「臨也とイザヤ」 2

 

 静雄はネブラの正門に足を踏み入れた。
 高い生垣で見えなかった研究所が顕わになる。この位置からだと、全景は解らないが、概ね二階建てだった。
 大雑把に分けて六棟。中央にある建物だけ三階建てで、その左側に隣接する黒い棟だけ5階もある。
 それぞれ隣接するか、渡り廊下が繋いでいる構造だ。

(何か変な建物だな。どうして一つにまとめてねぇんだ?)

 製薬会社なのだから、ウィルスなど危険な研究を行っていて、万一の場合隔離しやすい為なのか。
 だが、そうなると虱潰しに当たる方法が面倒な事になる。

(さーて、イザヤは何処だぁ?)

 パッと見、いかにも黒い棟がアヤシイ。
 接客業を転々としていた静雄の経験からすると、駐車場に面した窓の多い手前の二つの建物は
 対外向けの応接室や研究などしかしてないだろう。
 人はヤバイものは奥に隠したがるものだ。
 始業時間を過ぎているので、駐車場もほぼ満車で人影はない。
 それを見て、急に今朝擦れ違ったトムの顔を思い出した。

「ヤベー、そういやトムさんに欠勤するって伝えねぇと」
 根は生真面目な静雄は青くなって、携帯の短縮番号を押す。

(この人にだけは嫌われたくねぇもんなぁ)

 だが、発信音を聞いている内にふと気づく。
 これから正当な理由があるとはいえ、一企業に殴り込みに行くのだ。チンピラ相手のケンカとは訳が違う。
 確実に警察沙汰になるだろうし、トムや会社にも迷惑がかかる。

(ダメだ。切らねぇと)
 が、そう思い至った瞬間にトムが出た。

『おー、静雄。どしたぁ?何かあったんか?あの子は?』
「あっ、あのっ…」

 静雄は逡巡した。トムを巻き込みたくない。むしろ、何も知らない方がいい。
 いつもこんな行動しか出来ないトラブルメーカーなど簡単に切り捨てやすくした方がいいのだ。

「すいません。俺…今日会社休みます。
 もし、明日また連絡しなかったら、そん時は昨日付けで会社辞めたって事にしといて下さい。
 あの子の事も何も知らねぇって事で」
『…………』
 トムの返答は少し間があった。


「トムさん?」
『…そんなにヤベェのか?』
 今度は静雄が沈黙する番だった。

 普通の人間なら捜索願を警察に頼めと言うだろう。
 だが、これ程人が池袋から蒸発して、人狩りの噂が立っても、警察は動かなかった。
 人が都会で消えてしまうのは、それ程よくある事なのだ。
 考えたくはないが、圧力によってそういう事にされたかも知れなかった。
 矢霧製薬に捜査のメスが入ったと聞いた事もない。
 ネブラにすら内偵がなさそうなところを見れば、法など結局当てにはならないのだ。

『あー、解った。今日は一応有給って事で総務に言っとくから。
 その代わり、必ず連絡しろ。絶対だぞ』
「…すいません、トムさん」
「んな、情けねぇ声出すなよ。何年お前と付き合ってると思ってんだ」

(傍にいたら、またポンポン頭叩かれてんだろうな)

 静雄は電話を切りながら思う。トムにだけは頭が上がらない。むしろ、この状態が心地よかった。
 もう一人、迷惑をかけてはならない人間の顔が脳裏に浮かぶ。
 兄が警察沙汰になっても、プロダクションは幽を守ってくれるだろうか。

(一人ぼっちと思ってたが、いざとなると結構縛られてんな、俺)
 思わず苦笑する。


 だが、今一番重要なのはイザヤの救出だ。
 静雄は大股で車回しのある左手の建物に向かった。
 この研究所で中心の建物らしく、一階は壁がガラス張りの大きなロビーになっている。
 ホテル並みの受付やソファが見えた。
 だが、静雄はそういう事は全てどうでもよかった。単に黒い棟に一番近いからだ。

「ちょ、ちょっと、あんた! ダメだよ、勝手に入っちゃ!」
 案の定、守衛室から守衛が飛び出してくる。

(うるせぇな)

 受付で名前を書いたら、担当が出てきて、イザヤを返してくれるとでもいうのか。
 静雄は脇目も振らず、走り出した。車回しのひさしに向かってジャンプする。
 静雄の腕力はひさしを掴むだけで、彼の身体を軽くひさしの上へ舞い上げた。
 ひさしを一気に走り抜け、その勢いのまま、2階の窓ガラスを突き破る。
 その瞬間、甲高い警報が館内に響き渡った。

 

 警報と同時に左右の出入り口だけでなく、壁一面にシャッターが下りた。
 完全な密室だ。左右とも警棒を手にした警備員が二名づつ立っている。
 警報が鳴ってからにしては早すぎるだろう。

「最初から待ってたって訳かよ」

 静雄は彼らを睨みつけた。問答無用で彼らは襲いかかってくる。
 いつものチンピラ達の数を嵩に来た攻撃ではない。よく訓練された動きだ。
 静雄がただの力自慢であれば、結局その統率力の前に取り押さえられていただろう。

 だが、静雄はいくら彼らが力任せに殴ってもひるまない。
 筋肉質のタフガイであろうと、骨折するか全身の筋肉が痺れる警棒の一撃を幾度浴びても、静雄の動きは止められない。
 彼の拳はヘルメットや防御服ごと相手を粉砕する。

 三人が瞬く間に倒れ、隊長格の男が残った。
 男は静雄を殴打して、反対にへし曲がった警棒を信じられないように見つめる。
 警棒を投げ捨て、素手で身構えた。
 静雄は獣のように微笑んだ。一気に床を蹴る。拳を繰り出した。

 が、当たらない。
 格闘技を相当やっているらしく、ほんの少しの動きで避けられてしまう。
 幾ら静雄のパンチに威力があっても、当たらなければ意味がない。

(チッ)
 内心で舌打ちしつつ、少し羨ましい。

 静雄は格闘技観戦が趣味だ。
『普通』の人間が己を鍛え上げて、戦う姿は美しく、抑制され、無駄がない。
 ただ力に振り回されるだけの自分に比べたら、何と素晴らしいのだろう。

 剣道や柔道は心を鍛えると聞き、子供の頃習おうとした。
 自分で力を止められないのなら、誰かに止める術を請おうとしたのだ。
 が、何処からも断られた。近所の噂を聞いていたのだろう。
 彼らも客商売だから、他の教え子達への被害を恐れる。
 まして、静雄を力づくで止められるような達人は池袋にはいなかった。

 静雄はその事について腹は立たなかった。ただ失望した。
 けれど、当時、ガイセンデルファーのような挌闘家のジムがあれば、自分も変わっていたかも知れないとは思う。
 こんな特異体質でなく、自分の努力で強くなりたかった。
 暴力を嫌う心だけ置き去りにされて、身体だけ勝手に進化してしまったから尚更だ。

(やっぱ格闘やってる奴の動きは凄ェよなぁ)

 こんなに拳を重ねても当たらない。足捌きも惚れ惚れする。観戦しているだけでは真似できない。
 静雄の動きなど軽く読めるのか、幾度もカウンターを叩き込まれた。

(けど)

 静雄はよろめいた。男がすかさず懐に入り込み、腹にラッシュをかける。静雄の体が傾いだ。

「うわっ?」

 声を上げたのは男の方だった。いきなり、静雄に片手で首の後ろをガシッと掴まれたからだ。

「つっかまえたー!」

 静雄は猫の子のように男を片手でそのまま掴み上げた。
 男の顔が引きつる。
 男に取れば、静雄の攻撃など当たらなければどうという事はないと思っていたろうが、
 静雄にとれば、男の攻撃こそ当たったところでどうという事もなかった。

 軽すぎるのだ。

(サイモンのパンチの足元にも及ばねぇ)

 ただ、体捌きとスピードだけが問題だった。
 だから、わざと懐に入れて捕まえたのだ。静雄は男にニヤリと笑う。

「今度は寿司屋でお勧めメニュー食ってから出直してきな」

 静雄は人形のように男を壁に向かってぶん投げた。


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