「空気力学と少年の詩」 2
事件以来、一度も会った事はなかったが、阿幾の事は一度たりと脳裏から離れる事はなかった。
人と会話してる時も歩いてる時も、頭の何処かで阿幾を思っている。
ほんの時間の隙間、気の抜けた一瞬、阿幾は常に彼の傍にいた。
それは苛立たしかったが、嫌ではなかった。
子供の頃からずっとそうなのだ。
阿幾は村の外から来たけれど、まるで共に生まれたように、阿幾のいない時間など匡平には考える事もできない。
空気を吸うように自然だった。
匡平は茂みを掻き分けると、足音を忍ばせて土壁に近付いた。
幸い、警備は手薄だ。座敷牢の住人と懇意になりたがる者はいない。
暗密刀は結界で封じられているし、手足を鎖で拘束された罪人が逃げ出せる訳がない。
ただ、土壁越しに会話位は出来るだろう。阿幾が一番奥の座敷牢である事も幸いした。
(阿幾の奴、どうしてるかな?)
何から話せばいいかと思いながら、耳を壁に押し当てる。
「…あっ! んあっ! はぁ…ん…あっ!」
くぐもった甘い声を一瞬聞き間違えかと思った。
だが、確かに幾度も聞いた事のある阿幾のよがり声だ。
「うぁ…っ、あっ、そこっ、そこっ…もっとぉ…」
「本当、ガキのくせに好きだよなぁ。おら、手も休めんなよ」
「うっ、こいつ…マジヤベェ。女より…しゃぶんのうめぇな」
「だろ?後で代われよ。ミルクのお代わりをあげねぇとな」
「お、おい、早く俺にもヤラせろよ。我慢できねぇ!」
「お前、男にゃ興味ねぇとか言ってたくせに」
「うるせぇ! こいつ見てたらクルんだよ」
「ハハ…上も下も塞がってんだ。公衆便所は順番にな。
いっそ、こいつの足でコイてもらったらどうだ? こいつの肌、滑々して気持ちいいぜ」
男達は数人いるようだ。凍り付いて動けない。
聞いてる内に顔が引き攣ってきた。知ってる声が幾つもある。
「おおおっ、凄ぇ!…中ビクビクして食いついて…くるっ!
おおッ、出るっ!出るっ!中ぁ出すぞ!」
「んぐっ!ふぁっ…あ…ああっ!」
「ヘロヘロだな、コイツ。もう縛ってなくていいんじゃないか?」
「バッカ。縛ってるから興奮すんだろ。おい、代われ」
「…んぁっ、はぁ…やめ…あ…っあっ!」
「おー、たまんね。イッたばかりの穴は…ブルブル痙攣してやがるっ!」
(嘘だ…っ!)
匡平は思わず身体を壁からもぎ放した。
喘ぎながら天を仰ぐ。
阿幾が輪姦されていた。この壁の向こう側で。
(お社で働いてる奴等だ。でも、奴等が何でこんな事っ!)
阿幾はまだ十四歳だ。しかも一生幽閉されると決定が下った。
なのに、警備に当たる者が率先して子供を襲っているなどありえない。
はらわたが煮えくり返る。
(殺…してやるっ!)
玖吼理を起動させようとして、感触が空回りするのを感じた。
あるべきものが傍にない。
自分から隻を辞めたのを一瞬完全に忘れ果てていた。
「くそ…っ!」
思わず草を引き千切って投げ捨てた。
沸騰寸前のマグマが体内で荒れ狂っている。
こんな状態で玖吼理を起動させれば以前の二の舞だ。
だからこそ、そんな自分を恐れ、隻を辞めたのに。
だが、今この瞬間、匡平は玖吼理を手放した事を心底後悔していた。
どんな結果が訪れるか明白であろうとだ。
(阿幾を助けなければ…)
匡平は唇を噛み、胸を掴んで、必死に冷静になれと言い聞かせた。
血が上ってはまともに考えられなくなる。
でも、ただ人の匡平に何の力も権限もなかった。
玖吼理なしで解決するというのも初めてだ。
自分がいかに玖吼理に頼ってきたか恥じ入るが、反省は後だ。考えるのに集中する。
(別に注意を引きつければいい。
ボヤを起こして連中をおびき出し、その隙に阿幾を連れ出すんだ)
最初、それはいい手に思えた。
だが、その後はどうする。
この村は絶海の孤島のような所で、隣の村に行くだけでも相当距離がある。
子供だけで山越えは無理だ。この村では頼る宛てもない。
山に潜んだ所で、隻同士感応し合うから、あっという間に発見される。
仮に村から脱出できたとしても、十四歳の子供二人、どうやって生き延びていくのか。
(結局…お社頼みか)
匡平は溜息をついた。気が進まないが仕方がない。
阿幾が幽閉されるのは匡平も納得していた。やはり、阿幾は罪を償わねばならないと思う。
村人は阿幾や先生に冷酷だったが、藁のように殺されていい訳ではない。
恨みや偏見はあるだろうが、必要以上の虐待は止めて欲しかった。
男達を止められるのはお社の上層部だけだ。
匡平は携帯を取り出した。言葉で訴えた所で、証拠がなければ無視されるだろう。
手早く音声録音の操作をし、壁に押し付けた。お社も醜聞は広めたくない筈だ。
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