「空気力学と少年の詩」 15
匡平は続けた。
「俺は難しい要求はしていない。
阿幾を人道的な扱いにしてくれって言ってるんだ。
安全弁で殺させない、絶対に!」
「小僧如きが言いも言ったり…」
お館はいきなり立ち上がった。
その迫力に匡平は一瞬呑まれそうになる。が、何とか踏み止まった。
「よかろう、阿幾の世話係、看守は総入替とする。
ただし、匡平は許可なしで今後阿幾と会う事一切罷りならん。回数も厳しく制限する」
「お館様!」
叔父達は顔色を変える。
匡平も食い下がった。
「待てよ!その看守達が大丈夫だってどうして保証できる?
第一、奴等に何のお咎めもないのか?
それこそ、あんた達の差し金だって事じゃないか!」
「彼らは我らが吟味する。そこまで、お前に口出しされる理由はない」
「それに阿幾と会うなって…どうして阿幾の無事が確認できるって言うんだ?」
「お前の要求を一つは呑んだぞ、小僧」
お館は匡平を睥睨する。
「一年に一度も会えば、生存は確認できるだろう。
元々、座敷牢は社交場と違う。会えるだけでもありがたいと思え」
「たった…!そんなの飲めるか!俺は…」
身を乗り出す匡平をいつ現れたか従卒達が背後から腕を掴んだ。
あっという間に床に押さえつけられる。
「お前は隣町の中学に転校するがいい。
寄宿制で学力の高い所だと聞いている。
ちょうど隻の座も降りたところだ。
勉学に精進し、つまらぬ事から卒業するがいい」
「つまらぬ…だって? 俺と阿幾を引き離そうっていうのか!?」
「阿幾の命は保障すると言った。満足のいく内容ではないのか?」
「俺は他の学校なんか行かない!」
お館は冷たく匡平を見下ろした。
「詩緒といったな。お前の妹は。それに母。
詩緒は隻としてまだ未熟。
山での修行も難儀だろう。凶暴な熊もいる事だしな」
匡平はゾッとした。
一体、老人は何を言っているのだ?
自分の孫を、母を人質に取るというのか?
「あんた…正気か?」
「わしが何を言った?孫の心配をしただけだぞ」
「そうですとも、匡平さん。
あなたが非を詫び、大人しくしていれば何の問題もない。
我々が大切に世話している罪人の世話に難癖をつけた事を不問にした上、再度その事を確約したのだ。
お前をかわいい孫と思ってのお館様のお慈悲が解らぬのか。
子供が大人に意見するなどとんでもない事だ。身の程を知るがいい。
お前がお社の約定を守らぬなら、我らも守らぬ。
よいか。阿幾の身柄は我々が押さえているという事を忘れるな」
叔父が匡平を居丈高に見据えていた。
匡平の体が怒りに震える。
(こいつら…っ)
これでも親戚なのか。
こんな代償を払わねば阿幾を救えないのか。
家族を人質に取られた。こんな筈ではなかったのに。
『お社の決めた事だ。ロクでもない事に決まってる』
父の虚無が滲んだ口癖が今更になって甦る。
父もこんな屈辱を味わったのだろうか。
悔しくて頭が焼きつきそうだ。
体奥からドロドロしたマグマが肌のすぐ下でとぐろを巻いている。
唇を噛み締めた。
ここで自分を見失うな。
(阿幾、阿幾、阿幾)
匡平はひたすら阿幾を思った。どこまでも阿幾にしがみつくのだ。
「俺は…詫びたりしない。
昨日、阿幾が何をされたかこの目で見たんだ!」
匡平は丁重に起こしてくれた従卒達から腕を振りほどいた。
「でも、約定は守る。阿幾の為に。
だから…約束を破ったら、俺は絶対に許さない!
絶対にだ!その時はあんたらを…っ!」
言いかけて、匡平はクルリと全員に背を向けた。
(皆殺しにしてやる)
口元が自然と残忍に嗤うのを必死に消した。
それは言ってはならない。思ってもならなかった。
阿幾と同じ闇に堕ちたくなければ。
堕ちれば、阿幾を救う事は絶対出来なくなる。
出口のない阿幾のただ一つの出口になってやる為に。
「全く驚きましたな。
大人しい無害な子とばかり思ってましたのに」
荒々しく閉じられた扉を見ながら、叔父は眉を顰めた。
が、お館は微かに笑う。
「かつて、あの幻の案山子を一人で倒した剛の者だからな。
意外な顔があってもおかしくはあるまいよ。
泰之も腑抜ける前と少し似ておるわ。監視はつけねばならんがな」
「とはいえ、看守共め。少々、お喋りが過ぎましたな」
お館の眉がピクリと動く。
「処置は任せる。浮かれ者はお社にはいらぬ」
「牢内の事も厳しく改めます。
にしても、阿幾。
あやつめ、牢に入って尚、匡平を誑かすとは…。何処までも厄介な奴」
叔父は忌々しげに牢の方角を睨む。
彼は篤史の母親の方が厄介だった。
何故、始末せぬのかと、きっと山程難癖をつけてくるだろうから。
匡平も何故判らぬのだろう。
家の名前に傷をつけず、処理できるいいチャンスだというのに。
|