「アニマルセラピー」 9

 

「…………!?」

 ハーゲンダッツを一口舐めるなり、阿幾は驚いたらしい。
 あれからひたすら無言で一舐め一舐め大事そうに掬っている。
 全部食べると物欲しげな顔をしたので、もう一個やった。
 子犬のように本当に嬉しそうな顔をする。

「いいのか!?」

 こうしていると無邪気な子供のようだ。
 希代の殺人鬼。狂気の殺戮者。
 そのレッテルが嘘のようだ。
 初めて対戦した時は、確かにその匂いはあったが、今は綺麗に消えている。
 本性を隠しているだけかも知れないが、理由もなく闇雲にナイフを振り回すようには見えなかった。

(何か…想像してたのと違うなぁ)

「うまかった。世の中うまいものが色々あるんだな」

 阿幾は丁寧にカップを重ねながら言った。

「おうよ。もっともっと一杯あんだぜ?
 そんなもんでいいなら、ケーキでも天丼でもいつか奢ってやるよ」
「ハハ、いつかか」

 阿幾は笑い、すぐ醒めた微笑に変えて、目を逸らした。

「いや、もう充分だ」

 その人生をとうに見限ってしまった顔に匂司朗は動揺する。
 まだたった21歳だ。21なのに。

「なぁ、お前やっぱり考えは変えねぇか。村が憎いのか」
「…ああ」

 匂司朗は溜息をついた。
 この程度で阿幾を翻意させるなどおこがましいのだろう。
 だが、阿幾の顔に桐生が重なる。
 あの子を幸せにしてやりたい。
 匂司朗はずっと思ってきた。
 村の思惑に押し潰したくない。
 阿幾と同じ表情を桐生には浮かべて欲しくなかった。
 同じように阿幾だってやり直せる筈だ。

(確かに阿幾は既に罪を負ってる。けど…けどよ)

 匡平しか阿幾を救えない。
 そんな事は解っていたが、匂司朗は言わずにおれなかった。

「阿幾…お前、もう匡平に拘るのはやめろ」

 阿幾は驚いたように彼を見返す。

「世の中にはお前の知らない事がまだまだ一杯ある。
 楽しい事や嬉しい事。
 せっかく逃げてきたんだ。あんな村に拘る事ぁねぇじゃねぇか。
 村も匡平も忘れちまえ。
 匡平はお前に靡かないんだろ? もう仕方ねぇじゃねぇか。
 お前はお前の人生の事だけ考えたらどうだ。
 村を焼いて、本当にお前は自由になるのか?」

 一気にまくし立てると息切れがする。
 興奮した面持ちの匂司朗に呆気に取られていたが、阿幾は愉快そうに噴き出した。

「おい、何故笑う?」
「追っ手に言われたら、普通笑うだろ。
 あんたさ、俺に逃げ切れって言ってんだぜ?どうかしてるよ」
「してんな。
 けどよ、この一件、何もかも全部気に入らねぇんだよ。
 桐生の事も。日向の爺様の事も。
 そしたら、お前を捕まえんのが正しいのかどうか解んなくなっちまった。
 いっそ、お前が逃げ切っちまったらいいのさ。
 俺が爺様に叱られりゃ済むことだからな。

 でも、お前が村を諦め切れないんなら…この変な予感が現実になる気がしてよ。
 桐生もお前も、これ以上何もねぇ方がいいだろうが。
 奪われてばっかりで村に押し潰されて。
 俺は何から何まで気に入らねぇ。
 まるで誰かの絵図面で踊らされてるみてぇで」

 阿幾は匂司朗をじっと見つめた。

(本当に勘がいい)

 いっそ天照素の事を話してみようか。
 だが、暗密刀の封印を考えると迂闊に明かせない。切り札として残しておかねば。

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