「臨也とイザヤ」 7
(困ったな…)
臨也は廊下を走りながら、現在地点を記憶の地図と照合していた。
停電の直後、部屋を抜け出せたのはいいが、この棟には出口も窓もない。
実験の為か大幅に改築されており、矢霧時代の内部構造とかなり違っている。
脱出するなら、警備システムがダウンしている今なのだが、知ってるルートが使えなくなっているのだ。
通風孔に逃げ込もうとしたのだが、部屋から一番近いポイントは潰されてしまっていた。
唯一の出口である連絡通路は検問があり、警備員が詰めているの使えない。
大勢の被験者達が警備員と揉めてる隙に脱出ルートを確保しなくては。
(システムが復旧すれば、監視カメラや侵入者防止の罠が起動する。
その前に安全な隠れ家を見つけないと)
どんな堅固な建物でも、必ず警備の穴はある。
改築しても、大本は変えてない筈だ。
サーバの端末から情報を得られれば、活路も見出せるのだが。
廊下は暗い。
間接照明だけが緊急用の予備電源と直接繋がってるおかげで、どうにか見える。
この暗さで警備員の目を誤魔化せてるが時間との勝負だ。
(停電ももう終わるだろう。次のポイントにたどり着ければいいんだがな)
情報屋は危険と隣り合わせの職業だ。
今回のように、商売相手が必ず返してくれるとは限らない。
だから、必ず行き先の地図は頭に叩き込んでおく。
退路を用意しておくのは、生き延びる為の鉄則だ。
これは静雄とのチェイスの時も随分役に立っている。
己の身軽さと運だけで、静雄の鉄拳を逃れ切れる訳がない。
(この角を曲がったところに小さな倉庫がある。
そこから、地下に通じる通風孔がある筈だ)
研究所を改築したとはいえ、その全てではない。
通常研究の為の場所もたくさんある。そこなら、警備も手薄だろう。
角を曲がる前に臨也は慎重に壁に張り付いた。
様子を伺う。出会い頭に警備員と出くわすのは御免だ。
生憎、向こうからは靴音が響いてくる。
臨也は呼吸を整え、逃げる途中で拾った鉄片を握り締めた。
警備員なら始末し、被験者ならやり過ごす。
役に立たない連中とつるんでも足手まといにしかならない。
先手必勝。
臨也は鉄片を翳して、踏み込んだ。相手と目が合う。
「…シズちゃん」
平和島静雄が目を見開いて、彼を見つめていた。
服は少しボロボロで頭からビッショリ濡れている。
だが、そののん気そうな姿は池袋の街をトムと歩いてる時と少しも変わらなかった。
(緊張感がない…)
臨也は心底呆れた。
この実験の当事者で、大混乱の源のくせに、この茫洋とした顔はどうなのだろう。
が、臨也を認識した瞬間、スイッチが入ったように怒気が漲る。
「臨也ぁぁああ! 手前、何でこんな所にいやがる?」
いきなり鉄拳が飛んできた。
反射的に飛び退りながら、臨也も叫び返す。
「誰のせいだと思ってんの? 全部シズちゃんのせいだよ!?」
「何がだ、ノミ蟲野郎! やっぱ手前だろ! 手前が企んだ事なんだろ、全部?」
「冗談じゃない! 俺は被害者だよ! シズちゃんの実験の為に捕まったんだから責任取ってよ!」
「ああ…?」
静雄は拳を振り回すのをやめた。
臨也をマジマジと見つめる。
「お前が捕まったってーのか? 嘘付け」
「嘘じゃないよ。何でも俺のせいにしないでよね。
森羅の親父さんに仕事だってここに呼び出されてさ。いい迷惑だよ」
「あのクソ親父にか。チッ、帰ってやがったのか、日本に」
静雄は露骨に嫌な顔をする。
来神学園時代、静雄の肉体に興味を持ったのは息子だけではない。
コーヒーに薬を盛られて、解剖されかかったのは一度や二度ではないのだ。
森厳なら息子の友達だろうと、実験に使うだろうと静雄も納得する。
「ネブラに目をつけられるなんてご愁傷様」
「知るか。俺はただ…」
言いかけて静雄は口ごもった。
「…ただ、何?」
「あ、いや。奴等に大事なものを盗られたんで、取り返しに来ただけだ。
でなきゃ、こんな所、用はねぇ」
静雄はイザヤの事を伏せた。
臨也とイザヤの関係など知らないが、臨也がいい感情を抱かないのは解るからだ。
「大事なものって何さ?」
「何でもいいだろ。何で手前に教えねぇといけねぇんだ」
「ふ〜ん、ま、いいけどね。
けど、こんなあからさまな罠に引っかかるなんてバカじゃない?
大体、さっきボケッと歩いてたのも道に迷ったからじゃないの?」
図星を指されて、静雄は真っ赤になった。
「手前に言われる筋合いはねぇよ。
手前こそ、仕事なら何でもホイホイ引き受けんのか」
「だから、誰のせいだと思ってんの。
シズちゃんが俺にさっさと殺されてれば、俺は被験者にされる事もなかったのにさ」
「その前に手前が俺に殺されてりゃ、捕まるハメにもならなかったろうよ」
「ひっどいよね、その言い草」
臨也は眉をひそめた。
「言っとくけど、俺は騙されたの。
そして、俺がいようといまいと、シズちゃんは奴等に実験動物にされたさ。その力のせいでね」
「…フン」
静雄は苦々しげに横を向いた。怪物である事は逃れられない。
その力は人を遠ざけ、望まぬものを惹きつける。
だからといって、その運命を受容するつもりもない。
「だから、ここは手を組まない?」
「ああ?」
思わず、静雄は臨也を見返した。臨也は笑って、破片を振る。
「俺はここを脱出したい。
シズちゃんは大事なものを取り返したい。
俺の頭脳とシズちゃんの力。
コンビを組めば無敵じゃない?」
静雄はマジマジと臨也を見る。ふむと首を捻った。
「確かにいい考えだ。
俺はさっさとやる事やって帰りてぇ。手前の情報がありゃ便利だろ」
一つ頷き、きっぱりと断言した。
「だが、断る!」
「どうして?」
どうせ断られると解っていたので、臨也はニヤニヤと聞き返した。
「裏切ると解ってる奴と組めるかよ」
静雄は臨也を睨みつけた。臨也は大げさに肩をすくめる。
「信用ないなぁ」
「信用できる事をお前が一度でもしたか!?」
静雄の脳裏に来神時代からの軌跡が走馬灯のように蘇る。
ハメられて、欺かれて、騙された。
臨也が絡んだ思い出にいい結果が一つもない。
『いやー、こんなに君をハメようとするのは、本当は臨也は君の事が好きだからじゃないかな。
僕がセルティの事を寝ても覚めても四六時中考えてちっとも苦にならないようにさ。
そうでなきゃ、普通、途中で嫌になるか、諦めるんじゃない?
嫌よ嫌よも好きの内で…うぐぐぐぐ』
新羅に昔言われたが、その愛を受け入れていたら、静雄はとっくに何度か死んでいただろう。
(そういうのは愛じゃねぇだろ?)
愛というのは、幽やトムと過ごす時間のように、もっと優しい思いやりのあるものの筈だ。
常に相手を潰す以外考えない、殺伐としたものの訳がない。
仮に罪歌のように相手を傷つける事でしか表現出来ない愛なんて、向けられた方はたまらない。
「してないよ。俺はシズちゃんが目障りで大嫌いだからね。
何百回となく潰そうと思ったさ」
臨也は破片をナイフのように指で弄んだ。
それをいきなり静雄の顔に突きつける。
「でも、出来なかった。
だから、手を組みたい。
シズちゃんと手を組めば、生き延びる確立が跳ね上がる。
俺は合理的に考えただけさ。
それとも、シズちゃんはいつまでも奴等に弄ばれてていいの?」
「危ねぇだろ、ノミ蟲」
静雄は破片をパシッと払い除けた。
「お前が俺を認めるってのかよ。
意固地なお前に手前にしちゃ珍しいな」
「下手に出てる訳じゃない。
俺も頭に来てるのさ。あいつらに。
俺は人間を愛してる。
でも、他人から遊ばれるのは好きじゃないんだ。
だから、一時休戦しないか、シズちゃん」
共通の敵という奴か。
悪くない。静雄はニヤリと笑った。
「フン、散々人で遊ぶ癖に、勝手なもんだな。
だが、お前らしい。いいだろう。乗ってやるよ」
「じゃ、握手」
差し出す手を静雄は冷たく見下ろした。
「けど、馴れ合うつもりもねぇ」
臨也はクスリと笑う。
「シズちゃん、銭形のとっつぁんみたい」
「誰だ、それ。俺をオヤジ扱いすんな」
「もう〜、たまには弟以外のTVくらい観なよ」
|