「Fan psychology」 1(シズイザ)
―――凄いものを見た。
臨也は軽くスキップしながら思った。
『人間が飛ぶんだぜ』
初めて、平和島静雄について聞いたのは、そんな言葉だった。
『とんでもない小学生がいるらしい』
『標識をへし折ったり、数人まとめて、ブロック塀ごと素手でぶち抜いたりするんだとよ。
いやいや、空手をやってるとか、巨人症とかそういうんじゃないんだ。
ただ、強いんだ。サイボーグみたいにさ』
『ここらの不良は皆やられてる。大っぴらには言えないが、やくざもさ。しかも結構な武闘派がね』
『嘘じゃない。それも何と池袋。この隣の校区にさ』
『どんな奴って? そりゃ、見たら解るよ。
見たくはないかい、本当の怪物って奴を?
あんた、こういう話好きだろ?』
「大好きさ」
少年は答えた。
折原臨也は人間が好きだ。面白い話をいつも集めてる。
できれば、陰湿な方がいい。その方が人間の内面が鮮やかに浮かび上がるからだ。
小学生同士のゲームの話は全く興味が湧けなかった。所詮、架空の話だ。
ゲーム画面の中で多少の苦労はしても、必ず攻略法があり、全てはメーカーの手の内である。
狩った獣の皮を剥いで強い武具を作り、最強の狩人になるのは平凡すぎる。誰もが目指す道を辿って何が面白いのだろう。
その獣を操って村を滅ぼすとか、村人同士をいがみ合せるとか、そんな愉快なプレイが出来ればまた別だ。
だが、どんな自由度の高いゲームでもNPCにまで手は出せず、村も街も常に平和だ。
外にはあんな凶暴な怪物達が跋扈してるというのに。
そんなのはつまらない。「お使い」など論外だ。
親戚の話や近所の噂にはすぐ物足らなくなって、スーパーの従業員やコンビニの店員、建築場の地方労働者と次第に手を広げた。
子供が一人で行ってはいけないと言われてる繁華街の若者達もコツを掴めば、噂話を吐き出してくれるようになった。
幼い臨也が路地裏の闇の奥へ足を踏み出していったのも、ただ人間を知りたいという欲求から生まれた自然の成り行きだったのかも知れない。
人間関係が希薄と云われる都会だろうと、人間とは社会的動物だ。何かに属さなければ、何かに寄りかからなければ存在できない。
人がひたかくしに隠してる秘密程暴くのは、面白かった。ほのめかすだけでも顔色を変える。
その細いクモの糸のような関係を片方だけ上手に引っ張ると、軋みが起こり、もつれ合う。
他の糸も絡ませ合い、それが次第に大きなうねりを生むと気づいてからは、もっと人間で遊ぶのが楽しくなった。
しかし、今の臨也はまだそこまでの情報網も手管も持っていない。
人間を転がすと面白い。今はまだその程度。でも、
『見たくはないかい、本当の怪物って奴を?』
その言葉には魅力があった。出所不明な街の噂に比べて、極めて単純だった。本当かどうかは見れば解る。
噂の相手が自分と同じ歳というのも気に入った。
(でも、そういう話って尾鰭がつきがちだよね)
せっかくわざわざ足を運んで見に行くのだ。同じ歳とはいえ、凄く発育がいいとか、ただケンカ馴れしてるとかありきたりでは見る価値もない。
だから、対戦相手を用意してみることにした。
静雄にやられた奴のリストは予想以上にドッサリあったので、そこを辿ってけしかける相手は事欠かない。
そこから、出来る限り強くて凶暴な奴をピックアップしてみた。
小学生相手だろうと手を抜かない連中を。
初めて、静雄を見た時は本当に驚いた。
(こいつが? こいつが本当にコンビニのゴミ箱投げたり、高校生数人をぶちのめしただって?)
想像を出来る限り抑えたつもりだったが、全然足りなかったらしい。
昭和の香りを残す古い住宅街の通学路をトボトボ歩いていく姿は、ちっぽけで大人しくて、何処を取っても普通の小学生だった。
腕も細いし、足もヒョロヒョロ。ボサボサの猫毛で少し茶がかった髪のありきたりな子供だった。腕に三角巾を吊るしているせいか、少し病弱に見える。
(なんだぁ…)
さすがにガッカリした。見た目は自分とそんなに変わらない。
せめて、もう少し肩幅が広くて、俊敏そうで、中学生並みの体格はあるだろうと思っていた。少なくともその程度なければ、噂に信憑性がない。
でも、このマンションから見える『標的』はお世辞にも強そうには見えなかった。
(チェッ、期待し過ぎたかな)
興味がなくなると、途端にどうでもよくなるのが臨也の悪い癖だ。デカい男共が子供を半殺しにする様なんかちっとも面白くない。
(でも、もう僕が止めてもどうしようもないしさ)
臨也は常に背中を押すだけだ。転がり出した大岩が崖下で何を潰そうと、止まるまで惨劇は終わらない。
(ま、せっかくお膳立てしたんだから見とくか)
臨也はつまらなさそうに頬杖したまま、階下を見下ろした。男達が静雄に言いがかりをつけている。
連中の体格が大きいので、静雄はすっぽり隠れてよく見えない。
(失敗したなぁ)
この角度だと見えにくい。昔ながらの住宅街は道が狭くて、隠れる所もなく、少し離れた場所にしかマンションがないのだ。
連中の円陣が解ければ、静雄のボロボロな成れの果てが転がってるだけだろう。結果が判ってる試合ほどつまらないものはない。
その瞬間、人間の輪が弾け飛んだ。
(え?)
何が起こったか見えない。ただ、静雄を囲んでいた筈の輪が中央で巨大な爆竹でも破裂したかのように弾けた。
4人の男達が四方の壁や植え込みに背中や頭から突っ込む。そのまま誰一人動かない。
その輪の中心にいた静雄はフーフーと息を切らせていた。怒りで顔が真っ赤になっている。
激情が収まらないのか、尚も捌け口を求めてブンブンと周囲を見回したが、誰も反撃してこないので「くそっ」と舌打ちした。
「うっせぇんだよっ!」
一声怒鳴るなり、凄まじい勢いで駆け出し、視界から消えていった。やり場のない怒りを走りにぶつけたというところか。
「…あ〜あ…」
臨也は消えていった静雄の頭を眺めつつ肩をすくめた。
決定的なシーンを見逃してしまった。どうもすっきりしない。
実は合気道の達人かも知れないし、旋風みたいな回し蹴りを一瞬でやってのけたのか、これだけでは確認できない。
確かに人間は吹っ飛んだが、一体どうやったのか突き止めたい。それにはもう少し視界のいい場所を確保しないと。
(でも、確かに…凄いな)
来た甲斐はあった。久しぶりにドキドキしてる。同じ歳の人間に興味を抱いたのは初めてだった。もっと見たい、知りたいと思ったのも。
(次はもっと少数精鋭でセッティングしてみよっかな)
臨也はニコニコと天使のように笑った。
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