「ドッペルゲンガー」 3

 

 静雄が不機嫌だった一日。
 同じく新宿の情報屋も浮かない顔だった。

 想いがかなって、臨也が一方的に幸せになる筈だったが、彼はそれに浸りきる事は出来なかった。
 正直、まだ腰だけでなく全身の関節が痛い。
 静雄は注文通りレイプしてくれた。優しさやいたわりなど一切ない。
 望んでやった事とはいえ、腕がもげるか、首が捩じ切られるかという恐怖と紙一重だった。
 静雄に幽という絶対的な歯止めがなかったら、血飛沫の中で犯し殺されていただろう。
 実際、静雄がマジでキレかかる瞬間を何度も何度も味わったのだから。

「ひどく犯られたねぇ。昔のムチの傷に比べればマシだけどさぁ。
 君の性生活に興味は全然ないけど、痛いの好きって僕にはよく解らないなぁ」

 セルティから痛めつけられるのは大好きな変態のくせに、新羅はそう言って笑う。

「あんまり相手をとっ換えひっ換えするのもよくないんじゃない? 
 確かに後腐れはないだろうけど、行きずりの他人だから何するか解んないし、変な病気持ってるかも知れないし。
 治療させられるのは僕なんだから、ちょっとは気を使ってよ。静雄といい、君といい、僕を便利に使いすぎるよ」

「今日の奴は、絶対にそういう病気だけは持ってないよ、新羅」
 臨也はベッドでうつ伏せに寝そべったまま、上の空で呟いた。ふーんと新羅は目を細める。


「ま、いいけどね。君がそんなんでしか感じなくても、性癖は人それぞれだからね。
 しかし、あ〜あ、ひどい痣だらけじゃないか。
 キスマークにしちゃ、あちこち咬まれまくってるし、腕に手形の痣まであるよ。
 よっぽど腕力の強い奴だったんだね。
 外人? それとも、狼男に犯られたの?」

 臨也は壁を向いたまま答えない。新羅は目の奥で笑い、傷口を消毒しにかかる。

「後で座薬出しておくから。熱冷ましも。
 明日はちょっと寝込む事になるかもよ?」
「それは困るな。客と会う約束がある」

 暗にキツメの薬を出せと言われて、新羅は大袈裟に溜息をついた。
 全く闇医者にかかる患者は、どいつも非合法なのをいい事に無茶な依頼ばかりしてくる。
 どうせドクターストップとか聞く気もないくせに、強い薬は万能だと思い込んで、大量に欲しがるのだ。


「だ〜か〜ら〜、そういうの考えて相手選びなよ。臨也は頭がいいくせに自分の本能に忠実すぎるよ」
「ダメなのか?」
「まぁ、出せと言われたら金額次第で応じるのが闇医者ってもんだけどさ。
 臨也はホントにこういう事が好きなんだね。命のやり取りとか死のスレスレって奴。

 相手が逆上して思わぬ行動に出るかも知れないのに、わざと怒らせてさ。
 手のちょっとだけ届かないとこに立って笑うんだ。
 そういうのでないと、生きてるって感じがしない?」
「さぁね。腹の探り合いばかりしてるから、たまには本音でぶつかり合うのも悪くない」

 臨也はニイと笑った。

「本音ねー。君のそれは一年に一度聞けたら良い方だけど。
 それより、セルティが運び屋だからって、男の服一式、下着まで買いに行かせるのは止めてよね。
 セルティは君がこんな性癖持ってるの知らないんだから、ショック受けたらどうするの!」
「裸は見せてない」
「当然だよ! セルティは女の子なんだから、今の君の姿まともに見たら寝込んじゃうよ。
 人間に幻滅覚えて、愛想をつかされたら困るんだ」
「あいつは俺に夢なんか抱いちゃいないだろ。お前が問題なけりゃいいんじゃないのか?」
「そりゃそうだけどね。
 確かに僕らはどちらもこんな闇の稼業だけどさ、出来るだけセルティには人間の日の当たる部分を見ていて欲しいんだよ」


 臨也の肩が少し震えた。嗤っているのだろう。それこそ
(一体、どんな幻想を見てるんだ?)
 と。
 彼女をアイルランドに本気で帰す気もないくせに。池袋に縛り付けているくせに。


(でも、僕は…) 

 新羅は肩をすくめ、治療を続けた。
 臨也がセルティに対し、何か企んでるのは薄々感じている。 
 彼女の幸せを思うなら、臨也の手の届かない場所に帰すのが一番なのだ。

 臨也は新羅との友情など考慮しないし、絶対に諦めない。
 父親の森厳が唐突に帰ってきたのも気にかかる。
 だけど、それは出来ない。僕は20年彼女を得る為に戦った。
 やっと思いが通じ合った矢先、彼女を手放すなど。


(にしても、整ったいい体してるんだよね、臨也は)

 新羅はすべらかな背中に脱脂綿を当てていく。
 パルクールをこなし、静雄やヤクザとの抗争も掻い潜る彼の体はしなやかで程よく筋肉がつき、引き締まっていて美しい。
 だが、細かい傷が一杯ある。理由を口にしにくい傷もたくさん。


「なぁ、新羅」
「何?」
「お前、ドッペルゲンガーって見た事ある?」


 唐突な質問に新羅は瞬きした。

「ないね。世の中似た人は三人いるっていうけど、僕に顔は似てても、中身まで似てる人に会った事はないよ」
「そりゃ、心からよかったな」

 お前のような変態が沢山いたら困るという揶揄を、新羅は無視した。
「ホントにね。セルティは一人しかいないんだから、僕は一人で充分だよ」
 新羅は臨也の傷に薬を塗り終わると、バンソウコを貼っていく。


「見たの?」
「会った」
「どんな感じ?」
「子供だった」
「え?」

「子供のドッペルゲンガーだった。あれをそうと呼ぶのなら」
「ドッペルゲンガーに出会ったら、数日中に死ぬというね。民間伝承では」
「子供でも死ぬのか?」
 顔だけこちらに向ける臨也に肯いた。


「精神医学では、姿かたちは一定していないんだ。
 半透明とも言うし、老人や子供の場合もあるし、本人と全く別人という例もあるよ。
 影みたいに本人と同じ行動を取る事もあれば、全く別行動をとるとも謂われる。

 脳の異常と取る説もあるけど、他人がドッペルゲンガーを目撃する例も多いから、一概に神経の異常とは言いがたいね。
 実際に出会って数日後急死した例も幾つかあるから、そのせいでオカルトっぽい扱われ方をしがちなんだ。
 見た本人がドッペルゲンガーに殺されたって捉える人もいるからね。

 ドッペルゲンガーって印象的な呼び名のせいで、現象は西洋だけに限られてると思いがちだけど、日本や中国でも
 昔から結構資料が残ってるんだ。
 因みにドッペルゲンガーって「二重に歩く者」ってドイツ語だけどね」


「つまり、ドッペルゲンガーは本人に対して、悪意のある殺意が具現化したって民間伝承は言ってる訳だ」

 臨也は目を細めて、それとの短い邂逅を思い出した。
 確かに「それ」はいた。

 

「ったく、キスなんて。殴られた方がマシだったかな」

 唇に触れて、静雄から締め出されたドアを睨む。

「やれやれ、シズちゃんはホントに乱暴だよね。誰かいたらどうすんの」

 静雄からロビーに投げ出されたが、幸い誰もいなかった。
 こういう場合を想定して、半日会場をキープしていたおかげだ。
 いかにも「レイプされました」みたいな姿の、しかも男が池袋の映画館のロビーのど真ん中に放り出されたら、
 どんな騒ぎになるか考えもしないのか。
 あの単細胞はどんな異常事態が起きようと、スキャンダルになると考えもしないらしい。

(それとも、そこらは俺が事前に考慮すると思ってるのかな。
 それは随分甘いけど…でも、まぁ今回はその通りだし)

 憎まれてるのに、信頼されてる部分があるのが憎らしい。
 それとも、ホントに何も考えていないのに、偶然事態がうまく転がる星の元にでも生まれついてるのか。

(それじゃ、俺の計画を邪魔するばっかりだし、永遠に殺せないじゃないか、シズちゃんは)

 臨也は思考に思考を重ねて計画を立てるのだが、静雄は勘と思いつきと偶然とあの暴風雨のような力で、
 それをたやすく捻じ曲げてしまう。
 それが憎らしい。

 今日はうまく行った。けど、静雄を屈服させた気がしない。
 彼の心を捻じ曲げる梃子が見つかった訳でもなく、今後、自由に操れる筈もない。
 今日の事を静雄の完全な弱みにしなかったからだ。どちらかといえば臨也が折れた。

 静雄が欲しかった。触れたかった。
 静雄を手に入れる事だけを最優先にした結果がこれだ。

(今更、俺が猫かぶってデレて見せたって、シズちゃんは余計に俺を信用しないだろう)


「い〜〜〜ざ〜〜〜や〜〜〜ぁ!」

 客席から静雄の催促が聞こえてくる。防音がしっかりしてるのに、何てデカイ声だろう。
 筋肉も化け物だが、肺活量も当然化け物級らしい。

(すぐキレる性格でなければ、最年少で金メダル総舐め出来たのにね)

 学生の頃も静雄の並外れた運動能力に惹かれた運動部は多かったが、結局誰も勧誘しなかった。
 スポーツは連帯責任だ。出場停止が約束された爆弾を入れる事はしない。

 静雄は池袋最強。最凶のケンカ人形。
 彼の生涯にこれ以上、別の肩書きがつく事はあるまい。
 彼の魔人染みた能力は誰にも知られる事もなく埋もれていく。
 それが都市伝説という奴だろう。

 自販機を投げる。
 そんな人間がいると大半の者が知ってても、池袋以外の静雄を見た事がない奴は冗談だと切り捨てるから、
 そこで話は終わってしまう。

 ありえない与太話。ただの空想。噂話。酒のつまみ。
 でも、それでいい。俺が知ってれば十分だ。
 あの罪歌に乗っ取られて、静雄に潰された雑誌記者に話す事なんか何もない。
 静雄の魅力を話すなどもったいない、あんな奴に。


「い〜〜〜ざ〜〜〜や〜〜〜ぁ君よぉ!」

 イラついてる。やれやれと臨也は肩をすくめた。
 携帯で支配人と再上映の件で話し、次にセルティの番号を出す。
 打ち合わせの為、チャットを立ち上げた。

「よぉ、優秀な運び屋さん。悪いけど、男物の服を上から下まで一式買って、この映画館まで持ってきてくれないかな。
 ブランドやサイズを指定した別メール送るからよろしく」

 セルティが困惑したように書き込みをする。

『かまわないが、私が買うのか?』
「悪いねぇ。最近は堂々と買い物くらいしてるだろ、新羅のために? 君もドレスとか買ったりするのかな」
『余計なお世話だ。…ああ、メール来た。…何だ、これ。ボ、ボクサーパンツ? 
 お、おい、私がこれ買うのかっ? 
 男の下着なんて、一体お前、何やったんだっ? 何で要るんだっ?』
「悪いねぇ。君も新羅の選んだり、買ったりすんだろ? 
 トランクスでも我慢するけど、受け狙いの変な柄とかやめてくれよ」

『冗談じゃない! わっ、私、新羅のなんて…っ』
「選ばないの? 恋人同士なんだろ? ベッドで下着に拘るくらい女のたしなみと思ってたけどな」
『ベ、ベッド! 真昼間に何て事言うんだ、お前!
 そ、それにた、たしなみなんて…っ、私っ』
「えええ。まさか、新羅、そこまで奥手じゃないよね。
 二十年間も愛した女にまだ指一本触れる度胸もないとか。キス一つやってないとかないよね〜?」


 チャットを続けようとしたが、一方的に着信拒否にされた。臨也は携帯に向かってニヤニヤ笑う。

 本当に人間らしくなったものだ。
 池袋で無許可の運び屋をやるのは危険と隣り合わせある。
 初めて会った時は事務的で冷徹で付け入る隙を与えまいとしていたが、あれも新羅に自分について警告を受けていたからか。
 しかし、今はまだまだ初心な普通の女の子だ。新羅がメロメロなのも無理はない。

「さて、と」

 携帯で情報集めなどしながら時間を潰すかな、と思った瞬間、『それ』が彼を見つめているのに気づいた。

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