「ドッペルゲンガー」 5

 

「はぁ、参ったなぁ」

 静雄は深々と溜息をついた。
 少年を仮眠室に寝かせ、子供の身内がいないかトムと探し回ったのだが、やはりというか当然というか、該当者はいなかった。

「もう夜も遅いし、子供もよく寝てるようだし、朝までうちで預かって、明日朝、交番に連れてこう」

 トムの提案は至極まともだった。

「じゃあ、俺が一緒に泊まるッス。やっぱ、俺が拾ったんだし」
「そっか、悪いな。医者、呼んでおけよ」

 トムは帰宅してしまい、静雄は子供と二人きりだ。新羅に電話してみたが、他所に往診中らしく出てくれない。
 留守電に用件だけ入れて、子供の隣に引いた布団の上で胡坐を組む。
 仮眠室でも自宅でも静雄の基本スタイルは変わらない。
 TVも見ず、雑誌や新聞も用がないので、風呂に入って寝るだけの淋しい独身生活である。
 幽以外の誰かと一緒に寝るのは沖縄の修学旅行以来だ。

(あ〜、あん時ゃ臨也がよぉ…)

 どす黒い思い出が蘇ってきて、眠れなくなりそうだったので、瓶牛乳を飲んで心を落ち着かせる。
 だが、子供の顔を見るとまた臨也を思い出してしまい、溜息が止まらない。
  頭をボリボリ掻いて、布団の上に大の字になった。

「はぁ、ホント参ったなぁ。こいつにゃ罪はねぇのによ」

 似てるからといって、責めるのは酷だろう。だが、一日中昨日の事でグルグルしていたのだ。
 出来れば、子供と一緒にいたくなかった。

(新羅が往診に来るついでに押し付けるつもりだったのによ)
 自分勝手な事を考えながら、静雄は頬杖をつく。
(幽に今度、どの面下げて会えばいいんだよ。臨也の野郎…っ)


「……ん…」

 眠っていた子供が始めて反応した。
 見ると何か夢でも見てるのか幸せそうな、勝ち誇ったような顔をしている。

(何かムカッとすんなぁ)

 静雄は少年の頬をツンツン突いた。
 柔らかな肌がふにふにして気持ちいい。やはり大人とは触感が違う。

(臨也は結構引き締まってたもんなぁ。無駄な贅肉も全然ねぇし)

 刹那、昨日の全てが全部思い出されて、静雄は真っ赤になって布団に突っ伏す。
(ぐわぁ〜〜〜、俺はバカだっ! どうして見えてる地雷を自分から踏むような真似を…っ!)

 寝た方がいい。寝て、全てを忘れるのだ。
 静雄が布団をかぶった瞬間

「うう…んんっ!」

 少年がまた身じろぎした。


(うっせぇ、無視だ、無視!)

 そう思って布団に深く潜ったが、少年の魘される声は止まない。
 気になって、起き上がると少年を見下ろす。
 先刻と違って、少年は汗びっしょりだった。
 眉をひそめ、泣きそうな顔で顔を歪め、何か判らぬうわ言を呟いてる。
 何かから逃げ出そうと身を捩り、首をしきりに振っている。指が誰かを掴もうと探している。
 その姿に妙に胸が詰まって、静雄は少年の指に触れた。肩に手を置いて揺する。

「おい…おい…大丈夫か?」

 その瞬間、パッと少年の目が開いた。黒曜石のような瞳が静雄を捉え、ギュッと痛い程手を握り返される。
 黒い瞳が見る見る潤んだ。
 刹那、少年は飛び起き、静雄の首に手を回して抱きついていた。

「シズちゃん! シズちゃん! シズちゃん!」
「え、おいっ?」
「よかった…! よかった! 生きててくれて。
 僕、シズちゃんの事、本当に殺しちゃったかと…っ。ごめん、ごめんね。もう僕は…」
「はぁ? 変な夢見んなよ」
 物騒な言葉に静雄は眉をひそめた。

「何で手前、俺の名前を知ってんだ? ガキのくせに殺すとか、臨也と同じ顔で臨也と同じ事を言いやがって…」
 だから、ムカつくと言いかけた言葉は口の中で途切れた。


 少年の顔が空白になっている。泣いて紅潮していた顔が嘘のように白い。
 その黒い穴のような瞳から、ほろほろと機械的に透明な涙だけが零れ落ちている。
 その顔は壊れていた。涙と一緒にぽろぽろ、ぽろぽろと破片が落ちていく。
 少年の中の何かと一緒にこぼれ、崩れ、潰れて、欠けて、彼らの足元に溜まっていく。
 静かに、静かに、少年はその形をなくすように壊れていく。

「…………っ!」
 静雄は言葉もなく、夢中で少年を抱きしめていた。

(消えるな、消えるな)

 それだけを念じた。そうでないと、体だけ残して、少年が崩れ果ててしまうように思えた。
 少年が臨也に似てるとか、どんな言葉を言ったのか、そんな事はどうでもよかった。
 少年の表情が、臨也そっくりの瞳が、悲しくてつらくて、見てるのがただ苦しかった。
 少年を蝕んでる絶望感が痛かった。

 臨也にこんな顔は似合わない。臨也が泣く訳がない。
 不敵で忌々しい。いくら殴ろうとしても届かない。それが臨也だ。彼の仇敵だ。
 だから、消えるな。

 少年は身動き一つしない。体温も子供なのに驚くほど低い。
 まるで人形のようで、まるで死んでるようで、まるで臨也が本当に自分の腕の中で消えていくように思えて、
 静雄はいつまでも少年を抱きしめていた。

 

「落ち着いたか?」
「…うん」
「大丈夫か?」
「…うん。ごめん、怖い夢見たんだ…とても…イヤな夢」
「解ってるよ」

 静雄は少年の頭を優しく撫でてやると、温めたミルクの入ったマグを差し出した。
 湯気と共に立ち上る香りに少年はちょっとイヤな顔をする。

「牛乳が嫌いか?」
「…………」
「牛乳を飲まないと、おっきくなれねぇんだぞ?」
「…なれなくてもいい。このままでいいよ」
「一口でいいから」

 いつもなら怒るところだが、辛抱強く静雄は勧める。
 少年はミルクと静雄を見比べ、仕方なさそうに一口だけ飲んだ。
 少年が飲んだのを確認し、布団に寝かしつける。少年は横になったままじっと静雄を見つめていた。
 何となく照れ臭くなって、静雄は言葉を探す。

「名前、何て言うんだ?」
「イザヤ」
「…………」

 さすがに絶句した。どう切り替えしていいか解らなくて、タバコを探したが、さすがに子供の前で喫煙するのも憚られ、
 火をつけるなり、すぐ携帯灰皿に押し込む。

「マジで?」
「この名前、嫌い?」
「あ〜〜〜。まぁ、普段はノミ蟲って言ってるしよー。
親御さんも何か思うところあって、その名前をつけたと思うし、滅多にそんな名前ねぇし」
「どっちなの?」
「嫌いじゃねぇって事にしとく」
「何それ」

 少年はクスクス笑った。さっきに比べると血色が戻ってきたようだ。静雄はホッとする。

「あのよ、俺の名前、どうして知ってんだ?」
「…………」
「ん〜〜〜、言わなくなかったら、無理にとはいわねぇけど」

 少年は微笑んだ。

「知ってる人に凄く似てるんだ。シズオ。シズちゃん。いつも青い繋ぎ着ててね」

 青のつなぎか。そういえば、昔、ガソリンスタンドで働いてた時着てたっけ。

「暴力でガサツで話が通じなくて、凄いわがままでさ。そんなシズちゃんをからかうのが大好きだったな。
毎日やっても飽きなかった。どうからかうか、どんな顔をするか見るのが楽しみだった」
「ほー」
 手の中のライターをつい握り潰してしまう。

「いっつも僕達、ケンカばっかりしてた。
 シズちゃんは何だかんだ言っても、いつも僕の相手してくれてたから、今思うと楽しかったな、あの頃。
 ずっと、そんな日々が続くと信じてた」


 でも、とか少年は話を続けなかった。
 目を伏せて思いに耽ってる。静雄も先を促さなかった。
 少年の反応からして話の先は想像がついたし、自分と同じ境遇で同じ名前の男が死ぬ話は聞きたくない。

(でも、俺と臨也に比べて、こいつらは年齢が離れすぎてる。
 近所の兄ちゃんと悪ガキの話ってとこか。ガキってのは調子に乗ると歯止めがきかねぇ。悪ふざけが過ぎたんだろうな)

「お前、どっから来たか解るか? ここが何処かも」
「もう一つの池袋、でしょ。シズちゃんがいる世界」
「どうやって来たか解るか?」

 少年は首を振った。

「戻りてぇか?」
「シズちゃんがいないのに?」
「けどよ」


「僕にはシズちゃんだけだった。シズちゃんが好きだった。凄く好きだった。なのに、その時は気づかなかったんだ。
 シズちゃんがいなくなってもしばらく気づかなかった。それくらい、僕は馬鹿だったんだ。

 ある日、突然、自分が真っ白だって、何もないって気づいて、何をしても馬鹿らしくなって、つまんなくて、
 生きてる感じがしなくなって、僕は…」

「おい」

 静雄はイザヤの口調が変わったのに気づいた。興奮してひどく早口になっている。
 目の前の静雄すら見えてないかのように。


「僕は苦しくて、苦しくて、空っぽで、埋められなくて、全部、手に入るものを入れようとしたけど入れられなくて、
 何にも価値がなくて、何をどうしたら、誰をどうしたらいいかどうでもよくなって、解らなくて、見えなくて、
 ただシズちゃん、シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん、シズちゃん」


「やめろ!」
 大声を出すと、イザヤはピタリと止まった。瞬きし、やっと静雄に視線の焦点を合わせる。

「だから、ここに、来たんだ。ここに」
 イザヤは低い声で呟いた。
「シズちゃんのいる所…」
 静雄は溜息をついた。

 首なしライダーが自由に闊歩し、罪歌のような妖刀が実在し、ダラーズが増殖を無限に続けてるように、
 池袋は色んなものを引き寄せてしまうらしい。どんな不思議な事が起こっても、軽く受け入れてしまえそうだ。
 自分自身が都市伝説と呼ばれてるのも知らず、静雄はそう思う。

(あの刀といい、俺を好きという奴はこんなんばっかかよ)

 臨也の顔で好きと繰り返されるのはおかしな気がした。声変わりしていないのが、せめてもの救いだ。

(でも、でもよ)

 イザヤのシズオを好きという気持ちは切なくて痛いほどだった。
 狂うほど、何処か遠い場所から飛んでくる程、相手に焦がれるというのはどんな気持ちだろう。
 シズオと自分が似ているのなら、昔から孤独だったから、誰か愛する相手が出来たとすれば、全力で手放すまいとし、
 心の底から愛そうと思うだろう。
 自分の性格からして、その激しさに歯止めがなくなるのも何となく解る。
 人同士の繋がりはそれほど貴重なものなのだ。
 一人ぼっちであればあるほど。

(イザヤと俺は何となく似てる)

 自分は静雄であって、シズオではない。イザヤを本当に満たしてくれる相手はもうこの世にいない。
 静雄には臨也がいる。あの男は絶対にイザヤを気に入らない確信があった。
 絶対、静雄と一緒に殺しにかかるに決まっている。

 それに明日になれば、トムと一緒にイザヤを警察に連れていかねばならない。その事をどうするのだ。
 仮にイザヤを家に連れて帰って、幽に何て説明する。
 イザヤは静雄を自分の一番と置きたがるだろうが、幽はそれを納得すまい。
 幽を怒らせたらどうなるか、ガキの頃からケンカするたび、静雄は身に染みている。
 幽は無表情だが、怒っても温厚という訳では決してないのだ。
  
(うう〜〜〜)

 静雄は頭を抱えた。どれも答えの出ない問題だった。
(そうでなくても、昨日の事だけで一杯一杯だってのに)

「シズちゃん?」

 唸ってる静雄をイザヤが不思議そうに見つめている。
 静雄は頭を掻いた。一番辛かったのはイザヤの方だ。
 自分はイザヤを満たしてはやれないだろうが、今晩だけはそれに目を瞑ろう。明日の事はまた明日考えよう。

「なぁ、イザヤ。来いよ」

 静雄は布団の端を持ち上げた。イザヤは驚いたように見ていたが、跳ねるようにして布団の中に潜り込んでくる。
「シズちゃん!」
 ギュウッと抱きしめられる。

(かわいい)

 ノリで抱き締め返すと、さっきのミルクの残り香が残ってて、子供らしくやわらかくてあったかくて、何だか悪くない気分だった。
 優しい笑みがこぼれる。誰かから愛されるのはこんなにも気持ちいい。

(ノミ蟲の野郎もこれ位、かわいげがあったらいいのによ)

 安心したように眠りに落ちていくイザヤの額に、静雄は自然にキスしていた。


「Heavy Rotation」本編に続く


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この後は、「Heavy Rotation」と「Heavy Rotation 2nd. Gig」をお読み下さい。
それはあんまりな…と思うので、この続き「臨也とイザヤ」も途中までは連載しますね。

仔イザヤっていたら、かわいいよなー。
仔シズちゃんが破壊的にかわいいので、原作で出ないかな。絡んだらいいな。
アニメ2期は半分オリジナルかもーって話なので、ひょっとしたら…ね\(* ̄▽ ̄*)/

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