「終幕を迎える時」

(…重い)

 泥のような眠りから目覚めた。
「凡字」の力を使った時はいつもこうだ。何処か得体の知れない真っ黒で氷のように冷たいぬ かるみに引き摺りこまれ、そこからゆるゆると浮上してきたような後味が精神に残る。
 あれは多分「死」なのだろう。

 実際、戦闘で幾度か「死」を迎えたが、見た事もないような綺麗なお花畑も綺麗な川も神田は一度も見た事はない。寿命で死んだ訳ではないからだろうか。
 それとも、神田を迎えに来てくれる人間は誰もいないからなのだろうか。

 しかし、死ねない。この烙印が胸に刻まれている限り。
 そんな安息は許されていない。
 死んだ瞬間に引き摺り戻される。
 戦場に立ち続けろと、叫ぶ声がある。
 だから、誰も川の向こうに迎えはいないのだろう。
 今のところは。

 とはいえ、この恢復の後味はいつまで経っても慣れない。今回の戦闘で死に掛けたのは、自分がアクマの罠にまんまとハマったからだ。
(…ったく)
 神田は舌打ちして、寝転んだまま髪を掻き揚げた。再生は寿命を代償にする。300年も生きるのならともかく、このままでは永遠に目が覚めない事もあるだろう。
 最初、凡字を刻んだ頃はそれもいいと思ったが、いざ寿命が尽きた時、思い半ばでという事だってあり得るのだ。余り、過信してはいけない。

(しかし)

 何だか変だった。
 いつもなら自分から浮上するのに、今回は何かに引っ張られた気がする。引っ張られたなら体が軽く感じるものだが、反対に神田はずっと
(…重い)
と思い続けていた。
(解ったから、退け)
と妙な事を考えていた。
 何でそんな事を思ったのだか。




「お目覚めですか?」
 丁寧な低い声に神田は目を向けた。探索班のトマが実直そうな目が彼を見下ろしている。
「…ああ。…あれから、どれ位経った?」
「三日です」

 神田は顔を顰めた。直りが遅れている。相当重傷だった自覚はあるが、それでも三日もかかっていては戦場では死を意味する。戦いが終了したからと、体が安心して休息を取ろうと勝手に判断してしまったのだろうか。

(だらしねぇな)

 神田は唇を噛んだ。別の可能性は敢えて押し退ける。どうせコムイに指摘される事になるのだ。苦い思いはその時すればいい。
 神田は目先の事に目を向けた。

「モヤシは?」
「マテールで人形と一緒です」
「何だ、まだあいつイノセンス取ってねぇのか?」
「約束を守るとおっしゃって。ララとの」
「フン…」

 神田は鼻を鳴らした。その為にアレンは神田と激突し、遂に節を曲げなかった。神田に対し、食い下がった人間は初めてだ。だから、神田もつい彼に引き摺られた。手を貸すなんてするつもりはなかったが、体が勝手に動いてしまったのだ。
 全くムカツくが、心の何処かでアレンを認めてもいる。
 自分の意見が間違っているとも思えないが、対立した事が何故か嬉しい。
『違う』と何処かで言われたかったのだろうか。
 戦場での犠牲が救いに結びつかない方が多い事が解っていても、尚、違うんですと否定して欲しかったのか、自分は。

(バカな…)
 自分までそんな甘っちょろい夢を見てどうする。

「いくら時間の問題だからって、モヤシの野郎も怪我してたろうが」
「はい。でも、大丈夫だとおっしゃって。色々お止めしたんですが、頑固な方ですね」
「それは身に染みた」
 神田がくさすと、トマは微笑んだ。どっちもどっちだと言いたいのだろう。
「全く…バカな奴だ。どうしてわざわざ辛くなる方を選ぶんだ、あいつは」
「ウォーカー殿は強い方だからではないですか?」
 神田は首を振る。
「強くたって、傷は残るだろうが。消せない傷にいずれ押し潰されるって事、あいつは解っちゃいない。これだから、新人は…」
「…それはそうですが」
「何だ」
「言っても、ウォーカー殿は変わらないと思いますよ」
「それも身に染みた」
 神田は肩を竦める。またトマは笑った。神田はベッドから起き上がり、膝を抱える。


「なぁ、あいつはあれからずっとマテールか?」
「はい? そうですが」
「…いや、いい。俺の思い過ごしだ」
 トマは神田を見つめる。


「おられましたよ」
「え?」
「ここに神田殿を運び込んだのはウォーカー殿でした。緊急の輸血が必要だという事でしたが、こんな診療所ですから必要量 がなくて、ウォーカー殿はご自分の血をと言われたんです。
 医師は反対されましたが、是非にと押し切られました。あの通り、頑固な方ですからね。
 傷の手当と輸血が終るまで、ウォーカー殿はずっとあなたの側におられました。かなり、だるかったんでしょうね。あなたのベッドに頭を凭せ掛けておられましたよ。
 神田殿は大丈夫かと何度も繰り返して、あなたの指を握っておられました。
 心から心配そうに。
 もしかして、ウォーカー殿は近しい人を亡くされた経験がお有りなのかと思います」
「…………」
 神田はトマを見つめた。

『大事なものは昔、失くした』

 アレンはそう言っていた。その言葉すら出すのが苦しいように。それがアレンの意志を支えているのだろう。だとしたら、何と強く、何と危うい事か。失くしてしまった大事なものの為にアレンが闘っているのなら、ならば、アレンには今、守るべき大事なものなど、現実にはない事になる。
 何の慰めも得られない事になる。
 それでも、アレンはそれを支えにしていくしかない。
 それをまたここで切り売りしていったのか。あの意志の固さで。
 神田は掛け布を握り締める。

(…重い)

 重い訳だ。あの重さはアレンの重さだった。アレンの命の重さだった。
 アレンは神田の顔を覗き込みながら、ずっと祈っていたのだろう。
 犠牲と救いの意味を、零れ落ちそうな手の中で握り締めながら。
 アレンはここにいた。
 神田はベッドのぬくもりに指を滑らせる。多分、もうアレンが残していったものはなくても、それでも触れてみたかった。

「だから、あいつはバカなんだ。輸血だと? 何で止めねぇ、トマ!
 俺が大丈夫な位知ってるだろうが。あいつの体は普通の…!」
「だから、色々お止めしたんです。しかし、筋金入りの頑固な方ですので」
「ああ、全く。身に染みる!」

 神田は大きく溜息をついた。トマを責めても仕方がない。神田の体の秘密は極秘条項だ。トマはアレンにそれを告げる事は許されていないし、基本的に探索班はエクソシストの指示に従わねばならない。
 神田の命は凡字が守っている。
 だが、アレンの血液が自分に流れている事実を神田は噛み締めた。命を削ってでも、誰かを救いたいと願う心は同じだという事を。
 背中合わせに立ちながら、同じ場所へ向かう事を。

(…バカ野郎)

 苦々しく、しかし、切なくその想いを感じながら、神田はトマを見た。
「コムイと連絡を取りたい。その後すぐ退院する。
 モヤシのバカを迎えに行かねぇとな。どうせあの街でへばってるだろう。
 あんな奴にいつまでもイノセンスを任せておけねぇからな」
「判りました」
 トマは頷く。

 神田は空を見上げる。青く澄んだ空だ。風が少し強い。微かにあのララの歌が混じっているような気がする。
 死者を送る子守唄。
 そして、いずれ自分をも。
 だが、神田はふとララに願わくばもう一曲リクエスト出来ないものかと思った。
 アレンを優しく眠らせる子守唄を。

 
エンド

TVのマテール編がちょっと余りな出来だったので、補完。
何で最初からYさんが担当して下さらなかったんだー(泣)
マテール編で着ていたアレンの団服は神田のお下がりよねとか、
今でもマテール編は萌えますv

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