言い放った冷たい目を持つ男では全くない。やらぬとなれば、汚辱をかぶろうが責任を取る、底冷えのするような気概を秘めた男の影はなかった。
 びしょ濡れの少年を面白そうに眺めている、そこいらの男だ。
 エドは動揺した。知らないという事が理由もなく困った。何故、ロイが彼の作り上げた枠からはみ出すと悪いのか、エド自身にも解らない。
 ただ、無闇に反則なんじゃないかと思った。  こんな姿を無防備に見せるのはルール違反だ。ロイはあくまでエドにとって、上司で大人で軍人で、いけすかないスケベ野郎だ。
 こんな普通の人じゃない。
 自分の隣の普通の人間であっていい訳がない。何処までも届かない人間でいるべきだ。共通 するのは、二人とも解決できない闇を抱えてる事だけ。似た者同士であるという事だけ。
 そんな事だけの筈なのに。
「何してるんだ」
 ロイは再び呆れたように言った。
「何が?」
「入っていけ、送ってやる。どうせ途中だ」
「え、でも…」
「弟と待ち合わせか?」
「いや、そうじゃないけど」
「遠慮するな。君の背丈なら充分余裕がある」
「俺を豆粒だって言いたいのかよっ!」
「その方がこの場合、助かるな」
 ロイは誘うというより、犬に来いというような仕草で傘をぐいと振った。何となくぶっきらぼうで、いつもの甘ったるさがなくて、それも普通 の男のように見える。
 何故かそれが好ましくて、反抗心も抱かずに傘の中に入った。
「ああ、よく降るな」
 傘の下に入ると、雨が叩く音が大きく聞こえる。並んで歩くとやはり身長差を強く感じた。アルの時だと、そんなに激しく感じないのに不思議だった。
(ああ、そうか。アルは俺と話す時、少しかがむんだっけ)
 まるで兄の言葉を聞き漏らすまいと、兄と少しでも近づきたいというように。
 だが、大佐はそんな事はしない。すれば、エドは却って怒るだろう。一人前に扱ってほしい。そう激しく思う。
 だが、こうしてロイと漠然と歩いていると、変な感じだ。子供と大人。身長でなく、精神的にそれが強く感じられる。
 軍服を脱いで、より一層強くその事を感じた。
「なぁ」
 それをふりほどきたくて、沈黙が、間がイヤで、エドは話題を探した。
「あんた、焔の錬金術師だろ。だったら、雨、嫌いなんだろ」
「ん?いや」
「だってさ」
「そんなに私の弱点をつつき回したいのかね?確かに雨は苦手だが、全く錬成できないという訳じゃない。湿気も瞬時に消滅する火力にすればいい。湿気る前ならマッチもつくぞ、鋼の。
 だが、街中で起こす規模ではない。街ごと消す炎だ。雨の日は火など起こさない方が、お互いの安全の為なのさ。人間と兵器のね」
「いや、そうじゃねぇ」
 エドは首を振った。今はロイをからかう気は毛頭なかった。
「ただ、気分さ。俺は雨が嫌いなんだ。うっとうしいし、関節は痛むしさ」
「気分か。私はそうだな、雨は好きだよ。
 昔から雨は好きだった。子供の頃はわざと水たまりを蹴散らしたり、長靴を突っ込んだりしたし、学生時代も雨の日は人の声もざわめきも全部吸い込んで、学校も街も静かになるのが好きだった。
 戦争の時も、雨は私に休息を与えてくれた。後半はそうもいかなかったがね。
 雨に包まれていると、何となく守ってもらっているような気がする。
 水に。
 最初、我々が母胎の中で浮かんでいた所に。
 私は焔だから、余計水に惹かれるのかも知れないな」
 ロイはエドの顔を見て、クスと笑った。
「おかしいかね、私がこんな事を言うのは」
「………ち、ちげーよ。ただ俺はそんな事、考えた事もなかったからさ。
 雨は重くって、服がへばりついて、うっとおしくて、ただ、そんなもんばっかりだからでさ。
 守ってもらうなんて、そんな事考えてもみなかった」
「ただ、気分といっただろう、君が。私は思う通りに言っただけだよ」
「………ああ」
 エドは口ごもった。確かに言った。単純に。ただ沈黙が降りるのがイヤで。
(反則だ)
 エドは困惑しきっていた。こんなロイを知るのが、こんなロイの言葉を聞くのが、ひどく動揺した。嫌ではない。ただ胸が掻き回される。
(俺はこの男の事を何も知らない)
 もう5年に近いつき合いになろうとしているのに。
(知りたい)
 やっと腑に落ちた気持ちにエドは目をしばたたいた。
(何を、俺は何を考えてるんだ)
 知りたいのは賢者の石の事。元に戻る方法。それ以外目を向ける暇もなく、それ以外関心もない。
 その筈なのに。
「ほら、弟君が心配してるぞ」
 ロイの声にエドはビクッと顔を上げた。傘を持ったアルフォンスが彼らの前に立ち尽くしている。
 エドは何故か動転した。
 どうしようもない罪悪感を弟に感じた。
 別にやましい事なんて、何も考えてない筈なのに。
「……ああ、ありがとよ」
 エドは自分にさしかけられるアルの傘の元へ小走りに走った。何となく顔を上げられないまま。
「じゃな、鋼の」
 ロイは何の未練げもなく、あっさりと脇を通り過ぎていく。エドは胸が掻きむしられるような思いでその背を見送った。何一つ言葉が見つからないまま。
 自分の心に戦きながら。
「よかった、兄さん。うまく出会えて。軍部に行ったけど、擦れ違ったみたいで心配してたんだ。
 大佐に送ってもらったの? よかったね」
「よかねぇよ、ちっともよかない!」
 エドは怒ったように呟いた。不意にアルの側にいるのが辛くて、雨の中に飛び出す。
「兄さん、どうしたの!? 濡れちゃうよ!」
 アルフォンスが叫んでいるが、エドは構わず走った。
(雨なんか嫌いだ)
 エドは思った。
(雨なんか降らなければよかったのに)  
  自分の心を覗かなくて済んだのに。

エンド

 

日記の一発書き。
ウェブ拍手「体温」の続編。
変態ロイもいいですが、どっちかつーと、こういうロイの方が好きです。

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