「臨也とイザヤ」 5

 

 シズオとセルティは友人同志だ。しかもかなり仲がいい。
 シズオは怒っても、女性のセルティに拳を振り上げたりしない。
 通常の焚き付け程度では、セルティもシズオに刃を向けたりしないだろう。

 だが、徒橋や澱切の件を経て、セルティも人への殺意を覚える事を知った。
 ならば、その憎悪を掻き立てさせればいい。
 正常な判断が出来ない程、狂わせればいい。


 セルティにはただ一つの泣き所、恋人のシンラがいる。
 セルティは妖精だ。人間より遥かに純粋な故にその感情は儚く、傷つきやすい。

 だから、方法など簡単だ。
 シズオがシンラを殺せばいい。
 それをセルティが目撃すれば事足りる。

(シンラは友達だけど、仕方ないよね)

 先に露見すれば、必ずシンラに絶交されるだろうが、イザヤは止まれなかった。
 シズオを殺したい。
 シズオのいなくなった池袋に興味はない。
 セルティがシズオを殺せば、その心の動揺と激情と絶望は確実にセルティの首を目覚めさせるだろう。

 その時、池袋に完全な混沌が訪れる。
 イザヤだけが望む天国。
 臨也以外には地獄。
 それが池袋に舞い降りるだろう。

(俺はそれが見たかった)

 イザヤは思う。
 自分が焦がれてやまない混沌が池袋を這いずり回る瞬間を。阿鼻叫喚と秩序なき冒涜の日常を。
 それがイザヤの人間達への盲目的な無償の愛だ。
 誰の上にも等しく襲う悪夢と絶望の中で流れる交響曲はさぞ美しい調べに違いない。
 セルティは恐らく池袋で最も良心的で常識ある存在だ。
 彼女の崩壊で秩序が失われるのは、当然の理だろう。

(しかも、それがシズちゃんの死と共に始まる)

 想像するだけで、甘美な感動の余り、両手を天に差し伸べたい位だ。


 だから、イザヤは嬉々として、その計画を実行に移した。
 まず、シンラとシズオの間に不和の種を蒔く。
 無論、シンラは頭がいいから、シズオとの仲を修復しようとするだろう。

 だが、こじれさせる方法など幾らでもある。
 これがイザヤの企みだとシンラが幾ら勘ぐったところで構わない。
 シズオはイザヤの名前が出るだけで聞く耳を持たなくなるし、まさか自分が殺される計画だとは思ってもみまい。
 とにかく、シズオさえ終始怒らせておけばいいのだ。どうせ軽い誤解だ。

 しかし、それで充分。
 シンラはそう何度も自分が標的になるとは思ってもみないだろうから、時間が解決するんじゃないかとタカをくくるだろう。

(シズちゃんが怒りっぽいのは毎度の事だしね)

 そして、時が熟したところで、夜の廃ビルに二人を呼び出せばいい。
 平和島が確実に噴火するよう煽り、セルティだけ現場にギリギリに着くよう連絡を取った上で。

 

「シズオ、聞いてくれ!君は誤解してる!何かが全部おかしいんだ! もっと話し合おう! これはイザヤが…っ」
「うるせぇ! 俺の前であいつの名前を出すなっつってんだろ!」

 シズオは怒り狂っていた。確かに何かがおかしい。
 イザヤがウロウロしてるのは知っていた。
 だが、状況の全てがシンラに向いている。今はシンラの言葉の全てが弁解に聞こえた。
 そして、シズオは言葉で引っ掻き回されるのが大嫌いだ。

 口論の末、縋るシンラをシズオは突き飛ばした。
 屋上は狭い。普通ならよろめいて手摺りにぶつかるだけで終わるが、シズオの力はそれだけではすまない。
 もんどり打ったシンラの体は手摺りに引っかかり、そのまま回転して、頭から闇の中へ落ちていく。

「うわっ…!?」
「お…」
 自分のやった事を悟って、驚愕したシズオが正気に戻ったのと、屋上に駆け上がってきたセルティだった。


「…………!!!!!!」


 セルティは声を出す事は出来ない。代わりに彼女の影が絶叫したように逆巻いた。
 滝の轟流のように無数の影が噴出する。地面に激突する前にシンラの体を掴もうと。

 だが、間に合わなかった。
 生の終焉を告げるドシャッという音が闇の底から聞こえてくる。

(シンラッ!)

 セルティは呆然としているシズオを突き飛ばすと、屋上の柵を掴んで見下ろした。
 暗闇でもセルティの視力は人間より優れている。
 だが、それは残酷な現実を見せただけだった。
 遥か下に白衣が倒れている。その周囲には鮮血が広がり始めていた。
 頭から散り広がった何か白い血にまみれた内容物も。

「―――――!!!!!」

 セルティの血が逆流する。ヘルメットから激しく煙のように影が噴出した。
 体が異常な程震え出し、張り詰める。刹那、彼女から地獄の業火のように無数の鎌が現れた。
 泣き叫ぶように、シズオに向かって斬りかかる。

「…………」 

 シズオはそれを現実味のない顔で見ていた。生気のない感情の抜け落ちた目で。

 

 無数の刃がシズオに迫る。
 その瞬間、凄まじい轟音と共に鎌が千切れ飛んだ。
 影が四散し、鎌を通じて衝撃を食らったセルティも横倒しになる。

「至急、現場の離脱を要請します、先輩!」

 思わずセルティを抱き起こそうとしたシズオに、ヴァローナの鋭い声が突き刺さった。
 何処かにマイクがあるらしい。

「ヴァローナ?…何で…?」

 シズオには見えなかったが、近隣のビルからヴァローナは対物用狙撃ライフルを構えていた。
 以前、セルティを撃った50口径の銃だ。
 あの時、ライフルを認識したセルティは咄嗟に分厚い壁を作った。
 だが、今回は本体ではないが、衝撃をまともに食らった。
 どんなに激情に駆られていようが、すぐには動けない。

 しかし、シズオは躊躇った。
 シンラを殺してしまった。
 セルティの怒りは解る。二人とも大事な友人だからこそ、逃げられなかった。
 例え、切り刻まれてもセルティを放っておけない。
 だが、ヴァローナは叫んだ。

「先輩が撤退しなければ、次弾の発砲用意があります。選択の自由、許可しません!!」

 シズオを壊すのは私だ。デュラハンになど先を越されてたまるか。
 だからこそ、不穏な空気を察して、シズオの動向を見張っていたのだ。
 シズオは俯いた。いくらセルティでもこの弾を食らい続ければ、どうなるか解らない。
 それにシズオはヴァローナにも誰かを傷つけて欲しくなかった。

「……っ!」

 謝罪する言葉も吐けず、シズオは拳を握り締める。
 踵を返そうとする足元で何かが揺らめいた。
 弱々しいが、影が尚もシズオを捕らえようと動いている。
 思わずセルティを見ると、待てと縋るように彼に向かって手を伸ばしていた。
 震えている。まるで泣いているかのようだ。

「セルティ…ッ!」

 その姿に痛い程の悲しみといじらしさを感じたが、シズオはビルを飛び降りた。
 パルクールを用いて、夜の闇の中に消えていく。

「おやおや、せっかくのチャンスだったのに、残念。
 でも、邪魔が入るとは面白くなってきたねぇ」

 それらを別のビルから見守りながら、イザヤは嗤った。
 天空の三日月を仰ぎながら、クルリと一回転する。


「さぁ、逃げろ逃げろ、シズちゃん。鬼ごっこの始まりだ」


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