「HERO」 その4
「ゲッ、う、嘘だろ?!」
不良達は仰天する。
彼らは臆病者で腰抜けだった。確かに彼らは静雄の手足が完全に折れていたのを目撃している。
だからこそ、安全第一の橋を渡り、無抵抗の小学生を襲ったのだ。自分らに害が及ばないのを確信して。
なのに、何故、何故、このガキは動けるのだ? 一歩進むごとに不自然だった筈の体が元に戻っていくのだ?
バキバキブチリと異様な音を立てながら。
まるで壊れた人形が、逆回しのテープの中で元に戻っていくように。
井戸から這い出た女。階段から四足で這い降りてくる女。そんなホラーなど物ともしない。
呪うなど悠長な事は一切なしだ。ここにあるのは絶対的な殺意だけ。
破壊と崩壊の空気が見る見る膨らんでいく。
そして、ケンカ人形の足は止まらない。
子供とも思えぬ、血まみれの殺意に歪んだ凄まじい形相で着実に近づいてくる。
ぎこちなかった足取りが一足ごとに滑らかになり、見る間に大地を踏みしめ、駆け足となって、弾丸のように飛んでくる。
まるで火縄銃が最新鋭の重火器に進化する映像を早送りで見せられてるようだ。
幽を掴んでいる不良は慌てた。幽を盾にしようと持ち上げようとする。
「て、てめ…ち、近づくと、こ、こ、こいつが…っ!!」
が、それは彼自身の死亡証明書に捺印したのと同じ事だった。
刹那、彼の腕は片手で静雄に押さえ込まれている。
ボリと鈍い音がした時、既に彼の腕は完全に異様な角度で曲がっていた。
指からスルリと幽の体重が消える。
が、静雄の怒りは鎮まらない。もう片方の腕にも指を食い込まされる。気の狂いそうな痛みが炸裂した。
「う、うわぁぁああああ!!」
絶叫する不良の目の前に、憎悪で嗤った静雄の顔があった。
「ばっ、化物…っ!!」
かろうじて、彼に言えたのはそれだけだった。
どんなケンカだろうと味わった事のない重い拳が顎に炸裂する。
彼を生涯総入れ歯にしてしまう運命の拳が。
仲間がアスファルトの黒いマットに撃沈した時、リーゼントはただ恐怖の虜だった。
さんざん静雄を弄ったのは自分だ。
殴られるなら、自分が先だと思っていた。
だが、静雄が幽を守る為、仲間の方に向かった時、正直助かったと思った。
あんな化物、まともに相手にできる訳がない。
怪力とは知っていたが、あそこまで常識外れとは聞いてなかった。
『絶好のタイミングを教えてあげようか』
街の片隅で漠然と名を上げてぇ〜といつもの管を巻いていた時、雲間から差す一筋の光のような声が彼に天啓を与えた。
『ほら、こうして。かんた〜ん』
ニッコリ嗤って教えてくれた、あの幼いガキの顔。無惨な罠を花びらを散らすように優しく語る親切そうな天使の顔。
『赤子の手を捻るようなもんだよ』
悪魔は天使のように綺麗な顔をしているという。
彼は震えた。何故、あんなガキの口車に乗ってしまったのだろう。
聞いてる時はホントに障害なんか何もないと思ったのだ。
確かに小学生としか見えないガキの話に耳を傾けるのは、最初抵抗があった。
場違いな怖いもの知らずとも思った。
しかし、あの無邪気な顔が、あのかわいい声が、余りに親しげで、ビロードのようになめらかだったから、つい信じてしまった。
悪くない話だと思ったのだ。特に自分達に何のリスクもないのが気に入った。
静雄を潰すのがこのガキの何の得になるのかと、一瞬疑問に思ったが、きっと身内か友達の誰かが静雄にひどい目にあったから仕返ししたいんだろうと勝手に解釈した。
結果の事しか考えが及ばなかった。
あのガキにしてみれば、赤子なのはこちらだったのだ。
あの黒髪の綺麗なガキ。
名前すら聞かなかった事を後悔する。
ハメられた。
でも、何で? 理由など今更解らない。
解っているのは、今だったら逃げられる。その一点だけだ。
仲間の事は仕方ない。
いや、仲間なんかじゃない。同じガッコで、ちょいツルんだ。それだけ。
無理して助けるほどの仲ではない。
だから、あいつがどうなろうと自分さえ助かればいい。
いくら何でも折れた足で、いつまでも走って追っては来れないだろう。
無理して気を張ってる今だけの事!
自分に都合のいい解釈だけ暖めながら、少しづつ注意を引かないよう後退る。
恐怖でもつれる足を宥めながら、身を翻そうとした瞬間、
「逃げんじゃねぇぇええええええええっっ!!!」
眼前を黒いものが横切った。
リーゼントが根元からスパッと切断される。
「ヒィィィッ!」
横目で恐る恐る黒いものの正体を確認すると、プラスチックの下敷きがブロック塀に半分程突き刺さっていた。
刃物のように彼の髪を切り裂いた後、壁に突き刺さったのだ。
(ん、んな訳ねぇ! んな事人に出来るかぁっ!)
否定しようとした。下敷きの強度。いかなる怪力で投げれば、そんな事が可能かと。
だが、見間違いようもなく、静雄が投げたのだ。地獄の底からの咆哮と共に。
仲間の血たまりの中に立っていた静雄がゆらり…と立ち上がった。
ギロリと火のようなまなざしで彼を睨みつける。ジャリッとアスファルトが焼けるような足取りで動き出す。
元リーゼントは無様に腰を抜かしたまま、後退りした。
「ヒッ、ヒィィィ…ちょ、ちょっと待てよ。おっ…俺が悪かった…って。話があんだ、話が…。俺は…!」
が、静雄の歩みは止まらない。歩きながら、果物をもぐように道路標識を片手で千切り取る。
「ハメられたんだっ! 知らなかったんだ! 俺は、俺はぁぁぁっ!」
怖い、怖い。
リーゼントはブルブルと顔を震わせ、目を背ける事も出来ず、冷や汗をダラダラ垂れ流しながら、静雄を見つめ続けた。
あの暗がりで嗤ってた天使が、闇の悪魔だとすれば、静雄は白昼の悪魔だ。
彼らに関わった事を心底後悔する。この世には触れてはいけないものがあったのだ。
『じゃあね、ばいばーい』
別れ際、あの黒い天使は嗤っていた。あれは心底彼をバカにした笑みだった。
ああ、何故今頃それに気付いてしまったのだろう。
同じように、静雄が彼の眼前で笑っている。
軽蔑も悔恨も悲しみも全て怒りという感情に昇華させた壮絶な笑み。
あの闇の天使とは対称的な笑み。
真紅を通り越して、蒼白く燃え上がった炎のように。
何もかも断罪する天使の鎌のように、静雄は白い標識を振り上げる。
「手前がっ、手前がばけも…っっっ!」
彼は最後まで言わせてもらえなかった。
「その臭い口を閉じやがれぇぇぇええええええええええええっっっっ!!!」
思い切り振り回された標識が、彼の人生の切符を永久に負け犬だけが詰め込まれた貨物列車行きに変えてしまったから。
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