「朝はまた来る」 (ヒューズバージョン)

 

 どうやら俺は死んだらしい。


 犯人の野郎、楽にとどめを刺してくれなくて、文字通りなぶり殺しにされた。深夜とはいえ、街中だってのに、何発も打ち込むなんてプロの手並みじゃねぇなあ。まぁ、頸動脈切っても蘇り、ロス少尉や女房に簡単に化けるような奴だから、人に見られる事も逃げる事も大した問題じゃないんだろう。
 けど、こんな奴が軍に巣くってるなんて最悪だ。俺が予想したより状況は遙かに悪い。第五研究所でエルリック兄弟が生き残れたのは、全く運が良かったんだ。
 ロイに事実を電話で伝え損なったのが、今となっては悔やまれる。危険すぎるネタなだけに、もっと事実関係を掴んでからと思ったのがアダとなった。ロイは軍人とはいえ、錬金術師だ。事実を究明せねばいられない質だから、こんな事をほのめかせば俺以上に立ち回りかねない。だが、第五研究所に関わる者はスカーによってだけでなく、何者かにマルコー以外全員消されてる。俺はその厄災がロイに及びかねない事を恐れたんだ。
 だが、俺がこんな死に方をした以上、ロイは真相を知らずにいられないだろう。最悪だ。どうにかしてロイに伝える方法はないものか。資料はどうなっちまったろう。大総統の秘書。指が針状に伸びる女。何が軍部にいるのか知らないが、もう処分されちまったと思った方がいいかも知れない。
 俺はグレイシアとエリシアの無事を確認し、永遠の別れをたっぷり惜しんでから、東部に飛んだ。死んじゃったら何も出来ないが、移動だけは楽だね。
 しかし、考えたらロイは夜汽車で移動中なんだよな。幽霊だって移動は万能じゃない。知ってる所しか行けないんだ。参った。時刻表を見れば、ロイが乗った列車は解るが、だからハイとその列車に移動できる訳じゃない。
(全く、こういう時だけ勘が働きやがって)
 普段だらだら仕事してる癖にと腹を立てても仕方がない。とにかく何処かでロイを捕まえないと。
 とはいえ、イシュヴァールに繋がる南部ならともかく、セントラルへ向かう北部方面 は俺の担当区外だ。通過するだけで殆ど縁がない。地名は知っていても、行った所でないと俺は『飛べない』んだ。
(えっと、セザン駅か。列車の待ち合わせで降りた事があったっけ)
 俺は地図で確認した。ロイの乗った列車を先んじれば充分間に合う。
 俺は次の瞬間、セザン駅の構内にいた。とっくに終電車は終わっていて人っ子一人いない。真夜中の駅は淋しいもんだ。いつもは騒がしい場所だけに静まり返った暗闇は音をみんな吸い込んでしまう。
 駅はいつも霊で一杯だ。行き交う人間達に置いてきぼりにされた連中の吹き溜まりになっている。逝き損なった浮遊霊が待合室の隅で来ない列車を永遠に待ち続けている。コンコースの天井にいる自縛霊が言葉にならぬ 恨み言を吐き続けている。どの霊も新顔の顔なんて興味ない。自分の世界に引きこもって、止まった時間に縛られている。
(虚しいねぇ、幽霊ってさ)
 煙草を吸いたかったが、そんなものは当然持ってないし、仮にあっても吸う事もできない。俺の人間としてやれる事は終わってしまってるんだ。
 俺はポツンとホームに立った。肌寒いのは死ぬ瞬間の感覚が残っているからか。身体から流れ出る血が石畳の上で冷たくなっていくの指先で感じていたからか。
 霊になってまで、列車を待っているなんて変な気分だ。目的の列車があるだけ他の霊よりはマシなんだけど、侘びしいね、どうも。風に飛ばされた枯葉や紙屑が自分を通 り抜けて、闇の中に消えていく。俺はもう身体がないんだと思う。俺を擦り抜けた瞬間のからからとした枯葉の音がいつまでも耳に残っている。俺はその音を追っている。
 寒いなぁ。寒いよ、ロイ。
 その時、汽笛が聞こえた。列車のヘッドライトが近づいてくる。線路の振動音。やれやれと俺は溜息をつく。助かった。このままだと、堂々巡りの思いに沈むところだった。幽霊は淋しいね。考える事しか出来ないんだから。考えがマイナスの方向に行くのも解るよ。悪霊になるしか道がないのもさ。
 列車がホームに入ってきた。
(あ、ロイだ)
 俺はつい片手を上げた。動体視力は昔からいい方だが、入ってくる列車に座っているロイの姿が見えるなんて異常だ。やっぱり霊は普通 の人間と違って眼球で見てる訳じゃないから、視野の範囲や視力が違うんだろう。
 が、列車は無情にも停止することなく、ガタンガタンと轟音を立てて通り過ぎた。俺が合図してんのに、ロイはチラともこっちを向きやがらない。俺は茫然と列車を見送った。
「何ーっ!?」
 冗談じゃない。よりにもよって、特急か?!夜行か?!ロイの奴、何ちゅうもんに乗りやがる!
「うおーーーーっ!!」
 俺は全速力で列車を追いかけた。幽霊っていいねぇ。疲れなくて、列車に追いつける程早く走れて。
 何とかロイの乗ってる客車まで追いつき、声を限りに叫んだが、野郎、弁当喰いながら、茶を飲んでやがる。腹立つぜ。人が必死に呼んでるってのに。
 まぁ、どんなに走っても風圧に煽られて列車に巻き込まるなんて心配はないし、電信柱に激突する事もないけどさ。柱が自分の中擦り抜けていくのって、感覚ないけど気持ち悪いね。やっぱりぶつかんじゃないかってビビるし。
(あ、そっか。飛び乗りゃいいんだ)
 10キロ程走ってようやく気づいた。俺は列車に飛び込む。疲労感はないが妙に疲れた。幽霊になるって初体験だから仕方ないがよ。
 俺はロイを見下ろした。ホークアイ中尉と向かい合わせに座っている。会話などない。難しい顔をして、闇夜を眺めている。
 妙に切なくなった。こいつはまだ俺が死んだ事を知らないんだ。セントラルに着いたら、使者が多分待っている。その瞬間のロイの顔を見たくなかった。
 ロイは軍部に俺以外対等な友人はいない。冗談の言える、心を打ち明けられる人間はいない。理解者や協力者や忠実な部下はいても、親友は俺だけだ。部下を私人に出来る程、ロイの選んだ道は易くないし、そう器用でもない。部下はあくまで部下だ。
(俺と一緒の時だって、いっつもギリギリだったもんなぁ、お前は)
 だから、幸せになって欲しかった。戦争の悪夢から一時期でも忘れられる場所を作って欲しかった。軍人でない、ロイ=マスタングというただの男でいられる場所を、『家族』を持ってもらいたかった。
 でも、ロイはそれを無視し続けた。ギリギリに立ってないと怖かったんだろうな。気を抜く事が恐ろしかったんだろうな。あの内乱は俺達の心を未だに蝕んでいる。戦争だったかも知れないが、だから虐殺せねば終わらないなんて理屈はない。誰かが最初から和平なんて言葉を用意してなかった。俺達は否応なくそれに参加させられた。手を汚した。
 軍人は自分に下された命令を疑ってはいけない。行動する駒に徹しないといけない。そうでないと精神的に崩壊する。軍人の道を選んだ以上、それは犯すべからざる基本姿勢だ。 例え、誰かを殺す為でなく、護る為に軍人になったとしてもだ。
 しかし。
 しかし、あの内乱は間違っていた。国家錬金術師を投入し、国そのものを消去するなんて、何処にも正当性はありはしない。何処かで止めるべきだった。戦争に正義なんぞないが、それでもあの内乱は最初から仕組まれた匂いがする。
 でも、俺達はそれを追求し、止める術を持たなかった。俺達は誰かの手足、虐殺用の銃でしかなかった。
 そして、恐ろしいのは、これが始まりじゃないかも知れないって事だ。第二、第三のイシュヴァールが生まれても仕方がないという事だ。
 この道を歩む限り、それを避けられないなら、それを避けられる力を得るしかない。ロイが大総統の地位 を目指しているのはそういう事情だ。
 だが、俺は内乱の真の裏に気づいた。俺が戦争の間、ずっと燻っていた疑問。何故、軍はこんなにまでイシュヴァールに執着するのか、この地に血を流さなければならなかったか。それらが賢者の石を通 して、フッと見えた。あの第五研究所に残された錬成陣。エドが俺に教えてくれたそれが全てのパズルを解き明かしてくれた。
 賢者の石は複数の人間を犠牲にして出来る。しかし、第五研究所の物はあくまで不完全なものでしかなかった。あれほど、人間を犠牲にしたにも関わらず。そうだ、あれは試験的なものでしかなかった。
 もし、本気で創ろうと思ったら。
 そして、錬成陣の規模はあんなものでは足りないとしたら。
 必要な血の量が俺達の想像を上回るとしたら。
 そして、人柱。ただの人間では賢者の石を構築するのに不十分だとしたら。
 俺はそれを意味する事実に戦慄している。こんな事を普通の人間がなしえる訳がない。あの奇妙な「人であらざるもの」が暗躍せねば創れぬ もの。
 ロイはその危険性を知らぬまま、俺の死の究明から、その事に首を突っ込む事になる。
「ロイ」
 俺はロイを呼んだ。聞いてくれ。俺の話を聞いてくれ。俺の事なんか忘れてくれ。葬式でいくら泣いてくれたっていい。悲しんでくれてもいい。
 だけど、俺の事なんか忘れてくれ。犯人を捜さないでくれ。今は駄目だ。とても無理だ。大総統の秘書はまともじゃない。この件自体まともじゃない。軍は、大総統は、俺達の手に負えるもんじゃない。
 俺は手を伸ばした。ロイの肩を揺すぶりたかった。俺の顔を見て欲しかった。俺の声を聞いて欲しかった。
 でも、触れられない。
 何もかも擦り抜ける。ロイのぬくもりも、吐息も、髪の手触りも何も感じない。
 俺は終わった。
 俺は終わってる。
 俺には見てる事しかできない。俺が騒いでも、中尉も他の乗客も誰も俺に気づかない。紙があってもペンを持ち上げる事も出来ない。俺の声を聞き取れる程、霊感のある人間は簡単に見つからない。どんなに必死でここに来ても、側にいても俺に出来る事は何もないんだ。虚無が俺を蝕みそうになる。
「…………大佐」
 ホークアイ中尉がロイに呼びかけた。
「少しお休みになったらどうですか?」
「……ああ」
 ロイは頷いた。だが、目を閉じる訳でもない。闇をただ見続けている。ロイが何を考えてるか、俺に解ればいいのに。ロイの夢の中に出られたらいいのに。
「私が起きていますから」
 ほんの少し悲しげな笑みを浮かべて、中尉が呟いた。
「ああ、もう少ししたら、な」
 ロイは初めて中尉を見て顔をやわらげた。
(ロイ)
 俺はそのやりとりを見ながら、少し淋しく笑った。あの内乱でホークアイ中尉も俺達と行動を共にしてきたんだ。あの死のやりとりの中で、俺達は戦争のはらわたがどんな匂いか知った。洗ったから、その匂いが落ちるものではない事も知った。だから、俺だけでなく、彼女もロイを支えていこうと望んだのだ。俺は情報部から。彼女は副官として。
 彼女はロイを暖めてくれる。その存在そのもので。
 そうだ。あの内乱で俺達はとっくに巻き込まれていた。真相がどうあろうと、ロイが大総統を目指す限り、この試練は避けては通 れぬ道なんだ。
 俺がいなくても彼女がいる。ロイは一人じゃない。
 ロイは闇を見続けているけど、いつか夜は明けるんだ。それがどうしようもない硝煙の中、屍の中だったとしても、夜は明ける。戦場で朝はいつも救いだった。それがどんな朝でも、朝は救いだった。生き延びた。生き返った。そんな思いで昇る日を見た。
 今の俺に出来ることはもうない。俺は朝を迎えられなかった。
 でも、とりあえずしばらく俺はロイの側にいよう。例え、今の俺には何の術もなくても、いつか方法は見つかるかも知れない。俺は幽霊の初心者だ。空間も時間ももう俺を制約するものは何もない。だからこそ、ロイの側に来れた。じめじめ考えるのは俺の性分じゃない。
 今、この瞬間、何も出来なくてもいずれチャンスはある。方向は指し示せる。多分いずれ何らかの形で。
 とりあえず、シェスカは俺がどんな資料を調べているか知っていた。彼女は絶対に読んだ物を忘れない。彼女を通 じて、ロイに伝えられるか方策を練るか。
 ああ、そうだ。アルフォンス=エルリック。あの魂だけの少年なら俺の事も見たり、聞こえたりするんじゃないか? 霊が見えるとか一度も聞いた事はないが、そういう事は人には余り言わないもんな。試してみる価値はある。朝になったら、ちょっと追っかけてみるか。
「ロイ」
 俺はもう一度親友を呼んだ。声が聞こえなくてもいいよ。俺を見てくれなくてもいいよ。
 俺はお前と一緒に朝を見続けるよ。あの戦場での毎日のように。
 だから、その闇の奥に朝が待ってる事を忘れないでくれ。

エンド

 

初のヒューロイ。某ヒューロイ追悼祭に差し上げたもの。

 

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