「臨也とイザヤ」 1

 

「ここか…」

 静雄は黒バイクから降りると、ネブラ研究所を見上げた。
 正門から入ったすぐ脇の駐車場には例の清掃車のバンが止まっている。
 イザヤがここにいるのは間違いあるまい。


 セルティも彼の横に並んで白い建物を見上げる。
  元・矢霧製薬。捜し求めていた首がずっとあった場所。
  二十年も池袋にいて、この通りも何度か走った事があるのに、遂に気がつかなかった。
  罪歌によって、魂の繋がりを断ち切られていたせいだ。
 誠二と美香の件でその所在を知り、その足で殴りこみをかけたのだが、既に首は何者かに持ち去られた後だった。
 それもほんの一足違いだ。

(これで取り戻せないなら、最初から縁がなかったのかも知れない)

 事実を隠していた新羅にやり場のない怒りをぶつけ、彼の愛を受け入れた。
 既に新羅を愛していたのもあるが、あの時彼女を包んでいたのは大きな虚脱感だった。
 首に見捨てられた。そう思えた。
 無論、首が勝手に移動できる訳はない。

 それでも、運命が繋ぎ合っているなら、必ず取り戻せる。巡り会える。
 だって、私の首なのだ。馬鹿げてるかも知れないが、そう確信していた。
 でも、首は彼女の手をすり抜けてしまった。まるで逃げるように。

(私が執着するほど、首は私を求めてはくれないのか)

 まるで失恋したみたいだった。
 その境地に至って、やっとセルティは解放された。吹っ切れた。
 もう二度と首と会う事はないという前提ではあったが。
 自分に背を向け続ける首より、二十年の歳月で新しく生まれた絆の為に生きようと思った。
 確かに首がなくたって、記憶がなくたって、胸の奥で燻る違和感が残っていても、生きるのに何の不都合もない。
 だから、もういい。首に拘るのは辞めた。愛する新羅や友人の静雄達と生きていこう。

 この元矢霧製薬はセルティのそんな振り捨てた想いを凝縮したような場所だった。
 首がここでどんな実験を受けたのか、その事への怒りも不快感も全部封印した場所。
 二度と訪れる筈はないと思っていたのに、二ヶ月も経たずしてまた来てしまうとは。

(首よりよっぽど縁があるのかも知れないな)

 セルティは溜息をつく。彼女が襲撃した時、一番巨大な研究棟は今も黒々として中が伺い知れない。
 ネブラに合併されて多少改築されたのか。長方形の塔に窓一つないのが不気味だった。
 人体実験を行う矢霧製薬を吸収するような企業だ。きな臭い匂いがまといつく。
 静雄の求めのままにここに来てしまったが、嫌な予感しかしない。
 ネブラと社名を変えても、まだ同じ事が行われているのだろうか。



(でも、もう私の首はないのに、何の実験だ?)

 セルティは静雄に向かってPDAを突き出した。
『なぁ、静雄。まさかと思うが、ここに殴り込む気か?』
「ああ」

 拳の関節をポキポキ言わせながら、すぐにも研究所に乗り込もうとした静雄は仕方なく立ち止まる。
 セルティは喋れないので、話すには向き合うしかない。
 監視カメラが周囲を睨んでる危険な場所まで友人を連れてきておいて放置する程、静雄は冷たくなれなかった。
 静雄の答に、セルティの脳裏に浮かんだのは罪歌を身に宿す少女の顔だった。
 池袋で異形と言えば、彼女しかセルティは知らない。

『まさか杏里ちゃんじゃないだろうな』
「ああ? 誰だ?」
 静雄は怪訝な顔をする。
『女子高校生だ。メガネでおかっぱの…その、胸が大きい。
 ほら、罪歌の男に襲われて、お前がバンのドアでやっつけた時いただろう』
「あー、悪ィ。覚えてねぇわ」
 静雄は煙草に火をつけながら、不機嫌に眉をひそめた。

「じゃ、ここは女、拉致るようなとこなのかよ」

 静雄の周囲の温度が一気に下がる。人狩りの噂はトムから聞いているが、犯人やその顛末までは知らない。


『昔の会社の時は、だ。今はやってないと思うが』
 爆弾の導火線に火をつけるのも同然と気づいて、セルティは慌てて字を打ち込んだ。
 殴り込みに行こうとしてる奴を止めるならまだしも焚きつけてどうする。

『じゃ、誰を助けに行く気だ?』
「…イザヤだ」

 つむがれた名前に戸惑い、セルティの思考は一時停止する。
(イザヤって臨也の事だよな? どうして? 犬猿の仲だと思ってたのに、いつの間に仲直りしてたんだ? 
 静雄が血相変えて臨也を助けようとするなんて)
 そういえば、罪歌に襲撃された折、狩原が

『ねぇ、絶対シズちゃんてイザイザの事好きだよねぇ』

 と、言い『いや、それはない』と総ツッコミをされていたが、実は彼女の言葉通りだったというのか。
 セルティも想像してゾッとしたが、新羅にその事を話したら、

『いやー、あながち…』

 と、言っていたし。高校時代から彼らを知る新羅には思い当たる節があるのだろうか。
 確かめるのはコワイのだが、不測の事態だ。セルティは躊躇いつつ、PDAをかざした。

『まさか、本当に』
「ああ」

 どうやら間違いないらしい。二人の殺し合いはシャレにならないレベルなのだが、いざとなれば命がけで助けに行くのか。 二人には常人には計り知れぬ絆という奴があるのだろう。

『そうか。男同士の友情という奴か。美しいな』
「ああ?…まだ友情とかそこまで行ってねぇがよ。
やっぱり放っとけねぇだろ。あんなチビでかわいくて頼りねぇんじゃよ」

 静雄は少し赤くなって頬を掻いた。

(チビでかわいくて頼りない?)

 あの臨也の何処にそんな形容詞が当て嵌まるのだ? セルティはますます混乱する。

(い、いや、静雄は臨也と結構身長差あるしな。好きになったら、かわいくも見えるのかも。
 私だって首がないのに、新羅はセルティはかわいい、綺麗だ、天上天下比類なき美しさだねと美辞麗句を並べ立てる。
  あんな吟遊詩人みたいに四六時中じゃなくて、ここぞって時に口説いてくれたら、もっと心に響くのにな。

 …いや、新羅の事はいいんだ)


『へぇ、あいつも意外な一面があるんだな。私はもっと抜け目なくて、狡賢くて、残酷だと思ってた』
 が、静雄は妙な顔をする。

「イザヤはそんな感じじゃなかったけどなー。
 口は悪くて生意気だけどよ。素直で淋しそうで笑顔がかわいくてよー。
 俺の事好きだ好きだって言ってくれて。抱き締めたらミルクの匂いがすんだ。ほっぺがふにふにってしてて…」

『ええええええええー?』
 驚きの余り、フォントが特大になってしまう。


『静雄、一体どーしたんだ? いくら何でもあいつがそんな…』
「え? おかしいか? そういや、お前こそ何でイザヤの事知ってんだ?」
『そりゃ、仕事をよく引き受けるから』
 静雄は瞬きをし、急に弾けるように笑い出した。セルティは訳が解らなくなってうろたえる。


「すまんすまん、誤解させちまって。
 俺が言ってるのはノミ蟲の方じゃねぇ。子供のイザヤの方だ」
『は? ま、まさかお前の子じゃないだろうな』
「怒るぞ」
 さすがに静雄は嫌な顔をした。

「でも、ま、驚くのも無理ねぇよな。
 昨晩、凄い雷が鳴ったろ? その時、妙な事があってさ」

 静雄はかいつまんで、イザヤについて説明した。
 子供が天から落ちてきた事。臨也にそっくりな事。別世界の未来から来た事。
 向こうの世界の静雄が死んでしまった為に、こちら側に会いに来た事。突然、ネブラに攫われた事を。


「イザヤは俺の事好きだって言った。俺に会いたくて、それだけでこの世界に来たんだ。
 ノミ蟲そっくりなのが、気に食わねぇんだけどよ。
 そんな奴を放っておける訳ねぇだろ」

 自分が死んだ理由を静雄は憶測も挟まなかった。
 イザヤははっきり言わなかったし、事故か過失だと思いたかった。
 何処の世界でも、臨也と殺し合ってるのは余り愉快ではない。

 臨也の事は大嫌いだが、彼が誰かを苦しめて楽しむのを辞めるのなら、それでよかった。
 許す訳では決してない。だが、過去は飲み込んでしまえる。一番許せないのは、いつだって自分自身だから。

『何だか不思議な話だな。別世界から来たなんて』

 池袋で一番不思議な存在であるセルティは、小首を傾げた。
 イザヤの気持ちは少し解る。新羅が危惧する通り、妖精がこの世界に存在し続けるのはおかしい。
 首が手元にないだけかも知れないが、新羅や静雄達に執着が出来たからとも考えられる。


 だが、不自然は不自然なのだ。
 この世界では異邦人であり、イレギュラーな存在があり続ける事は、世界のバランスを崩す要因になるだろう。
 池袋にばかり怪異が続くのは、確かに奇妙である。
 首が戻ったら、新羅と別れなければならないかも知れない。
  その時はその時に考えようと思ってはいるが、いざその時、自分はどんな決断を下すのか。
 いや、ちゃんと決断を下せるのか。


 イザヤが別世界から静雄に会いに来たのは正しい事なのか解らないが、想いは時に常識も次元も超えてしまうのだろう。
 セルティも時折、自分の気持ちが制御しきれない暴れ馬のようだと思う時があるから。


(だけど、そうなると本当の臨也はどうなるんだ?)

 臨也は世界を混沌に導くのが趣味な男だ。彼がいなければ、皆の毎日は平凡で安寧でいられるだろう。
 セルティも新羅とずっと和やかに過ごしていけるに違いない。
 だがそれでも、臨也がこの世界の住人なのだ。イザヤではない。同一人物が存在する事を世界は許さないだろう。
 そして、静雄だって、それは解ってる筈なのだ。
 だが、セルティはあえてその疑問を口にしなかった。

『どうしてネブラがその子の事をこんなに早く知ったのかな?』
「俺が知るかよ。大方、ノミ蟲野郎がリークしたんじゃねぇか?
 この街でおかしな事があると大抵あいつが絡んでるからよ」

 静雄は肩をすくめた。それは半分外れていたが、間違いでもない。
 臨也さえいなければ、彼の生活は単調な程静かになるだろう。静雄はいつもそれを望んでいた。
 が、臨也は決してそれを許してくれない。まるで自分の存在を誇示したいように存在を匂わせてくる。

(そんなに俺が嫌いなら、絡んでこなけりゃいいのによぉ)

 それだけはいつも不思議だった。
 静雄は嫌いな奴は殴っておしまいだが、臨也は反対に相手の存在が消えるまで小突き回したいらしい。
 おかげで何かにつけ、臨也の事を考えたり、比較したりしてしまっている。
 イザヤを助けなければならないこんな時でもだ。
 静雄は次の煙草に火をつけた。

「じゃ、ちょっと行ってくるわ。送ってくれてありがとな」

 正門に向かおうとする静雄の肩に手をかけて、セルティはPDAを突き出す。
『おいおい、まさか正面から行く気か。ここの敷地は広いんだから、他から…』
「何でやましい事してるみたいな真似しねーといけねぇんだよ」
『いくらお前が強くても、一人じゃ危ない。
 私も一緒に行こう。私はここの内部を幾らか知ってるし、セキュリティも厳しいから』
 だが、静雄は首を振った。

「お前を巻き込む訳にゃいかねぇ。新羅に怒られちまう」
『何を言ってる。私がお前の足手まといになると思うのか』
「いや。でも、お前は女だろ。怪我するといけねぇからな」


 一瞬、セルティは言葉が見つからなかった。
 長年、友人ではあったが、静雄に女として扱われたのは初めてだ。
 無論、静雄はセルティとこの研究所との関係など知らない。
 ネブラもセルティに興味があるからと考えての言葉ではないだろう。

 これが新羅か別の者が相手なら

『女だからとバカにするな』

 と、反論し、道案内か露払いをしてやると息巻くのだが、静雄の顔は何故かその気持ちを
 やんわりと胸の奥に飲み込ませた。
 罪歌の襲撃の夜、ただ静雄に見惚れて立ち尽くしていたあの時に似ている。

『持ってってくれ』

 だから、あの時のように影で作った手袋を渡す事しか出来ない。

「サンキュー」
 目を細めて笑う彼を眩しく感じながら。 

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「ドッペルゲンガー」の続き
夏新刊「Heavy Rotation 2nd. Gig」の本編より
前作のHeavy Rotationも入れて、100Pの予定だったのに2ndだけで100P越え(^_^;)

どうして後30Pで終われる話などと、あの頃思ったんだろう、不思議だな(笑)

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