「アニマルセラピー」 6

 

 黒々と聳えるビル群は閉塞感を助長させる。
 美しいネオンも派手なばかりでよそよそしい。数が多いだけで人々はバラバラだ。
 森で感じる調和は何処にもない。
 行き交う列車から大量の人が吐き出され、吸い込まれていく。
 匡平はこんな場所で何を得られると思ったのだろう。

 狼のくせに羊の皮をかぶっている匡平がおかしくてならなかった。
 あの乳のデカい女が惚れているのは皮の方なのだ。
 狼を含めて丸ごと匡平を受け入れる事は決してない。
 狼を羊として飼い慣らすのが、匡平の幸せだと思っている。
 ただの狼なら干からびるだろうが、生憎匡平の中に潜んでいるのはそんな生易しい代物ではない。
 図書館で警告してやったが、やはり信じはしなかった。
 都会人は自分達の常識だけが正義なのだ。

 匡平は都会の物差しでしか物事を計れぬ女を、本気で村に迎え入れられると思ってるのだろうか。
 優しさも気丈さも、何の役にも立たない事は千波野の件で学んだろうに。
 逃げて演じて、そんなカラッポな人生で匡平は満足なのか。
 演じ切ったら、それもいずれ本物になるというのか。

(下らねぇ)

 阿幾は嗤った。
 そんな事で消えてしまう本性ではないのに。

 隻には隻の勤めがある。
 人の心の澱みが清浄な山の波長を狂わせているのを正す事だ。

 何故、人形師が天照素と常絶を作ったのか。
 村の防衛の為だけなら、あんな強力で自我を持つ案山子は必要ない。
 案山子は人の心を蓄積する効果がある。特に負の感情は重く溜まりやすい。
 恐らく、あの二体は調整の為に作られたのだ。

 その巨体は神輿を連想させる。
 昔は七年毎に大きな祭があったと聞いた。あの二体こそが御神体だったのだろう。
 祭で溜まった穢れを流し、人々の鬱屈した思いを発散する為に。
 隻でなくても、森は隻の素養のない一般人の心までリンクしてしまうから、そんな装置が必要だったのだ。
 だが、案山子の存在が却って村を閉じさせ、負の心を巨大に膨らませた。
 天照素二体が同時に消息を絶つ程大きな事件だ。
 なのに、殆ど記録が残っていないのは残したくない醜聞絡みだろう。

 祭りが祭りでなくなった。
 神が祟り、村が炎上した。
 神が人々に害を為すものに変わったのだ。

 だが、お社は案山子の権威を手放す事が出来ない。
 お社が隻と案山子を神格化せず形骸化させたのは、恐らくそれからと思われる。

 けれど、お社がどうあれ、森は再び穢れを溜め込んでいく。
 それは祓われねばならない。
 だが、人々も隻もそれを忘れてしまった。祭の意味も失われたままだ。
 再び破局が近づいている。

 天照素を阿幾達が発見したのはその予兆だ。
 祭の為に天照素自らが匡平と阿幾を呼び寄せたのだろう。
 日向のお館も天照素に魅入られてしまっている。
 操られている自覚などないのだろうが。

 山が望む清浄な気を取り戻すには匡平が必要なのだ。
 祭りを取り仕切る為の神子が。

 阿幾と二人が揃わねば、村に溜まった醜い人の業を焼き払い、吹き飛ばせられない。
 だが、どんなに挑発しても匡平は完全には乗ってこなかった。
 仮面を付け直してしまう。
 それはここが異境の地だからだろうか。
 東京は都会の人間が作り出した常識や道徳が満ちている。
 理解されない感覚を頭ごなしに否定してくる世界では、隻も理屈の合わない存在でしかない。
 匡平はその常識を盾にして、阿幾の声から耳を塞いでいる。


(本当は解っているくせに)

 匡平の力は巨大過ぎる。
 文字通り村をも軽く焼き尽くせる程の大火だ。
 それは次の祭りが前回を軽く上回る事を予感させた。
 江戸時代以来の大祭。
 人の身勝手で失われた祭の復活を森が望んでいる。
 阿幾の中を吹き荒れている村を滅ぼしたいという望みは、恐らくそこから来ている。

 阿幾の匡平への想い以外、あらゆる欲望や未来が削ぎ落とされた状況は巫女の禊に似ていた。
 神とのみ手を携える為、俗世を断つ神子は清浄でなければならない。
 阿幾を取り巻く過酷な運命はその為にこの心境に至るまで用意されたものかも知れなかった。

 阿幾は選ばれた。そして、匡平も。

 匡平はそれを本能で感じ、怯えているのだろう。
 自分が関わらなければ、羊になれば祭りは起こらないと思い込もうとしている。
 でも、阿幾は変われない。
 既に一度祀りに立ち会ってしまった。だから、東京に出ても村を引き摺っている。
 唯一関わった外界の女も村への興味だけに心が縛られてしまった。
 まひるまでもが匡平を村に帰そうとする。

 平城の一件は阿幾を心からうんざりさせた。
 彼らにとって阿幾は使い捨ての道具だ。
 誰も阿幾個人には興味がない。
 どんな遠い場所に行っても、誰とも繋がれないし、繋がる気にもなれない。

(断ち切れないのは、俺か) 

 森は絶えず阿幾を呼んでいる。
 戻れ。ここに戻って隻の役目を果たせと。
 それが終らない限り、自由にはなれない。
 自由にはさせない。

 阿幾は目を閉じた。
 その自由がどんなものか阿幾はもう気づいてしまっている。
 阿幾にはもう破滅しか残されていないし、それでいいと思っている。
 祭には血と生贄が必要だから。
 暗密刀の封印は日に日に重さを増している。
 動かせなくなる前に村に帰るべきだろう。
 平城に聞いた天照素の話を聞かせれば、意固地な匡平の気持ちも動くに違いない。

(けど…匡平、俺は)

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