「臨也とイザヤ」 6

 

(あの時は随分、月に向かって高笑いしたっけ)


 若気の至りだなと自嘲しながら、イザヤは椅子の上で胡坐を組んだ。
 ネブラのほの暗い研究室の中、無数の画面に静雄が映し出されていた。
 電撃、薄い空気、火炎など、既に数種の試練を軽々とクリアーしている。
 比較実験で静雄に付き合わされた被験者達はさぞいい迷惑だっただろう。

「どうも静雄のスペックが高過ぎて、比較にもなりませんねぇ」

 研究者達がぼやいている。
 高電圧の柱が数十基並ぶ部屋を潜り抜ける部屋でも、蚊が刺された程にしか感じず、服が焦げちまったと文句を垂れるだけの相手に、最初から人間を対象にした実験など無意味かも知れない。

(だからこそ、化物とこの僕が呼んでるんじゃないか。
 セルティやハリウッドを知ってるなら、それなりの準備をしてると思ったけど買いかぶりだったかな。
 さっさと臨也を引っ張り出せばいいのに)

 イザヤは薄笑いを浮かべる。
 イザヤは早く臨也が死ぬのを見たいのに、実験は段取りや手順が大事だと研究者達は譲らなかった。
 バカだなと思うが、忠告してやる義理はない。
 ただ、静雄をずっと見られるのだけが楽しかった。頬杖をついて、彼を見つめ続ける。

(本当、惚れ惚れしちゃうなぁ。スタイルいいし、まるでモデルだよ。自覚ないのが笑っちゃうね。
 昔は心底、その強さが忌々しかったけど、今は全部君の何もかもが好きだよ、シズちゃん。見てるだけで幸せになるね。
 あ〜あ、昔の俺ってどうして素直になれなかったのかなぁ)

 過去の自分を見てると恥ずかしくなる。臨也の頑迷さを笑いたい程だ。青臭かった頃の意地という奴だろう。

「しかし、今度はさすがにどうですかね。転んでも滑っても間違いなく死ぬでしょう」

 研究者達は今回のステージの全景を写した映像を見つめていた。
 静雄と被験者が入ってるのは巨大なホールだ。
 他と同様に密閉されているが、他と違うのは、壁の上部に給水孔が数箇所有り、そこから激しく水が注入されている。

 問題は床の中央にある排水孔と巨大なプロペラだ。
 今はまだゆっくりしか回転していないが、本格的に回り出せば水流は渦となる。
 うっかり転べば、プロペラの刃に巻き込まれて粉々に切り刻まれるだろう。
 水流は意外に動きを束縛し、激しければ全てを押し流す。
 それは静雄であっても例外ではあるまい。静雄がどの程度の水流にどれ程耐え、動けるか測る為の実験だ。

 一応、『安全』として壁にしがみ付く為の取っ手をいくつも設置してあった。
 が、相手を倒すか、どちらかが罠にかからない限り、出口が開かない事を彼らは知っている。
 この不自由さの中でどの程度の時間で脱出できるのか。

 無論、被験者でなく、静雄が転倒する可能性もあったが、元々死を前提にした実験だ。
 意外にもまだ死者は出ていなかったが、幾つかの実験で充分人間離れしたデータは取れている。
 メスもまともに通らない体なら、先に多少解体された方が扱いやすいだろう。
 何しろ、まだ静雄はまともな傷一つ負わず、血液や肉片の採取が全く出来ていないのだ。
 彼を解剖する際は、細胞すら薄くスライスするダイヤモンドのメスを用いなければならないかも知れない。

(さぁ、どんな結果を出してくれるのか)

 研究者達は固唾を呑んで見守っているのだが、事態はこう着状態に陥っていた。
 どうやら被験者が静雄の事を知っていたらしく、怯えて壁から壁へ逃げ回るだけなのだ。
 肩に刺青をしたガタいのいい筋肉質の男で、新宿でもかなり鳴らしていたのだが、見掛け倒しだったらしい。
 元から静雄は暴力が嫌いで、積極的に実験に参加する意思もない。時間が無駄に経過していくばかりだ。


「こりゃ、埒が明かないねぇ」
 森厳はイザヤの隣でぼやいた。

「だから、さっきから言ってるでしょ? 臨也を出せばシズちゃんは放っておいてもやる気がでるのに」
 イザヤはかわいらしく、小さな溜息をつく。

「臨也君はメインディッシュだから、最後にって思ってるんだよ。
 だって、研究所壊しかねないだろう、二人会わせたら。特別頑丈な部屋でないとさ」
「ふ〜ん、けど…」

 イザヤは呟いたが、その先を続けなかった。
 どうせ、研究者達の方が焦れて、勝手に動くだろう。
 案の定、周囲の視線に押され、責任者の松岡が苛立って、マイクを掴んだ。

「静雄君、いい加減に行動しないか! 君の態度は実験の進行を遅らせている! 
 目の前の男を倒すんだ! 君は子供がどうなってもいいのか!?」

「…るせェ…」

 静雄の背中は怒りに満ちている。研究所の中は迷路でなかなかイザヤに辿りつけない。
 しかも、おかしな罠のせいで服が破れていく一方だ。この上、命令されたくなどなかった。

「俺は端から手前らの実験なんぞ付き合う気なんざねぇんだよ! 
 イザヤを取り返して、手前をぶっ殺せればなぁ! こんなつまんねぇ事やらせんじゃねぇ! 出口開けろ!!」
「つ、つまんないだと!?」

 松岡は思わず爪を噛んだ。苛立ったり、自分の意見が通らないと爪を噛むのが彼の癖だ。
 母親に矯正されて直ったつもりだったのに、静雄のせいでまたぶり返してしまった。

(ぼ、僕に向かって命令するなんて。実験動物のくせに。
 ここで結果を出せば僕は栄転なんだ。せっかく、あの美しい聖辺ルリよりお前を推薦してやったのに!
 見てろよ…!)

「君はまだ自分の立場が解ってないようだね、平和島静雄君!」

 マイクに怒鳴ると、松岡は室内の操作盤に向かった。
 放水量を全開にし、プロペラの回転速度を一気に上げる。
 給水孔から激しく水が噴出した。見る見る水位が上がっていく。
 同時に部屋の水のゆるやかな流れがグッと力を増し、洗濯機のように逆巻き始めた。

 松岡はニヤリと笑う。溺れても、転んでも、プロペラに切り刻まれる。
 悲鳴を上げるがいい。命乞いをするがいい。
 これで静雄もどちらが生殺与奪の権利を持ってるか知るだろう。


「うわぁぁああっ?!」

 突然、状況を一変させた部屋の有様に、被験者の男は悲鳴を上げた。
 渦に巻き込まれまいと必死に手摺りに掴まり、高い逃げ場はないかと狂ったように周囲を見回す。
 が、どんなに踏ん張ろうとしても水の嵩は深すぎ、足元の流れ程早く、動きが取れない。
 体が浮いて足元がすくわれそうになる。濡れた手摺りは滑りやすく。指が今にも千切れそうだ。

「やっ、やめろ!やめてくれ! 助けてくれ! 殺さないでくれ!」

 松岡の望み通りの言葉を被験者は叫び続ける。
 松岡はニヤリと笑った。静雄もすぐに同じように音を上げるだろう。
 細い彼の体は水流に揉まれてすぐ流されそうに見える。

「さぁ、これでやる気になっただろう! 止めて欲しかったら命乞いをしろ。
 そして、戦え! この激流に逆らって相手を殴り殺すんだ!」

 が、静雄は増えていく水嵩に眉を潜めて、足元を見下ろしただけだった。

「…歩きにくい…」

 そう呟くと、片手で手摺りを掴み、もう片方で壁をぶん殴った。
 一度、二度。それだけで壁が巨大な円形に凹み、亀裂が入る。
 ビシビシとたわいもなく砕けて崩れた。水流の激しさがその破壊に追い討ちをかける。

 ほんの数十秒。
 水圧に耐えるよう特別に強化された筈の壁に大きな穴がポカリと開いていた。
 出口を得た水は凄まじい勢いでそこからあふれ出す。
 激流のように廊下を流れ、研究所内の他の部屋を急襲した。

「…な…っ !?」

 松岡を始め、研究員達は茫然としていた。
 ありえない。
 掘削用の巨大重機でも簡単に破壊できない強化壁だ。
 それを人間が片手で数回殴った程度で穴を開けるなど。

「…バカな」
「そんな…」

 見た光景が信じられない。
 静雄の怪力は知っていたが、今までのデータが根本から崩壊してしまった。
 基準値の大幅な改正をしなくては。

 が、突然、部屋が真っ暗になり、全員がギョッとする。
 同時に電気系統の異常を知らせるサイレンも鳴り始めた。

「な、何だっ! どうした!?」
「停電です! 壊れた壁から水が内部に浸透して、コードがショートしたり、他にも溢れた水のせいでどこかが漏電したらしくて、
 復旧には時間がかかります」
「バカ者! さっさと補助電源に切り替えるんだ!」

 うろたえている研究員達に森厳がのんびりと声をかける。

「それよかさー、水、先に止めた方がいいんじゃないの?
 このままだと研究所中、全部水びたしになっちゃうよ?」
「あああっ!?」

 松岡は慌てて操作盤へ振り返ったが、補助電源に切り替えが終わらないので水も止められない。
 壁の孔はますます大きくなって被害は拡大するばかりだ。


「あ〜あ、松岡君が調子に乗って、水全開にするからぁ。こういう時、電化製品は困るよねぇ」

 森厳は人事のように呟いた。その隣でイザヤは引き付けを起こしたように腹を抱えて笑っている。

「アハハハハ! やだ、もう苦しい!シズちゃんサイコー!!」

 その顔は子供らしく無邪気で残酷でかわいらしい。森厳はやれやれと肩をすくめた。

「これこれ、あんまりそんなに笑うんじゃないよ」
「だって! 皆バカなんだもん、アハハハハ!」
「ふー、こうなると解ってたくせに言わない君も人が悪いな」

 イザヤはようやく体を起こした。だが、顔はまだ笑っている。

「だって、子供の姿だって、僕を下に見る奴がいるからさ。
 あのシズちゃんが大人しく実験に付き合うなんてありえないもん。
 けど、『歩きにくい』とはねー。もうサイコー過ぎだよ!」

 イザヤは再び笑い出した。
 いつもシズオに計画を阻まれてきた。
 予想もしない力に状況を覆されて、何度煮え湯を飲まされてきたか。

 だが、他人が静雄にしてやられる姿を見るのがこんなに痛快だとは。
 もう静雄が傍にいたら抱きしめてあげるのに。


 子供の甲高い笑い声が部屋に響き渡る。
 松岡以外はうるさいが仕方ないという顔をしていた。
 子供というのは得なものだとイザヤは思う。



「補助電源切り替え。及び、給水停止しました」

 ようやく騒ぎは収まった。
 だが、無論、ホールには既に静雄も被験者もいなかった。
 そして、停電の結果、警備システムが一時的にダウンし、被験者達が軟禁されていた部屋のロックも解除されていた事が判明する。
 研究員達は真っ青になった。

「す、すぐに被験者どもを全員捕らえろ! 外へ一歩も出すな! この実験が外部に知られたら、コトだぞ!」

 その松岡の背にイザヤは声をかける。

「さて、責任者の松岡さん。この不手際、あんたは本社にどう報告するの?」
「何?」

 子供に揶揄されて、松岡は怒ったように振り返る。が、イザヤは優しく笑った。

「それより、シズちゃんの居場所を早急にチェックした方がいいんじゃない?
 絶対、あんたを殺しにくるよ。僕を取り戻す為にさ」
「あ……」

 松岡は蒼白になって立ち竦んだ。
 あの狼のまなざし。
 画面越しでありながら、食い殺しそうに彼を見ていた目。

「さぁ、どうする? あんたが殺されそうになった時、僕がとりなしてあげてもいいんだけど。
まだ、責任者でいたいんでしょ、松岡さん?」
「…………」

 松岡は返事も出来ない。
 それを見て、イザヤはまた狂ったように笑い出す。
 松岡は殺意寸前の憎悪を込めて、その姿を見下ろした。


 子供。 
  
 だが、中身は悪魔だ。人間を手玉に取って遊んでいる。
 彼に這い蹲らなくてはいけないのだ。この研究所全員が。
 松岡が充分、自分の立場を自覚したところで、イザヤはピタリと笑い納める。

「松岡さん、あんたの次第はよく解った。
 これからは僕か森厳の指示を聞くように」

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さて、お待たせしました。
やっと次回から、臨也と静雄のターン。

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