「臨也とイザヤ」 3

 

 彼の勝利を讃えるように、黒い棟とは反対の右側にポカリと出口が開いた。
 同時にその出口付近に二人の人影が立っている。白衣の男とイザヤだ。イザヤは後ろ手を拘束されているらしい。

「シズちゃん!」

 静雄の顔を見て、イザヤが喜びに満ちた声を上げた。
 走り寄ろうとするが、男から引き戻される。顔が苦痛で歪んだ。

「イザヤ! くそっ、手前!」

 静雄は怒号を上げて殴りかかった。が、全く手ごたえがない。ただ二人の姿が乱れただけだ。
 よく見ると、二人の姿は少し透けている。よく出来た立体映像(ホログラム)だ。

「やぁ、初勝利おめでとう。私は松岡だ。君はやっぱり強いね。うちの選り抜きの警備員をあっさりのしちゃうなんてさ。
 でも、ハリウッドより君を推薦したんだから、出来ればもっと早く終えて欲しかったなぁ。
 私の推測より3分5秒も多くかかってる」

 松岡はメガネを押し上げながら肩をすくめた。

「はぁ、何言ってんだ、手前?
 いいから、イザヤ返せよ! 俺のを勝手に連れてくんじゃねーよ?」
「状況をよく解ってないようだね、平和島静雄君。
 ご覧の通り、イザヤ君は我々の手の内にある。
 無事返して欲しかったら、今のように我々の課す試練を乗り越えてくる事だ。
 もし、君がこの研究所から逃げたり、また試練に負ければ、この子も君の命もない。
 ルールは一つ。このゲームから降りない事。いいね?」

 静雄は吼えた。
「手前のルールなど知るかってんだ!!
 手前は殺す。イザヤも返してもらう。
 そこ、動くなよ。絶対手前ぶっ飛ばして挽肉にしてやっからな」

 松岡は静雄の凄まじい眼光に怯んだ。
 が、人質がおり、遠隔の映像越しなので気を取り直す。

「もう一度言う。君が言う事を聞かないと、この子は死ぬんだ。大人しく従いたまえ」

 瞬間、ボコッと凄まじい音と振動が遮った。
 静雄の拳が壁にめり込んでいる。見事な程の円形のヒビが拳の周囲を穿っていた。静雄は床に唾を吐く。

「昔っからなぁ、俺に人質使った奴で生かしておいた奴はいねぇんだよ。
 ああ、ノミ蟲がいるけどな。あいつは殺すから。
 だから、手前も今ならミンチにしないで殺してやるから、今すぐイザヤ返せ!」

「ごっ、強情もいい加減にしたまえ?」
 松岡はイザヤのこめかみに銃を突きつける。
「イザヤ?!」
「駄目! シズちゃん、来ちゃダメ! 逃げて!!」
 イザヤが泣きそうな顔で叫ぶ。

 静雄の顔がその瞬間、変化した。鬼のような形相で出口に向かってダッシュする。
 ホログラムを突き抜け、研究所の奥へと駆け去った。
 ただイザヤを取り戻す為に。

 

 黒い棟の最上階。
「…………」
 ホログラム用の映写機の前に立っていた松岡は呆気に取られて、視界から消え去った静雄を見送っていた。
 やがて、静雄の気魄の呪縛を解かれ、全身から力が抜ける。
「あー、怖かったぁ…」
 人目も憚らず、床にへたり込んだ。

「け、けだものですよ、あいつ。
 画面越しだってのに、あの目つきときたら…。思い出しても震えが来ます」
「まぁまぁ、よかったじゃないか。予定通り、静雄君が引っかかってくれてさ。
 窓際のシャッター、静雄君がその気になったら破られて逃げたかも知れなかったし。
 あの強化壁にヒビ入れるとは驚いたよ。彼のパワーは底知れないねぇ」

 森厳が楽しげに両手を広げて、松岡を覗き込んだ。
 空気の正常な研究所内ですらマスクを外さない森厳に、松岡は親しみも好意も抱いていない。
 突然、日本支部に現れて大きな顔をしているのも不愉快だ。露骨に嫌な顔をする。

「冗談じゃない。ミンチにされるのは私なんだ。もうこんな役御免です!」
「まぁ、そう拗ねるな。この研究が本社に認められれば、君は一気に昇進だよ」

 その言葉に松岡はやっと笑みを漏らす。
 本社は相変わらずデュラハンのセルティに御執心のようだが、やはり秘められた人間の可能性こそ現実的だ。

 静雄の体の謎。あのパワーと超人的な回復力こそ人類の未来がある。
 強化兵士もいいが、医療や宇宙開発への人材など応用は計り知れない。
 軍事技術の多くが将来的に人類の進歩を促している。
 戦争で試験される事で様々な研究が飛躍的に進むのだ。悲しいが、これも歴史の真実の一つである。

 だから、松岡は静雄や他の被験者には、むしろ感謝してもらいたいと思っている。
 街のチンピラで終わるより、遥かにマシな死に方ではないのか? 
 自分の身体が人類の進歩に貢献できるなど滅多にないのだから。
 何故、矢霧製薬は静雄を捕らえ、研究対象にしなかったのだろう。
 そうすれば、ネブラに吸収合併されなかったかも知れないのに。

「それより、とっとと僕の拘束具を解いちゃくれませんか?腕に食い込んで痛いんだけど」

 イザヤが森厳の脛を蹴飛ばした。
 森厳は「おー、すまないねぇ」とわざとらしく戒めを解く。
 それを見て、松岡はまた嫌な顔をして顔を背けた。イザヤが本社から来た人間だとは知っている。
 今回の実験は彼の命令に従わなければならない事も。


 だが、イザヤが子供の姿なのが気に食わなかった。
 子供から命令されるのは面白い事ではない。
 計画が成功したとして、評価を横取りされるのではないかという危惧もある。



「松岡君もいいけど、やはり君の演技力の賜物だね、イザヤ君。
でも、何でさっき『逃げてぇ』なんて言ったの?『助けて』
って言えばいいのに」
 森厳は感心したように言った。
 静雄に対するのとは全く違う「大人の顔」で子供のイザヤは笑う。

「来ないで、逃げてって言われて本当に逃げ出すなら漢じゃないでしょ?」
「漢ってバカだね。かっこつけちゃったら早死にするのに〜」
「あなたは逃げちゃうんですか?」
「私は最初から助けになんか行かないからね。
『ガンガンいこうぜ』より『いのち大事に』が私の心情だ。
 もっとも、一方的にはやられっ放しにはしないけど。

 しかし、静雄君も凄いよねー。
 あの警備員軍隊上がりでさ。結構素手で人も殺したみたいだから採用したのに。
 ちょっと人事課に文句言わないとなぁ。
 ところでうるさいね、ここ。向こうでコーヒーでも飲まない?」


 今の警備員との戦いについて、研究員達の議論が白熱しており、森厳は顔を顰めた。
 研究室脇の休憩所のチェアーに座る。
「コーヒーより、林檎ジュースでもあればお願いします。今、子供舌なんで」
 森厳はイザヤをマスクの下から遠慮なくジロジロ見た。

「私としちゃ、静雄君もいいけど君にも興味があるね。
 未来から来たなんてさー。人類は遂に自力で時を越えた!
ネブラの科学がそんなに進んでるかと思うと感慨にたえんね。

 もっとも、こちらに来るのに負担を軽減する為に、肉体を構成する量子を縮小する、
 つまり子供化しなくちゃいけないのは真に残念だが」
「僕はプロトタイプですから。実用化の暁はそれも克服されるでしょう」
「しかし、過去に戻って、元の頭脳のまま成長し直すというのも、人間の一つの夢だからね。
 人生をやり直す。真に人間の一生とは後悔ばかりさ。
 満足するまでチャレンジするのが、人間の進歩の姿というものだ」



 森厳のマスクの下の視線に比べ、口調は至って軽い。
 松岡の静雄に対する報告書だけが、この実験を決定したのではなかった。一研究員にそんな権限はない。
 始まりは未来からの命令書だ。

『過去に使者を送るから、その人物の指示に従え』

 文書の発行日付は数年先なのに、執行日時は現在というタイムカプセルのような本社からの正式文書が届いたのだ。
 未来からの人間を転送する実験。
 彼らからの未来の情報を元に発明や開発の成果を何処よりも早く手にする為に。
 無論、最初は皆この命令書を誤報だと思った。単なる日時の入力間違いだと。
 だが、本社に確認して状況は一変する。
 本社に実際に未来から来た人物がいるというのだ。
 そして、世界各国で同じ実験が行われ、日本も対象になっていると。

「この計画が成功すれば、我社は他社より遥かに先んじられる。
 何せ、もう結果が解ってるから失敗もありえない。抜け目ないよね、本社は。
 もっとも、失敗や後悔を受け入れる強さもまた必要だよ。前に進む為にはね」

 森厳はコーヒーをストローでチューと飲んだ。

「けどさ、子供の姿になっちゃうって抵抗なかった? 
 事情知ってても、子供から命令を受けるの嫌な顔する奴多そうだし」
「姿なんか記号でしかないですよ。
 実際、シズちゃんは簡単に騙されてくれたし」

 イザヤはジュースをコクンと飲んだ。
 元の姿のままならば、静雄も警戒しただろう。
 イザヤがネブラの計画に参加したのはむしろ「子供化」する部分が大きい。
 出会い直して、同じ事を繰り返すのでは意味がないのだ。

「私は君の境遇にちっとも憧れないからよく解らんね。
 せっかく苦労して大人になったのに、また一からやり直すなんてゾッとする。
 退屈な授業!受験! あー、やだやだ。
 全体朝礼とか体育祭とかせんでいい身分になって心底ホッとしとるよ。

 君は全く物好きだね。君も本当はいい歳だろ? 
 今まで築き上げてきたものを捨てて、過去に戻ってくるなんて。
 君に大事なものとか、友人とかいないのかね?」

「捨ててきたつもりはありませんよ。これから作るんです」
 イザヤは肩をすくめた。

(だって)

 シズオが死んだ時、全部なくした。
 失くさないとシズオを殺せなかったから、迷わず捨てた。
 彼以上に価値のあるものなんて、僕の中にはなかったから。


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