クロスは旅立ちの際、待たされるのが大嫌いだ。
 アレンは身の回りの物をトランクに詰め込み、ロザンヌとティムを馬車に放り込むと、御者と悪戦苦闘して荷物を荷物置きにくくりつけた。馬車を覗くと既にクロスは座席でふんぞり返っている。アレンは溜息をついて乗り込んだ。
 女主人は見送りに出てこない。出立のご挨拶は彼女の本当の『ご主人様』のみに限られている。

(変わった人だったな〜)

 アレンは窓から遠ざかる屋敷を見送った。彼らがいたサンルームは遠くなるにつれて、巨大な鳥かごのように見える。それは彼女が住むの
にふさわしいように思えた。

「もっと名残を惜しんでこなくてよかったんですか、師匠?」
 アレンは窓枠に肘をついたままクロスを見やった。
「皮肉を言うな。あれでいいんだ。あいつは泣きやしない。多分、もう別の事を考えているだろう。何しろ鳥頭だからな。3分前の事は忘れてしまうんだ」
「あの人は頭が悪いなんてないですよ」
 アレンは呟いた。彼女の一言一言がまだ胸にくすぶっている。

『彼にふさわしいのは、彼の行く果てを見てられる人よ』

 自分は本当にそうなのだろうか。クロスは理由もなく人を側に寄せ付けるような人間ではない。イノセンスを持った子供だから、というだけで内弟子にしてくれたとは、アレンも単純に考えないようになっている。教団に連れて行かずに、三年も手元に置いた理由。
 別に何かあるのだ。ずっとずっと感じていた。それが理由なのだろうか。
 未だマナが指し示す行く果ても自分には見えぬというのに。

「頭が悪いなんて言ってない。そんな女とはつき合わないからな。
 
あいつは忘れてしまうのさ。自分が傷つかない為に。甘い物だけ残して、それに埋もれて、あの籠の中で歌ってるのさ、自分のためだけの歌を」
「そうですね」
 アレンは頷いた。ならば、自分との会話も、もう忘れてしまっているのだろうか。それが少し惜しい気がした。彼女の言葉と視線は鋭かったから。

(師匠)

 アレンはクロスを見つめた。今回は駄目でも、次は連れて行ってもらえるのだろうか。エクソシストになったら、一人前になったら、その時は師匠でなく、ほんの少し名前を呼んでも許されるだろうか。
 でも、それは少し難しい気がした。もっともっと先の話。アレンに果ての予感がつく、やっとその頃の夢。何しろ、アレンをまだ本気で見てくれるような気がしないのだし。

『彼が本気になった時が怖いわ。あなたも殺されるかもよ』

 そうなのだろうか。そうかも知れない。夜の時、師匠に喰われると思った時は何度もある。師匠は獣だから。恋が人を獣に変えてしまうのは、師匠に会う前から知っている。アレンは左目にそっと触れた。思い出すと苦しくなる、あの日々。


「何を考えてる、馬鹿弟子」


 いきなり足を蹴飛ばされた。アレンはクロスを睨みつける。
「彼女から、いつか師匠に殺されるだろうって予言されたんですよ。こき使われてるし、師匠って乱暴だし、当たってるかなって」
 クロスの目が赤髪の隙間からアレンをチラリと見上げた。
「殺されたいのか」
「殺されたくないですよ。そうでなくても、師匠は僕を遊び半分で殺しそうですから。
 でも…」
 アレンはクロスのまなざしを受け止める。

「本気なら、僕だって覚悟していいですよ」

 クロスはじっとアレンを見つめ、面白そうに口元を歪めた。
「抜かせ、ガキ」
「そうやって、すぐ子供扱いする。いつになったら僕を一人前と認めてくれるんですか?」
「アクマを一人で何体か倒したくらいでいい気になるな。
  お前はアクマに感情移入し過ぎる。連中はメカに過ぎない。プログラム通りに喋ってるだけだ。
まず、客観的に見る事を学べ」
「解ってます。でも…」
「でも、何だ。いいか、戦いは敵の事情を考慮したら負けるんだ。アクマに同情するな。お門違いだ。
 壊せと、お前の親父にも言われなかったか?」
「……………」

 思わずアレンは口を噤んだ。クロスは腕を組む。アレンの持つ微かな躊躇いは解るのだ。
 
クロスも科学者として、アクマの造形やスペックの高さには舌を巻く。あれをライトマターの対アクマ武器に応用出来ないかと頭を巡らせているヴァチカンの連中も多い。完全体のままで捕獲できないかと、無茶な命令を出された事も数えきれずだ。
  ただ、高性能のメカ程、不良品も出るし、狂っている回路もある。メカは動かしてみないと欠陥は解らない。それはあの伯爵にしても同じだ。
  だから、アクマの中には多少なり、欠陥品がいる。完全にではないが、伯爵の命令に縛られないアクマがいるのだ。アクマは『人間の愛情』などという、ありふれた悲劇から生まれたのだから。それがレベル1でしか戦った事のないアレンですら刺激するのだろう。
 いい例がアレンの額に呪いを彫り込んでいったバカだ。

「俺は躊躇わんぞ。あの時、お前を拾いに行った時、お前がアクマになっていたらぶっ壊してたからな。せいぜい誘惑から逃れてる事だ、アレン」
 アレンはギュッと唇を噛んだ。

「もう繰り返しませんよ」
「繰り返すんだ、過ちを。それが人間という奴だ。自分だけは違うなどと思うな」
「師匠」
「違うと思うな。お前はただの人間だ。エクソシストであろうとな。だから、繰り返すな。その左目から手を放せ」
「……………」
 アレンは頑固にクロスを見つめた。クロスは苦笑する。



「ただの人間で何が悪い」


「え?」
「弱い哀れな人間でいるのが気にくわないか。強くなって変えたいか、何かを」
「ええ、ええ、そうです」
「人間は弱い。哀れなほど弱い。だから、少し狡くなれ、馬鹿弟子。正義も結構、悪も結構。だが、本当の強さは白でも黒でもないぞ。灰色の中にあるんだ。
 人間の知恵はアクマをも退散させる。おとぎ話でもあるくらいだ。神がアクマを打ち倒せるんじゃない。ただの人間こそアクマを倒せるんだ。だから、神はイノセンスをばらまいてるのさ。人間しか使いこなせないから。

 だから……俺にお前を壊させるな。お前を殺してやってもいいが、壊すような真似だけはさせるなよ、馬鹿弟子」

 その声に微かに含まれる刺すような苦さにアレンは瞬きした。クロスも経験があるのだろうか、そんな瞬間を。アレンは拳を握りしめる。

「しませんよ、絶対」
「絶対なんか、ない。そんなものは何処にもないんだ。まだ解らないのか」
「解りません」
「……ったく」


 クロスはアレンを引き寄せた。唇を塞ぐ。アレンは夢中で抱きついた。この人も痛みを感じる事があるのだ。眠れない夜があったのだ。それが無性に切なかった。
 この人を本気にさせたい。殺されてもいいから、本気にさせたかった。


「壊させま…せんよ。……僕は見る事にしたんだから」
 喘ぎながら、アレンはかすれ声で囁いた。ギュッとクロスの腕を握りしめる。
「何をだ」
「この世の…果て」


 アレンは目を閉じた。
 マナが示す道しるべの彼方。
 そこであなたの髪から火の粉をまき散らしている事を、僕は心から祈る。

エンド

大阪で「正妻を制裁」ネタで盛り上がり、シズさんに捧げた師アレでございます。
ネタはギャグだったのに、 クロスは何でアレンを正妻に選んだんだろうと考えてる内に
ダラダラ長く………(笑)
すまない、シズさん。ギャグでなくて(^_^;)
相変わらず、オリキャラの名前をつける気、全くなし!!
最初はカナリアなんで、ドリトル先生に出てくるカナリアの名前を取って「ピピネラ」に
しようかと思いましたが、 あんな真面目な歌姫に失礼かと思ってやめました(^_^;)


追記、最初に渡した分からかなり手直ししてしまいました(こいつ…)
シズさん、改めて捧げ直します、くすん。

マナってアクマとして欠陥品と思うよ、絶対。
その上、今はコントロールもされてないしね。困ったね。回収した方がいいよ、伯爵(笑)
アクマは別に人間を殺さなくても進化するって解ったのはマナのせいなので、
レベル4になる直前のレベル3が周囲のレベル1を殺しまくって、強引に進化するとか
そういう展開を見たいざます(ニコ)

あー、設定勝手に考えるのって楽しい〜v

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