「空気力学と少年の詩」 17
運転手は匂司朗だった。
意外だったが、大学に帰るついでだと言われた。
全く事件に関わりのない日向家がむしろ適任だと選ばれたのだろうか。
急な編入について、何も聞かないのがありがたかった。
窓から見慣れた村の風景が流れていく。
いつか出たいと思っていたが、こんな形になるとは思ってもみなかった。
よりによって、一番出たくない時に出る事になるとは。
匡平は唇を噛んだ。
「…すいません。遠回りになるけど、寄って欲しい所があるんですが」
「阿幾か?」
匡平は驚いて匂司朗を見返す。
「え、何で?」
「お前さんが別れを惜しむ相手なんざ、他におらんだろう。
だが、傍には寄れんぞ。それについちゃ、お社からキツク言われてるからな。
ちと遠いが、高台からの景色で我慢するんだな」
「…構いません。ありがとうございます」
匡平は小さく礼を言って、窓ガラスに頭を押し付けた。
美しい緑だったが、今は色を失って灰色に見える。
それでも阿幾よりはいいと思った。
阿幾が見る景色はこれからモノトーンしかない。
車は山道を蛇行していく。
お社の全景が見える気のきいた場所などない。
緑と壁が殆ど隠してしまっている。
ただ、僅かな隙間から座敷牢の屋根が確認できる平地があった。
匂司朗は車を止める。タバコを吸ってくると言って離れていった。
匡平は車から降りると、食い入るように屋根を眺めた。
まだ昼間は残暑の残りを感じる。風が熱い。
遠い。
あの下に阿幾がいる。
暴力を振るわれる事がなくなって、匡平の勝利を知っただろう。
阿幾は匡平を待っているだろうか。
どんな事を聞かされたろう。
阿幾はいつまでも待ち続けるだろう。
座敷牢に続く扉が開いて、匡平が現れるのを。
いつまでもあの闇の奥で。
(でも…もう会えない)
あんな風に逢う事はないだろう。
次に許可が下りるのはいつの事か。
そして、その次に会う時はもっと時期を置けと言われるだろう。
その次はもっともっと。
次第に距離を広げさせる。
それがお社のやり方だ。
逢いたい。抱きたい。
突き抜ける程の淋しさと切なさが胸に詰まる。
胸が痛い。胸が、心が痛くて痛くてたまらない。
狂おしいほど、ただ逢いたい。
(阿幾…阿幾…阿幾…阿幾…)
お社に勝った。阿幾の命を救えた。
だが、勝利した気はしない。
阿幾が闇に取り残された事は変わらないのだ。
『俺はここでいい。…たまにお前がいりゃあな』
その小さな望みすらかなえてやれない。
そして、自分だけが村から引き離される。
阿幾はその知らせをどんな思いで聞くのだろう。
それでも、じっと待ち続けるのだろうか。
ほんの少しの逢瀬の時を。
「阿幾…」
涙がポタリと落ちる。ポタポタと落ちる。
「阿幾…ごめん」
匡平は腕に顔を押し当て、咽び泣いた。
終わり7話より数週間後の話。
匂司朗は夏休みにちょっとだけ里帰りしただけで、事件当時は不在。
ただ、事件の事はイヤでも耳に入った筈。うう、匂司朗があの時、村にいてくれたらっ!
この後も匡平はそれなりにお社に対して阿幾の為に頑張ってはみたけど、阿幾を含め人質取られてるし、
どうにもならなくて挫折して、何もかもイヤになって東京に逃げたって事にしておこう。
イカンだろ(^_^;)
でも、原作の匡平も大概だからいいかー。日々乃さんは妙に匡平を美化してるがの(笑)
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