「HERO」 その1

 

「ちくしょー…」
 静雄はアスファルトの道路の上に突っ伏したまま呟いた。

 彼が自分の異常に気付いたのは、小学三年の時。
 常に『本当の全力』が出せる上に、沸点が低い性格は彼から人を遠ざけた。
 代わりに「ガキがそんな強い訳ねぇ」と噂を聞きつけて、見知らぬ不良やチンピラがちょっかいを出してくる。
 そいつらを叩き伏せれば、その仲間だか兄貴分が現れる。
 負の連鎖だった。小学生の通学路が今や殺伐とした無法地帯と化している。
 他の子供達を巻き込まぬ為、自然と静雄の帰り道は遠回りになった。それでも、彼らは静雄の居場所を嗅ぎつけてくる。



 無論、静雄は負けなかった。
 だが、まだほんの子供だ。成人して、無敵の魔王になるのは当分先の話。破壊の代償は己の体で支払わねばならない。

 今日は突進してきた二人乗りのバイクを天高く投げ飛ばした。
 その瞬間、数箇所バキゴリッっと音が鳴る。
 また骨が折れた。
 すっかり聞きなれた、だが、全然馴染めない音。
 バイクを力任せに投げ飛ばしたと同時に道路にぶっ倒れる。

 痛い。痛い。
 悲鳴が喉に詰まる程痛い。

 この分だと、骨だけでなく、筋肉や筋もかなり損傷しているだろう。アスファルトの熱さを感じる角度で、手足が不自然に折れ曲がってるのを理解する。
 恐らく、長期入院コースだ。静雄はうんざりする。病院食はマズイし、天井はすぐ見飽きてしまう。もう何度も経験した筈なのに、何故、いつもこんな事になってしまうのか。

 バイクが突進してきたら「普通の子供」のように逃げればよかったのだ。他人の家に逃げ込んで助けを求めてもいい。バイクにまともに立ち向かうなどバカのする事だ。
 チンピラ達だって静雄が悲鳴を上げて避ける事を期待していただろう。連中は相手が怯えて降参し、負けを認めれば満足する。噂が嘘だったと納得しさえすればいい。小学生相手に勝ったところで、誰も尊敬してはくれない。
  だから、真正面から相手にしなければいいのだ。多少痛めつけられて、我慢しさえすれば、この負の連鎖は終る筈。


 なのに、静雄はそうしなかった。

(邪魔だ、うるさい)

 怒りのまま、突っかかってきたバイクのサドルを掴み、思い切り放り上げた。どうなるかなど一瞬も考えなかった。撥ねられるとか危ないとか、全く頭に浮かばなかった。
『それが可能だ』と脳が判断したからだ。



 静雄の脳は肉体使用の限界を越えると身体が壊れると理解も学習しない上に、相手の力量を測る事すら最初から放棄しているらしい。
 確かに結果的に勝利したが、その結末までは考えてくれない。

(俺はバカだ)

 静雄がそれに気付くのは、いつも病院のベッドの上である。

(…痛ってェ)

 涙で目が潤む。骨折した箇所が大きく脈打ってる音が耳にガンガン響く。ショックで血圧が下がったのか、初夏だというのに少し寒い。身体が小刻みに震え、呼吸が荒くなる。

(痛いよぉ)

 この道は日中、人通りが極端に少ない。
  誰も巻き込まない為に選んだのだが、それは同時に、誰も助けにこないことを意味する。
 静雄が投げたチンピラ達はバイクごと住宅の壁にめり込んで、ここからは彼らの尻しか見えない。気を失ってるようで、トドメを刺しに来る危険はなかったが、悪くすると真っ暗になっても誰にも気付かれないかも知れない。
 この状態で車に轢かれたら、さすがの静雄でも結果は解る。

(ちくしょ…)

 静雄はまだ携帯を持たせてもらってないし、痛みで指も動かせない。誰にも助けを求められない。

(ちくしょ…っ)

 ケンカに勝ったって、何だというのだ。何の高揚も喜びも感じない。いつだってバカだ、俺はダメだと後悔する。
  今から入院すれば、殆ど登校せぬまま夏休みに突入するだろう。友達はもう新羅しかいないけれど、それでも学校は嫌いではない。逃げてれば、我慢してれば、こんな事態にはならなかったのに。
 初夏の日差しが暑い。歩いてる時は爽やかだったのに、アスファルトの上で炙られてるとジリジリ焦げていくようだ。頬の下が熱い。口の中がジャリジャリする。
  せめて、日陰のある脇に避けようとしたが、その瞬間津波のような激痛が静雄を襲った。

「って…ぇ!」

 痛い。痛くて、目に涙が滲む。せめて仰向けになろうとするが、それすら許してくれない。全身が悲鳴を上げている。 
 でも、静かだ。誰も来ない。いつまでこのままでいないといけないんだろう。この騒ぎに様子を観に来る者すら現れない。共働きが多い地区なのか。
 静雄は学校でも独りだった。いつも遠巻きにされた。静雄が暴力を振るうから。そうするつもりはなくても、ちょっと感情が高ぶるだけで、リコーダーをへし折ったり、黒板を砕いたりしてしまうからか。
 両親は何も静雄を責めないが、近所の空気は静雄も肌で感じる事は出来た。
 近所の噂がここまで及んでいるのだろうか。皆、気付いてて出てこないのだろうか。巻き添えを食わない為に。係わり合いになりたくない為に。

 その思いに静雄はヒヤリとした。
 熱い筈のアスファルトが急に熱を失った。

「イヤだ。痛い。誰か来てよ。誰かぁ」

 思わず口から悲鳴が漏れた。
 痛い、痛い、痛い。
 身体だけじゃない。
 心が痛い。
 身体の軋みより、心が軋む。

(俺は独りだ)

 ずっと独り。
 これからもずっと。
 その冷酷な認識に静雄は心臓を鷲掴みにされる。

 ケンカに勝った。
 その代償にいつも肉体は壊れた。
 全く価値を感じないものの為に、彼は壊れ続け、強くなり続け、そしてただ独りだった。
 そんなもの望んでいない。
 欲しかったのは。望んでいたのはただ…。

「誰かっ…」

 不意に静雄の上に影が差した。冷やりとした小さな手がそっと頬に触れられる。

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