「アニマルセラピー」 7

 

 ふと胸元からさっきの男の残り香が少しだけ匂ってきた。イラッとする。
 その匂いがたまらなく嫌で、その場で全部服を脱ぎ捨てた。
 一刻も早く洗い流したくてシャワーを浴びる。

(何で、あんな事シようと思ったかな)

 湯に打たれながら考えた。
 阿幾の性欲は匡平以外には極めて薄い。
 女性というより人間に対して興味がない。
 既に阿幾は人間に深く絶望していた。今更孤独など何とも思わない。

 だが、病院で詩緒達に取り囲まれた匡平を見て、何とも言えない遠さを感じた。
 窓の外から眺めるそれは、阿幾にとって決して届かず手に入らない場所だ。
 村で級友達と笑う匡平を見た時と同じ感情だった。
 輪に入りたいとは思わないが、ひどく切なくて胸がギュウッとする。
 嫉妬とは違う痛みだった。
 阿幾はその痛みが嫌いで、匡平が一人だけの時しか近付かない。

 久しぶりにそれを感じた。
 痛みは昔と変わらなかった。頭の傷の痛みが疼く。
 別に悔しくはない。そういうものだと割り切っている。

 ただ訳も解らず寒かった。目の奥が痛かった。
 久羽子のマンションにはもう帰るつもりはない。

 行き場がなくて、宛てもなく夜の街を歩いた。
 ネオン街は華やかだが空々しい。闇の濃さが余計に際立つ。
 妙に心に虚ろさが増した時、擦れ違ったのが、さっきの男だ。
 誘ったのは、ただただ匡平に似てる。それだけだ。
 相手がノンケだろうと、その気にさせるのはたやすかった。
 
 だが、似てるからこそ、その違いが鼻についた。
 白い肌を貪る舌使いや鼻息、髪の匂い、触り方。
 その全てがどうにも下卑ていて、全身鳥肌が立った。

(俺はこんな奴に何をやらせてんだ!?)

 一気に醒めた。
 その男以上に自分自身に腹が立って、すぐ暗密刀で追い出した。
 うなじや胸元をなめくじが這い回ったような悪寒がする。
 思い出してしまい、シャワーの水量を上げる。
 叩きつけるような痛みで必死に洗い落とした。

「…クソッ」

 阿幾は髪を掻き揚げた。
 所詮無理なのだ。誰も匡平の代わりなどなれない。
 心を埋める事は出来ない。紛らわせる事も出来ない。
 歯痒い程匡平でしか満たされない。

(…少し疲れた)

 阿幾は深い溜息をついた。追っても無駄だ。追わせるしかない。
 だが、天照素が餌というのが少し面白くなかった。
 匡平が自分の事で心を翻す事はもうないのかも知れない。
 あの輪から離れて、阿幾の方に走ってくるなどありえないのだ。


 全身から湯を滴らせながら部屋に戻ると、匂司朗と目が合った。
 匂司朗は目を丸くしているが、阿幾は気にしなかった。
 夕食のいい匂いがする。

「ああ、メシか。腹減っ…」
「バッ、バカヤロウ! 手前っ、そんな格好で…っ!
 しかもああもうびしょ濡れじゃねぇかっ!
 タオルはっ!何で拭いてこねぇんだ!?」
「ああ?だって、服そこで脱いだし」

 匂司朗は阿幾の言葉など聞いていない。いきなり怒鳴られた。
 怒鳴りながら、ズカズカ洗面所に走ると、バスタオルで掴んで戻ってくる。
 ガシガシ頭から拭かれた。

「痛ぇよ」
「うるさいっ! ここは人ん家だぞ?
 勝手に風呂借りて、床濡らして手前はっ!」
「別に後で拭けばいいだろ」
「そういう問題か! 桐生以下だな、手前は。
 いいからさっさと服を着ろ!」
「解ったって。ガキじゃねぇんだから、自分で拭ける!」

 阿幾は乱暴にタオルを奪い取ると身体を拭った。パーカーとジーンズを着る。
 匂司朗はその姿に思わず見惚れた。
 髪が白いせいか余計線の細さが目立つが、服を着ると際立って見えた。
 誘ってる訳でもないのに、ただ身体を拭いて、服着るだけの動作が妙に艶っぽい。

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