キスキスキス(幽静)


 弟の家に泊まった。

 仔猫の独尊丸の世話をしに来たら、スケジュールがうまく回ったとかで、幽が予定より早く帰宅してきた。
 もう数日家に帰っていないので、そのままバトンタッチしてもよかったのだが、つい話し込んでしまった。
 二人共、偶然明日の休日が重なったせいもある。
 酒を飲みつつ、幽が出演してる映画やドラマのDVDを観ながら、たわいない話をする。
 それだけでも結構楽しい。家に帰るのが面倒臭くなったので、結局泊まる事になった。
 幽が自室。静雄が客間。

(でも)

 静雄は右腕にかかる重さに促されて目を開けた。
 朝起きる時はいつも幽が隣に寝ている。

(またか…)

 子供の頃からの幽の癖だ。
幽が小学生になったのを機に、お互い自室をもらったのだが、幼稚園の頃と変わらず、幽は静雄の部屋に居つき、そのまま一緒に寝てしまう。
 静雄が中学に上がった時、

「いつまでもくっついてないで、別々に寝なさい」

と、幽は母に注意されたのだが、朝になるとやっぱり滑り込んできている。
 牛乳を毎日欠かさずたっぷり飲むせいか、例の特異体質のせいか、中学半ばで静雄の体はメキメキ伸びたのだが、どんなにベッドが狭くなっても、幽自身が大きくなっても、やっぱり幽の習慣は変わらない。


 だから、静雄はさほど驚かなかった。
 却って、寄り添ってる方が快い。
 客間のベッドは広くて、男二人が寝るには十分だったし、幽はあったかくて、ぽわぽわしてて気持ちいい。
 誰かが寄り添っている方が安心する。
 大人になっても性癖が変わらないのは、生き馬の目を抜く芸能界で気を使い、嫉妬や妬みで気を抜く暇がなく、心安らぐ場所が静雄の隣しかないからだろう。
 幽は見た目の可憐さと違い、案外内面は図太いのだが、それでも芸能界でロクに友人の出来ないからには相談相手もなく、結構淋しい想いをしてるに違いない。
 そう思うと、弟の平和のまどろみを守ってやりたいと思う。
 静雄は微笑んで、小さく上下している幽の頭を見つめた。

(母ちゃんからは注意されたけど、幽が一緒に寝てくれて、俺は助かったんだよな)


 全力を使った事で代償を受けた身体の痛みは凄まじかった。
ケガをしてる身体の上にまたケガをする。治る暇もなく、傷が増えていくだけの地獄。
 自分を抑えられない。たったそれだけの事が出来ない為に、自分が作り出した地獄。
 身体が作り変えられていくなんて、当時は思いもしなかった。
 最初は「痛い、痛い」とベッドで母に訴えた。やはり、一番に子供が頼るのは母親だから。
 でも、静雄は夜中目覚めた時、母が泣いてるのを見てしまった。
 人一倍他人の心を傷つける事を厭う少年は、それっきり、母の前で「痛い」と言えなくなった。


 でも、苦しいのは消えない。なくならない。ただ、自分を壊すだけの毎日。
 溺れるのを諦めて沈んでしまったらどうなるのか。いっそ、その方がマシだとすら考えて始めていた。
 そんな時、幽がいてくれた。
 一緒に寝てくれた。家でも病院でも。
 幽は静雄がどんなにうめいていても、苦しさに耐えていても、何にも言わなかった。何の反応もしなかった。
 ただ、静雄の腕の中でじっとしていた。
 無表情な人形のように、静雄と一緒にいてくれた。
 抱きしめて、静雄が痛みに震えていても、何も言わなかった。
「痛い? 苦しい?」と解りきった事を訊いて、静雄をイライラさせたりしなかった。

 それでも、幽は決して人形ではなく、一人の人間だった。
 静雄の苦痛をただ一人真正面から見つめ続けてくれた。静雄が一番辛い時、黙って抱きしめ返してくれた。
 地獄の日々の中で幽だけが暖かくて、確かなものだった。
 だから、静雄はどんなに辛い時でもいつの間にか眠れた。悲しい事にも耐える事が出来た。
 もう、身体は多少の事があっても壊れないが、それでも、幽を腕に抱いていると心が和む。


 その時、ふと股間に違和感を覚えた。こちらも何だか重くてくすぐったい。
 布団を持ち上げてチラリと覗くと、足の間に仔猫が小さく丸まっていた。

(お前か…)

静雄は苦笑いした。しょっちゅう、静雄が泊り込みで世話してやってるので、すっかり慣れてしまったようだ。最近は主人の幽より静雄と寝たがる。

(しかし、どうして猫ってのは股間とか腋の下とか、妙な所で寝たがるんかな)

 ベッドは広い。成人男子が二人寝てまだ余るキングサイズだ。いくらでもスペースがあるのに、幽も独尊丸も静雄にベッタリである。

(かわいい)
 自分に甘えきっている彼らに心から愛しさを感じた。
 日頃、疎まれ怯えられ、トムが先輩らしい親しさを示してくれる以外、真正面に愛情表現など誰もしてくれないから尚更だ。
 この状況に、静雄は心から幸せだった。


(しかし)
 静雄は内心困惑する。
(動けねぇ…)


 よりによって、彼らは静雄の周囲をがっちりガードしている。ちょっとの寝返りも身じろぎも許されない。
幸せだが、結構ツライ。
(まぁ、いいか)
 じっとしてると筋肉痛になりそうだが、この幸せに比べれば多少のコリ位何だというのだ。
 だが、こうして起きてると別の用件が頭を擡げてくる。


(…トイレ行きてぇ)
 そういえば、昨夜は結構飲んだ。幽の用意してくれた酒は滅多に口に入らないようなおいしい奴で、うっかり何瓶も空けてしまった。
 その報いが今来ている。
 忘れて寝てしまえればいいのだが、用を済ませろと膀胱が囁き、それが小言に変わり、要求を告げ始める。
(くそ〜)
 デジタル時計を見ると、六時半だ。起きるにはまだ早い。
(せっかくの休みなのによー)
 できれば、もっとのんびり寝ていたい。目を瞑れば睡魔も戻ってくるだろうと高をくくったが、トイレの欲求ははがれる事なく、むしろ目が冴えてくるばかりだ。


(どうすっかなー)
 我慢できない事もないが、用を済ませてしまえば、またゆっくり眠れると解ってるだけに微妙なところだ。
「はぁ〜」
 思わず溜息をついた。顔を横に向けると幽を目が合う。



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