「アニマルセラピー」 2


 阿幾は匡平以外、誰にも心を許さなかったし、枸雅と日向の確執もある。
 皮肉にも一番喋ったのは先日の追跡の時だった。
 色素の薄さでも村で異彩を放っていたが、それは都会に来ても変わらなかった。
 銀髪を振り乱し、襲い掛かってきた時、確かに鬼だと思った。
 匂司朗は腹に手をやる。
 強がってはみたが、桐生が間に入らねば暗密刀の刃で死んでいた。

(案山子との連携か)

 案山子が隻を狙うのは卑怯とされている。
 案山子の制御は非常な集中力を要求し、その間、隻は殆ど無防備だ。
 だから、案山子と二段構えで戦うなど、匂司朗は思いつきもしなかった。
 別々の行動を取り、尚且つ正確に標的を狙うなど、阿幾以外には無理だろう。

(確かにお社が無視できない訳だわ)

 正妻の子を差し置き、分家筋の婿、しかも外部の人間との間の子供が優れているという事実は、お社の血筋への信仰を根底から揺らがせた。
 濃い血統を保つ事こそ優秀な隻が生まれる道理が崩れてしまう。
 時代も変わり、因習を嫌う平民は村を出て過疎化が進む一方だ。
 優秀な隻候補同志が一体の案山子を巡って座を争ったのも過去の話。
 近親婚が進み過ぎた現在は隻の人数を確保するのもやっとだ。
 隻が完全に絶える前に外の血を積極的に入れるべきではないかと説く者すらいる。
 案山子の機密性と余所者に権力の座が移るのを恐れて、あくまでも少数派だが。

 その彼らにとって、阿幾の存在は可能性を裏付けるものと言えた。
 だからこそ、お社は阿幾を認める事が出来ない。
 妙齢の女性がいなくて荒れていた篤史に、愛人としてあてがう筈で赴任させた瀬能千波野の件はそれに拍車をかけた。
 本来、阿幾の誕生は希望を示すものであった筈なのに、厄介者、忌まわしい仔、と村中で彼を否定している。

(だからこそ危険なのだ、阿幾は)

 匡平がお社の指示で、村出身者の史場家に下宿させられたのは村の血筋を守る為である。
 何処の馬の骨の女より、素性が知れた平民出の方が安全だという訳だ。
 村から逃げたつもりでも、村は決して逃がさない。
 鈍い匡平はまだ気づいてないようだが、因習への嫌悪と男女の仲は別物だ。

 だから、匂司朗は日々乃の事を「お前の彼女か?」と匡平に尋ねたのだが経過は鈍いらしい。
 好きな女と一つ屋根の下に住まわせ半年も経ったのにだ。
 周辺がいくら騒がしかろうと、恋愛は別である。
 本当に好きなら脇目も振らず彼女を物にするだろう。
 あれだけのチャンスがあって未だに保留のままなら、それは本当の恋ではない。
 まして、匡平は一途な男だ。
 一見草食系に見えるが、双子と同じ、火のように激しい部分を奥底に隠している。
 にも関わらず、匡平は恋の進展に拘らない。
 日々乃を大事に思ってるようだが、壊れ物に触るような距離感を置いているのは、本気になり切れぬ部分が心の何処かにあるからではないか。

 それは恐らく阿幾のせいだ。

『阿幾は俺にとってきっかけなんだ。
 あいつにつられて俺は常に一歩何かに踏み込んじまうんだ。
 それは大抵ロクでもない事なのさ』

 匡平は阿幾のそういう部分を恐れていた。
 阿幾の星回りの悪さは他人をも破局へと引きずり込んでしまう。
 だが、匡平は他の村人のように阿幾を忌まわしいとは思っていない。
 阿幾と距離を置こうとしたのも、それとは別の理由だ。

(阿幾と同じ位、お前も阿幾に捕らわれてんだろ、匡平よぉ)

 阿幾に黙って村から逃げたのがいい証拠だ。
 村や天照素の事など所詮言い訳だろう。
 耐え切れなかったのだ。
 同じ空の下にいる事すら。
 村にいる限り、匡平は阿幾を牢から出す事は出来ない。永遠に。
 匡平はその停滞した状況に耐え切れなかった。
 全てを捨てて、村から出れば何か変わるのではないかと、ありがちな若者の期待に縋った。

 だが、何処に行っても楽園はない。
 解決などしない。ずっと保留し続ける。
 負い目から逃げたから、ずっと足踏みを続けなければならない。
 追いかけてきた阿幾の視線をかわし切れない。
 周囲が幾ら変わっても、匡平の中の時間は止まったままだ。
 まひるの事も日々乃と早くまとまっていれば、こんなに拗れなかっただろう。

(結局、お前、バカみたいに阿幾に惚れてんだ。
 女の事なんざどうでもいい位にな)

 今までそれを匡平に指摘するつもりはなかった。
 匡平と阿幾の問題だし、他人が口を挟む事ではないと思ったからだ。
 だが、これ以上事態がカオスを生むなら許してはおけない。
 逃げるのも一つの選択だろうが、もう限界だ。
 匡平は阿幾と向き合わねば。
 それがどんな結果を生もうとも。

(しっかし、元カノの事をチャンとけじめをつけない男の話みてぇだな。
 何でそれを俺が後始末まで注意せんとイカンのか。
 大体、あいつら男同士だろーが)

 匂司朗は溜息を一つつく。

(いや…「元」じゃねぇから、拗れてるのか)

「ん?」

 その瞬間、匂司朗は弾かれたように顔を上げた。
 案山子の気配。隻が近くにいる。

(桐生…まひるか? いや、これは…)

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