「空気力学と少年の詩」 7
「阿幾…」
匡平は絶句した。
立ち尽くし、唇を震わせながら見下ろす。
ある程度ひどい状態だというのは覚悟していた。
汚れた身体を清めようと、ハンカチを珍しくポケットに忍ばせてよかったと思っていたのだ。
だが、村人が『阿幾を壊す』と言った意味をもっとよく考えてみるべきだった。
床に横たわるのでなく、壁に寄りかかっていた意味も。
阿幾の両手は一括りに縛られて壁から吊るされていた。
立ったままでなく座らせているのは一見慈悲に見える。
だが、その脚は片方づつ縄でまとめて縛られていた。
足を閉じる事が出来ないようにする為だ。
そして、露わになった秘奥には太いバイブが深々と埋め込まれていた。
ご丁寧に抜けないよう、上からテープを貼って固定してある。
さっきから虫だと思っていたハミングの正体はこれだったのだ。
散々、犯された上、こんな身体で放置されたら、すぐ衰弱してしまうだろう。
本気で殺す気なのだ。
だから、あさましい欲望に駆られた事も平気でやれる。
見つからない。罰されない。
箍を外した人間の下卑た欲望は匡平には想像もしたくなかった。
(ひどい…ひど過ぎる…)
しかも阿幾は全裸ではなかった。
隻の正装である神子服を着せられている。
暗密刀の色と揃いの濃紫と真紅で仕立てられた狩衣。
誇らしげに纏っていたそれが、今は破かれ、捲り上げられ、見るも無残な事になっていた。
(あいつら…わざと…)
阿幾だけでない。隻を貶める為にやったのだ。
村人の隠れている隻、引いてはお社への憎悪が伺えた。
普通、狩衣はお社で管理している。
引退しても隻の衣装が下げ渡される事はありえない。
なのに、こんな風に隻を穢す為に使われるなど。
(お社もどうかしてる…っ)
眩暈がしそうだった。
神ではない。
結局、お社にとって本音はそうなのだ。
神の抜け殻と崇め奉るその裏は彼らの権力を支えるからくり人形に過ぎない。
だから、こんな扱いが出来る。誇りも尊厳もないもない。
只人になった瞬間から、全く扱いが変わる事から気づいてもよさそうなものだったのに、やはり自分はお坊ちゃん育ちなのかも知れない。
数百年の間に隻の血統もすっかり衰えてしまった。
本家筋ですら、隻の資格を持てぬ者は多い。分家など尚更だ。
阿幾は例外中の例外だった。
だからこそ、本家から疎まれる原因の一つでもあるのだが。
お社には長年蓄えてきた財力と権威がある。
日向の当主も隻の資格がなくても、強権を振るっている。
先細りし続ける隻の血に頼らずとも構わないという心積もりがあるからか。
内情は数百年、小さな村の中で政権争いばかり続けてきた、ちっぽけで脆弱な井の中の蛙に過ぎないのに。
(じゃあ、俺達、隻って何なんだ)
それが悲しかった。
村を覆う深遠な森。その森と意識を通じ、山の意思を人々に伝える者。
案山子と隻の名を戴く以前は、自然界との橋渡しをする神子であったらしい。
だが、世は移り、人は自然の声を聴く事も忘れ、儀式は形骸化した。
そして、今は阿幾を精液まみれにして貶め、悦んでいる。
(そんなもんじゃあない…)
心の中に渦巻くものがドロリと動いた。
匡平の見たくない自分の一部。
龍脈。自然を流れる太古の力。
それが吹き出したがって蠢いている。
天照素に出会って以来、ずっと感じている粘つくような圧迫感。
それがすぐ肌の下にあった。
名もなき神々が怒っている。穢された報復をしろと。
思い知らせよ。脆弱な人間どもに。
(違う!)
匡平は必死にその衝動を押さえつけた。
自然は人間など意にも介していないが、優しかった。
だから、隻は皆、空を飛ぶのが好きだ。
あの素晴らしい解放感。青い大気と溶けていく一体感を知っている。
(こんな事を許しちゃいけない)
だが、お社の理不尽さに絶望しかけながらも、阿幾の破壊衝動には賛成しかねた。
人のやる事ならば変えられる。解ってもらえる余地はある筈なのだ。
希望はいつも残しておきたかった。最終的な亀裂にしたくない。
この時の匡平にはまだ青臭い理想論があった。
先生の最期や阿幾の処遇に大きく心は揺らいでいたが。
匡平は唇を噛み締めて阿幾の傍に座った。
白い脚に食い込んだ縄が紅く擦れて痛々しい。
痣だらけの肌や紅く脈打っている中心部から出来るだけ目を逸らしながら、解こうと手をかける。
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