「眠い」


 旅立ちの朝というのは、いつも慌ただしい。
 余裕を持って起床し、ゆったり目に朝食摂ってと、いつも考えるのだが、気がつくともう出発の時間が目前に迫っている。英国式朝食は時計など気にせず、紅茶をたっぷり飲んで、大らかに食すのが伝統だからいけないのだろうか。汽車の運行状況もこせこせしていないのが悪いのだろうか。いずれにしても、ホテルを引き払う頃には、コートを肩に引っかけ、髪を解かし直す時間もない。
 チェックアウトをするブックマンの後ろで時刻表を確認していたリナリーは、階段を駆け下りてきたアレンを見て怪訝な顔をした。
「あら、ラビは?」
「え? まだなんですか?」
 アレンはコートのボタンを留めながら首を傾げた。まだ口にはジャムとバターをこってり塗ったパンを銜えたままだ。
 発動しない日でもアレンの食欲は三分の一程度にしか収まらない。発動は彼の体力を食い尽くし、それを一度の大食で補うにしても胃袋に限界がある。育ち盛りな事もあって、汽車に持ち込む荷物の大半は栄養価の高いパンやピロシキだし、食卓を離れるのはいつも最後だ。
「ええ。ロビーか玄関でもうろついているかと思ったけどいないし。悪いけどアレン君、部屋見てきてくれる? もし、体調でも崩してたら大変だから」
 神に選ばれたから、病は永久免除された訳ではない。腹も壊すし、風邪も引く。虫歯にもなるし、水虫にも悩まされるのだ。寄生型のアレンにしろ、イノセンスはアクマのウィルスは退治してくれるが、インフルエンザには知らん顔だ。
 神は選り好みが激しい。最終戦争のような大局には目が行くが、人々の営みなど些末な事はどうでもいいのだろう。
「でも、ラビは風邪引きそうにないですけどね」
「あら、そうね」
 思わず笑いこけた二人にブックマンは淡々と呟いた。
「あの小僧はいつもマフラーをしているだろう。昔から喉が弱くてな。扁桃腺に罹りやすいのだ」
「え、そうなんですか?」
 アレンは少し心配そうに階上を見上げた。ちょっと見てきますと言い置いて、階段を駆け上がっていく。 それを見送って、ブックマンはまた呟いた。


「……あんなに騙されやすいのか、アレン=ウォーカーは?」


「え?だって、今…」
「4、5歳までの話だ。あの頃の幼児は病気のスーパーマーケット状態だからな。今のあやつはせいぜい腹を壊すのが関の山。丈夫過ぎて困る位 だ」
「あら、じゃあマフラーは?」
「今、冬だからに決まっとるだろう」
「…………」
 リナリーはキョトンとした。すぐ楽しげに吹き出す。
 ティムがちょっと不思議そうに羽ばたいて、リナリーの結んだ髪に蝶のように止まった。




「ラビ…?」
 何度ノックしても返事がなかった。アレンは仕方なくドアのノブを回す。ドアはあっさりと開いた。
「ラビ、いるんですか? もう汽車出ちゃいますよ?」
 アレンは中を覗き込んだ。扉から細い通路になっており、浴室やクローゼットがある。その奥まった場所が寝室だ。人気はないので、やはりもういないかも知れない。アレンは一応確認の為、中に入った。
「ラビ?」
 ベッドから伸びている黒いブーツが見えた。
「ラビ!」
 少し慌ててアレンは近寄った。ホッと溜息をつく。



 ラビはそこにいた。


 コートとバンダナも身につけ、旅支度はすっかり終わっているが、そこでやる気をなくしたのか、ベッドの脇に腰掛けた体勢で、そのまま仰向けになっている。ブーツを履いた足だけが床に着いていた。
 閉じた瞼が意外に薄い。胸が小さく上下していた。顔色もよく、風邪の兆候を示すものは何もない。



(騙された……)


 安堵と腹立たしさが交錯する。アレンは大きく肩をすくめた。
「……何やってんですか、もう。行きますよ」
「…………やーだ」
 形のよい唇が抗議した。
「列車が出ちゃうでしょ?」
「飽きちゃった、もう」
 ラビは目も開けようとしない。アレンはやれやれと、腰に手を掛けた。彼の気持ちは解らないでもない。
 クロス元帥を捜し出し、護衛する任務について、もう五日目。東方にいるらしいという以外、まだ何の手がかりもなかった。
 目的地のはっきりしない旅は意外に疲労を溜める。最初は色々会話やトランプで盛り上がっていたが、さすがにもう話題も尽きた。長時間の列車の旅は体が強ばるし、退屈だし、刺激もない。大陸を縦断する機関車の旅はのんびりで、余り距離も稼げなかった。乗り換えに待たされる時間も、田舎ばかりで暇を潰す場所もない。退屈が苦手なラビが音を上げるのも仕方ないだろう。
「毎日毎日、同〜なじ景色でさぁ。腰は痛いし、体はだるいし、面倒臭いしぃ。何かもうどーでもよくなっちゃったぁ」
「任務だから仕方がないでしょ?」
「ユウと同じ事言うなよぉ、アレン〜。きっと元帥は一人でも大丈夫さぁ。あの人は殺しても死なない、死なない」
「そうでしょうけどね」
 アレンは小さく呟いた。師匠がピンチな所など想像もつかない。多分、護衛だと言っても嫌がられるだけだろう。仮にうまく捕獲できたとしても、面 倒事を押しつけられて、右往左往している間にとっとと逃げられてしまう気がしてならない。師匠の性格や行動パターンは読めているからといって、師匠の方がいつも一枚か二枚以上、上だからだ。
(それにきっと色々嫌味を言われるんだろうなぁ〜〜)
 逢いたい気もするし、逢いたくない気もする。元より優しい言葉など期待してない。一人前になったんだから甘えるなと言われるのがオチだろう。それでも、あの大きな手に触れられてみたい。少しでいいから。
 夢見がいつも悪いのは、朝寝坊するようになったのは、師匠のせいだ。
「でも、僕達は行かないと」
「やだ〜、眠いんさぁ」
 ラビは駄々をこねた。顔がそっぽを向く。
「ラ〜ビ」
「行きたくな〜い。なーんにも楽しい事ないんだもん」
「任務なんだから、楽しい事なんてある訳ないでしょ?」
「またユウとおんなじ事言ってる〜。勉強でも仕事でも楽しい事を見つけないと煮詰まっちゃうよ?」
「ラビってば」
 アレンは呆れた。アクマと戦う事がエクソシストの使命だ。あの任務の数々の何処に『楽しい事』が入る余地があるのだろう。ラビに戦う事への陶酔感やアクマを倒す達成感でもあれば別 だが、彼はそういうタイプではない。
 だけど、ラビには神田や自分やリナリーにはない余裕がある。恐らく若手の内で最も経験が豊富であるにも関わらず、戦いに毒されていない感じ。それがラビの強みなのだろうか。
 でも、生真面目な自分には到底真似は出来まい。彼の余裕を羨ましいと思うが、憧れる事はないだろう。道標にしか従って歩く事の出来ない自分には。
「もういいです。リナリー達も待ってますから。置いてっちゃいますよ」
「やーだ。置いてかないでぇ」
 ラビの手がアレンのコートをギュッと掴んだ。これでは逃げられない。
「駄々っ子ですか、ラビは」
 アレンはラビの頭を軽く叩いた。
「解った、解った。起きるから、手伝ってぇ」
 ラビは片手をアレンに向かって伸ばす。アレンは大きく溜息をついた。
「もう、全くしょうがないんだから、ラビは…」


 身を乗り出したアレンの首をラビはグイと掴んだ。そのまま唇を重ねる。二、三度角度を変えて吸われ、最後に唇をペロリと舐められた。


(………………っ!!)


 正気に戻った。アレンは慌ててラビから身を引く。
「な、な、な、何するんですかっ、唐突に!?」
「何って、目覚めのキッス」
 ラビは胡座をかいて、にっこり笑った。
「僕、朝のキスがないと起きれないの〜v」
「なっ、何言ってるんですか、ラビは〜!!」
 ラビはトンとベッドから跳ねるように立ち上がった。
「アレンのキッスは俺の元気の素だもん。これからも毎朝、キスで起こしてね」
「しませんよ、もう!」
「じゃ、起きれない〜」
 ラビはまたベッドに倒れ伏した。
「もう、勝手にして下さい! 僕達は先に行きますから」
 アレンは身を翻した。そのコートをまたラビは掴む。
「ラビ〜! 本気で怒りますよ!」
「いいじゃん、怒ってぇ?」
 ラビはあくまでも楽しそうだ。アレンは溜息をついた。
 ラビは任務に楽しみを『見つける』のではない。楽しみを『作る』のだ。きっと毎朝これが続くのだろう。イヤだといっても、きっとラビに振り回される。解っていても、ラビの行動は『絶対イヤ!』レベルでないから始末に悪い。



「アレン君、どうしたの〜? ラビは大丈夫なの?」
 余り遅いので心配したのだろう。リナリーがノックしている。アレンは大袈裟に肩をすくめた。
「解った! 解りましたから、もう行きましょう、ラビ!」
「やったー! アレンの毎朝のキス権ゲットー!!」
 ラビはひょいと子リスのように起き上がり、アレンの頬にキスすると、カバン片手に振り返った。
「さっさと行かないと置いてくぜぇ、アレン」
「はぁい、もう〜行きまーす」
 朝からドッと疲れてアレンは頷いた。



(この人には、きっと一生かなわないなぁ)



 そんな予感に包まれながら。

エンド

かわいい二人が大好きなんですv

ラビお題へ


 

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