「ねこ」
猫を一匹拾った。
正確には『拾わされた』んだが、猫はその事を知らないし、俺も一生言う気はない。
目にはひどい傷はあるし、左手はケロイドみたいに見えるし、薄汚れて、ひどい形(なり)だ。血筋は解らないが、瞳の色や毛並みは悪くない。目から涙を流す以外何の反応もなかった。
「エクソシストにならないか?」
という、俺の言葉も聞いてなかった。
このまま凍死したって俺の知った事じゃないが、とりあえず抱き上げて、部屋に帰った。
だが、野良猫はすぐには懐かなかった。
すぐ部屋から逃げ出そうとする。
引っ掻く。噛みつく。うなる。部屋の隅に逃げ込む。
本当にただの獣の子供だ。
笑わない。
もう泣きもしない。
口をきかない。
飯も食わない。
水も飲まない。
逃げたと思えば、元の主の墓の前で丸くなっている。
まるでそこにいれば、全てが解決するとまだ信じているかのように。
俺は猫を思い切り蹴飛ばして、部屋に放り込んだ。
猫の世話などやった事がない。
俺は昔から何かを飼うとか、かわいがるとか好きじゃなかったし、しようともしなかった。
俺は闇の世界の方が性に合ってる。本部の奴らも知らない顔を俺は持ってる。いつか闇の中に消える人間が泣き所を作るなど命取りだ。
だから、独りがいい。何かに心を委ねるのも残すのも御免だ。
だから、元帥になっても誰も見つけなかった。拾わなかった。適合者がいたら、他の元帥か本部に連絡して後は知らぬ ふり。ちゃんと仕事はやってるし、任務も達成している。文句を言わせないだけの事は俺はしている。
コムイは俺の事をそれとなく心配していたが、俺達はもう大人だ。互いの人生に口出しはしない。俺達はフェアという言葉が死語って事を知っている程度には大人だった。
だけど、ただ一人、俺にそれを許さない奴がいた。
まぁ、それは初対面からずっとで、だから、俺はあいつが大嫌いだった。俺もわがままな方だが、あいつの我の強さときたら、俺の比じゃなかった。死に目にも会わせてくれなかった。たった独りで死んだ。あいつの人生にはもう俺しか残ってなかったのに。
それはあいつがたった一匹かわいがっていた猫にもそうだったが。
口にも出せないような、おぞましい死に方をしたとだけは聞いた。
あいつが死んだ部屋は永遠に借り手がつかないだろうと聞いた。
だから、俺は猫を拾いに行った。
この俺が。
あいつの言う事、やる事、全てを最後まで反対してたってのに、結局拾いに行く気になった。
一時期の事で、面倒になれば本部に送りつければいい。
ねこ一匹で俺が委ねていた、自分の自由になる寒々とした世界が崩れるものではないと高をくくっていた。
だが、あいつとねこはイヤという程、そっくりだった。
かわいい顔をして、細っこい、捻るだけでポキッと折れそうな腕や体をしている癖に、何で俺の言う事を何一つ聞こうとしないのだ? 俺を受け容れようとしないのだ?
ねこが、生き物があんなに手の掛かるものだと知らなかった。
俺は知ろうとしなかった。
ねこは壊れてしまっていた。
ねこの世界は終わってしまっていた。
あいつがそうしたのだ。解って、そうやった。あの人でなし。
ねこの自己破壊への衝動は凄まじかった。飛び降り、放火、自傷。挙げ句の果てに、左手を発動させた。神の武器で神が最も嫌う行為を完遂させようとした。
自分が犯した罪と同じやり方で。
俺は無意識に飛び出していた。発動した武器にそのまま突っ込めばどうなるかぐらい俺も知ってる。
鮮血が飛び散った。肉がちぎれる感触がした。
だが、ねこを抱き締めた時、ねこの中にたぎっている死と裏返しの命の鼓動を情熱を俺は確かに感じた。悲しみと絶望と怒りを。
ねこが狂ったように暴れるのを押さえつけ、それでも、鋼のような力ではね除けようとする幼い体に、俺が切り裂くような衝動を感じたってそれは誰にも咎められまい。
俺はねこをぶん殴った。ベッドに放り投げた。
ねこの悲鳴と絶叫を心地よく聞いた。ねこを容赦なく突き上げながら、細い首がそらされるのを見て、何度絞め殺そうかと思ったか知れない。脳天がかち割れそうな程気持ちよかった。こんなのが癖になると困るなとぼんやり思った。
あいつもねこの中で俺を感じてるんだろうと思うと、怖ろしい笑みが俺の顔中に広がった。痛いくらい勃起する。
ねこは鳴いた。3度目からは確かに苦痛以外の色も混じった。いい声だった。
甲高い、ねこの声。女みたいだな、と思う。男も女もアノ時の声の響きは似てしまうらしい。
ねこの体から離れるのに苦労した。
久しぶりに、何もかも吹っ飛ぶという奴をやったと思った。
ねこはくしゃくしゃのシーツの中で失神していた。
俺はずっとその顔を見つめていた。
見ていたかった。
俺はその時、俺自身というものも見つめていた。
誰かに執着するというのはこういうものかと思った。
ねこは俺の前で今、大人しくミルクを飲んでいる。
皿の中に舌を突っ込んで、ぴちゃぴちゃ音を立てて飲んでいる。
赤い舌が真っ白なミルクに突っ込んで、戻り、また突っ込まれる。
包帯がずれて、生々しい傷跡が見える。
俺はまたぞろ、よくない感情が下半身に芽生えていくのを感じる。
だが、俺は押し殺した。
ねこは人間になりかけているのだ。人間の感情が芽生えて、生まれ変わろうとしているのだ。
俺は紫煙を天井に吐き出した。
俺達は似ているな、とアレンを、馬鹿弟子を見ながら思った。
孤独に生き、必要な時だけぬくもりを求めるという点で、ねこと俺はよく似ている。エンド
「認識」の師匠サイド。ちょっと消化不良っぽい。早く師匠出ておくれよ(;;)
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