「臨也とイザヤ」8

 

(大丈夫かな?)

 静雄がネブラに入った後も、セルティはその場を立ち去りかねていた。
 いくら静雄が強くても、やはり心配だ。
 一人で行かせてしまったのをつい後悔してしまう。

(いつも大丈夫どころか、相手が死なないかって思う事になるのが多いんだがな。
 いや、実際そうなったら困る。
 相手はチンピラじゃないし、警察沙汰になる前に助けに行った方がいいんじゃないかな)

 シューターが主人の不安を察して、ブルルと鳴いた。撫でてやったが、気持ちは晴れない。
 突然、ピルルと着信音が鳴った。

(静雄?)

 素早く携帯を取ったが

「あ〜、セルティ? 今何処ー? 仕事が入ったんだけどいいかな?」

(新羅…)
 能天気な声にガックリする。

「ん? あれあれ、セルティ、どうかした?」
 返事がすぐない事に異状を察知して、新羅が尋ねた。
 喋れず、顔がない分、新羅はセルティの感情を読み取るのが誰よりもうまい。

『それがな』
 セルティはPDAのチャット機能を立ち上げると、事の経緯を打ち込む。


「ふ〜ん…イザヤって名乗る子供をね」

 新羅はセルティの文面を見つめ、しばらく考えてるようだった。
 何処かに色々電話を入れた後、意を決したように返信を書き込む。


「それが本当だとすると、静雄だけじゃなく、臨也の命も危ない。
 すぐ彼らを助け出さないと」

『どういう事だ?』

「昨日、臨也がうちに来たんだけど、その時、ドッペルゲンガーに会ったと言ってたんだ。
 臨也そっくりの子供のね。
 しかもその子から、臨也は『必ず殺す』と言われてる。

 ドッペルゲンガーという存在はね、自分自身を消去しようとする殺意の具現なんだ。
 自己否定であり、自殺志向の象徴でもある。

 その子が別の世界のシズオの代わりに、静雄を求めるというならば、その子は臨也に成り代わろうとしてるんだ。
 同じ世界に同一のものは存在できない。どちらかが消滅する。
 臨也かその子か解らないけど。

 今、臨也の携帯や事務所に連絡を入れてみたんだ。
 でも、彼と連絡が全くつかない。
 昨日、ネブラに父さんに会いに行く予定があると言っていた。多分、臨也もあそこにいる」

『じゃあ、静雄は?』

「彼が鍵になるだろうな。彼の選択次第で多分どちらかが消える。

 けど、ネブラは多分その子と別の思惑を持ってると思う。
 この間、ハリウッドの事件があったろう、セルティ。
 その時、ネブラはハリウッドを研究するつもりが、「一般人」にハリウッドが負けたので検体にするのを断念してるんだ」

『待ってくれ、新羅。ハリウッドって、確か聖辺ルリの事だよな』
「ああ、彼女を診察したのは僕だ。
 そして、彼女を担ぎこんだのは羽島幽平。その加害者の一般人の弟だよ」

 思わず、セルティは息を呑んだ。

『では、静雄はハリウッドの代わりか。
 彼を研究するつもりなのか、奴等は!』

 怒りで目が眩みそうだった。
 何故、人間は簡単にそんな事を思いつくのか。


 以前、森厳にメスで切り刻まれた事を思い出す。

『一体、どうやったらこいつは死ぬんだ?』

 痛みでうつろになりながらも、セルティは森厳の言葉を覚えている。
 彼はセルティが死んだって構わなかったのだ。
 彼の知識欲を満たせれば。


 そして、なくした首もあの研究所にあった。
 どんな扱いを受けたか想像に難くない。

(静雄が同じ目に合わされるのか? 私みたいな)

 考えるだけで、体が震える。そんな事させてたまるものか!


『今すぐ、静雄を助けに行ってくる!』
「待って、待って! ネブラはセルティにも興味があるんだ。
 そんな危ない所に一人で行かせられないよ」
『でも! こんな事をしてる間にも…』
「…静雄の事だと、セルティは結構我を忘れるよね。何だか妬けちゃうな」

 急に水を指されて、セルティはうろたえる。同時に怒りも少し鎮まった。

『友達なだけだ。変な誤解をするな』
「信じてるよ。
 とにかく、セルティ。独りで突撃しちゃダメだよ。
 内部がどんな状況かも解らないんだ。
 僕の考えは今のところ、ただの憶測の域を出ないんだから、もっと情報を集めないと。

 まずは応援を呼ぼうよ。
 門田達が近所にいる筈だ。
 人狩りの件で彼らは色々矢霧製薬を探っていたからね。
 きっと力になってくれる筈だよ」

 セルティは同意した。
 確かに闇雲に行動しても、却って静雄達を危険に晒すかも知れない。

『解った。門田達とまず合流するよ。
 ところで、新羅。一つ聞いていいか?』
「何?」
『何で、ハリウッドの件についてそんなに詳しいんだ?
情報の出所は何処だ?』

「父さんは何処に今、勤めてるっけ?」

 セルティは力なく溜息をついた。お喋りなのは家系らしい。

『会った時、殴っていいかな? 静雄だとさすがに森厳も死ぬだろうし。
 お前は彼の息子だから、一応断っておくけど』

 PDAの向こうで新羅が苦笑いしたようだった。

「セルティの綺麗な手が穢れるから、やめてくれと一応言っておくよ。
 でも、誰かが一度父さんを思い切り殴った方がいいと思ってるから、その時は僕に遠慮はいらないからね」

 

 通風孔から降りた先は不良品の倉庫だった。
 古いOA椅子や埃まみれのダンボール、古い薬品ビン、錆びた生活雑貨など棚やそこかしこに無造作に積まれている。

「何だ、こりゃ」

 静雄は顔を顰めた。

「矢霧製薬の遺産てとこだね。
 吸収合併された腹いせに片付けないまま放置して撤退したんだろ」

 臨也は数台積み上げてあるパソコンを調べていた。
 が、どれも全く使えそうにない。

「ダメだな。他を当たろうか、シズちゃん」
「面倒臭ェ。黒い棟はどっちなんだ。方角さえ教えてくれりゃいい」

 静雄は苛々して周囲を見回していた。
 ここはどうも気に入らない。肌がピリピリする。
 暇潰しにゴミを漁っていると、埃が舞い上った。
 臨也が嫌な顔をする。

「焦らないでよ。警備システムはもう動いてるんだ。
 闇雲に進んだって、却って時間食うだけだよ。
 それに余り物音を立てない方がいい」
「解ってるよ。ちょっと触っただけだろ?」
「情報が欲しいなら協力してよ。手を組むって約束しただろ?」
「っせぇな。俺はさっさとこんな所、出たいんだよ」

 臨也は溜息をつく。

「そうだよね。でなきゃ、俺と組むなんてしないか。
 心配しないでよ。俺だって好きでシズちゃんといたい訳じゃないからさ」
「あ?」

 静雄は臨也の少し卑屈っぽい声音が気に障った。
 静雄はただ状況が進展しないのと、この汚い部屋にいるのが嫌なだけなのだが、臨也は二人で組んだ事に拘っているらしい。

(何か、こういう言い方がイチイチ腹立つんだよな)

 確かに犬猿の仲だ。
 だが、静雄は苗字に反せず、基本的に平和主義者だ。誰ともケンカしたくないし、仲良くやっていたい。
 誰かに嫌われたり疎まれたりするのが、どんなに辛いか知り抜いている。

 だから、相手が心を開いてくれれば、嫌われた事を飲み込んでしまってもいい。
 一発殴らせてくれたら、だが。


 けれど、臨也は違う。
 相手の傷を引っかく。かさぶたをはがしたがる。

 だがら、二人は噛み合わない。


 そこを圧して組もうと言い出したから、何となく期待したのだが。

(…何の期待だ)

 静雄は自分の中で燻っている感情を乱暴に押しやった。
 いきなり、すんなり息が合うとは思っていない。

「いちいち突っかかんなよ。約束は守る。
 ここを出るまではな」
「はいはい、ここを出るまで、ね」

 臨也は静雄に背を向けた。
 その背に妙に寂しさを感じる。
 時々、会話が途切れるたびに感じる一瞬の間。
 それが静雄の心を引っかいていくのだ。


 臨也は口数が多い。
 色んな言葉を並べ立てて、人の心を引っ掻き回す。
 だが、ほんの小さな動作の一つの方が、彼の心を雄弁に語ってるように思えるのだ。

 臨也に期待はしない。
 それでも、何か期待し続けてる自分がイヤになる。

(チッ…)

 静雄は無性に煙草が吸いたくなった。
 だが、先刻の洪水で全部しけってしまっている。
 煙草で感情が収まった試しはないのだが、こういう時、間が持たない。

「さっさと行こうぜ」
 静雄は臨也を呼んだ。

 

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