「キトン・ブルー」(幽静)
「時間が空いたから、うちで御飯食べない?」
仕事が早く終ると、兄にメールする。仕事柄、静雄の方が就業時間が遅いのだが、幽の方が最近忙しいので、何とか時間をやりくりして来てくれる。
いっそ、レストランかパブで待ち合わせでもいいのだが、『羽島幽平』が有名になり過ぎて、視線が多くて落ち着かない。
元々、庶民体質の独身2人、気楽にくつろげる場所の方を選んでしまう。「よぉ」
兄の手土産はいつもビール6本入り1パック。
そこに幽が用意したつまみや料理を並べるのが慣わしになっている。食べて、飲んで、大画面のTVでDVDを見ながらだらだらする。
それだけなのだが、幽はこの時間が一番好きだった。一緒の街に住んでいるのに、離れて住んでいるから尚更。
仕事を転々としていた頃の兄に、それとなくこのまま一緒に住まないかと訊いたのだが、いつもきっぱりと断られた。
兄には兄としての矜持があったのだろう。(俺はダメな男だ)
兄の心の根っこには、そんな部分がある。
定職に就けない兄の背中は、いつも淋しそうで丸まっていた。(大丈夫だよ、兄さんは)
抱き締めたくなるのを何度もこらえた。
そんな事をしても、兄を傷つけるだけだと解っていたからだ。
このマンションも
(兄さんが困った時、一緒に住めたらいいな)
と、企画番組に参加したのをいい事に12億近い資金を稼いで購入したものだが、現実は考え通りに行かなかった。
両親は住み慣れた家を離れたがらなかったし、兄は独立を譲らなかった。
だから、幽は家族水入らずの時間を取り戻せた事が幸せだった。当時の兄と比べると、本当に明るく自信がついている。
兄に今の仕事を誘ってくれた田中トムにもとても感謝している。
「この刑事ドラマ、結構面白いな」
「うん、好評だったから2期もやるって」
「そっか〜、よかったな」静雄は楽しそうにドラマを見ている。もちろん、幽が主演もしくは出演しているものばかりだ。
ブラウン管の中で幽は色んな役になりきっている。
明るい熱血漢、陰気な殺人鬼、野望を秘めた医師、口の回る詐欺師…。コミカルな役、悲劇的な役、ストーカー、オカマにヒーロー何でもありありだ。それら全部を静雄は嬉しそうな、楽しそうな、しかし、何処か切ない目を向けて画面を見てる。
本当なら、幽が日常でも浮かべる筈だった顔。
笑って、怒って、泣いて、喜んで、はしゃいで。
その当たり前で、ありきたりな表情。
静雄が奪ってしまったと思い込んでいる表情を愛しむように眺めている。
飽きる事なく。
だから、幽は仕事を選ばない。
色んな役柄から心をもらいたいのは本当だ。その役柄を尊敬し、欠落した部分を拾い集め、人間に戻りたいとも望んでいる。
でも、兄と一緒にいたかった為、表情を捨てた事をかけらも後悔などしてやしない。
役者の仕事をしていれば、色んな自分を兄に見せられる。
兄はどんな役柄だろうと、どんな人格だろうと、ことごとく愛してくれる。
目をそらさない。あの気難しい兄が。それは幽だからだ。
幽が役に完璧になりきって、幽そのものでもあるから、兄は認めてくれる。だから、幽はどんな役も真剣になる。役に格付けなどしない。それが世界的な評価に繋がるなど打算すらない。
(考えたら、兄さんに見せる為だけに僕は役者をしてるのかもな)
兄と繋がってられるなら、それでいい。たった一人の観客の為に演じ続けるのも、役者として有りだろう。
その時、ニャーとか細い声が聞こえた。
カリカリと扉を引っかく音がする。「ああ、起きたのか。エサやらなくちゃ」
「ん? お前、ネコ飼ったの?」
「うん、目が合ったから」幽が扉を開けると、ふわふわした仔猫が転がるように彼の足にまといつく。
両耳がペコッと垂れたスコティッシュフォールド。
幽が歩くと、その足にじゃれ付くように、鳴きながら必死に縋り付いてくる。ネコ缶をやると、嬉しそうにカツカツ食べ始めた。
しゃがんで眺めていると、静雄もいつの間にか幽の横にしゃがんでいる。
「チッちぇーなぁ、こいつ。何て名だ?」
「独尊丸。唯我独尊丸っていうんだ」
「ふぅん」
カーミラ才蔵にそんなキャラがいたかな?と静雄は仔猫を見下ろしながら考える。「何かこんなにちっちぇーのに、必死で生きてるって感じだなぁ」
「…それ、前にも言った」
「へ、いつ?」
「小学校ん時」
「よく覚えてんな、お前」静雄は苦笑する。記憶力がいいから、役者に向いてるんだなと思う。
子供の頃、捨て猫に給食のパンの残りをやりながら、二人いつも並んでじっと眺めていたのを思い出す。
静雄がいつ入院するか解らないので、ペットはご法度だった。「やっと、猫飼っても怒られないね」
幽がポツンと言った。静雄は幽の頭をクシャッと撫でてやる。
食べ終わった仔猫を撫でてやると、仔猫は喉を鳴らして甘えた。
「兄さんも抱いてみる?」
「何か…怖ぇえな」
自分の怪力を心配しているのだろう。幽は内心おかしかった。「大丈夫だよ」
仔猫をヒョイと抱き上げ、静雄の腕に押し込む。静雄は生まれたばかりの赤ん坊を抱かされた父親のように神妙な顔をした。「そんな緊張しない」
「し、してねぇよ」
と言いつつ、仔猫がクルリと腕の中で丸くなってるのを恐る恐る指でくすぐったりしている。仔猫が指にじゃれ付くと、嬉しそうに小さく笑った。
「今夜、泊まってくよね?」
「うん」
「僕、ベッド用意してくるから、遊んでて」
「うん」静雄は既に生返事だ。仔猫のふわふわした毛に指を滑らせてニコニコしている。
風呂を軽く洗い、ベッドの支度をしてデジカメ片手にリビングに戻ってくると、バーテンダーの服の男と仔猫はフェイクファーの敷物の上で目一杯馴染んでいた。
静雄が即席で作ったおもちゃに、仔猫が一生懸命じゃれついている。「ほら、こっちだ。ネコネコちゃ〜ん」
珍しく静雄が声を上げて笑っている。(か、かわいいなぁぁ。仔猫飼ってよかったぁ)
思わず、写真を撮る幽。
「ん、何撮ってんだ?」
「だって、独尊丸があんまりかわいいから」
「ああ、そうか」
納得して、静雄は仔猫と遊ぶのを再開した。
幽は仔猫そっちのけで静雄だけ撮り続けるが、静雄は猫と遊ぶのに夢中で気付いていない。(ま、たまには独尊丸も画面に入ってるし、ね)
「兄さんが来てくれてよかった。僕が仕事でなかなか日中かまってやれないから」
「そっかー。かわいそうだな、お前。俺がたっぷり遊んでやるからな〜」
ますます大はしゃぎになる静雄と、嬉しすぎて狂ったように目を爛々とさせる独尊丸。
防音設備の整った最上階でなかったら苦情が出る騒がしさだ。(ホントよかった)
日頃、物静かか激怒してるかの両極端な表情しか見れないので、ここぞとばかりに写真を撮り続ける。
子供に戻って遊んでる兄の顔など滅多に見れないシロモノだ。
(僕が見られてばっかりなんだから、僕だって兄さんを見たっていいよね?)
ちょっとだけ心の中で言い訳をして。
「あの猫、凄ぇな。3時間遊んでもちっとも疲れねぇ」
洗い場で髪を洗いながら、静雄は感心する。
「仔猫って遊ぶのが仕事だから、やめたら勝手に寝ちゃうよ」
浴槽の淵にもたれて、じっと兄の背中を眺めながら、幽は答えた。
「早く言えよー。あの猫、どっか壊れてんじゃねぇかと思ったじゃねーか」
静雄は笑いながら、湯で泡を洗い落とすと、湯船に身体を沈める。「あー、お前んちの風呂、やっぱ気持ちいいなぁ。広いし、綺麗だし」
「うん」
最初から兄と入るのを想定してデザインしてもらったので、広さは充分以上だ。
観葉植物の似合うモダンなデザインで、夜景も望める自慢の浴室である。
湯船の中でくつろいでいる兄の体は、あれだけ暴力沙汰を経たくせに殆ど傷がない。
ただ、高校時代につけられたというナイフ傷が今でもうっすら残っており、それが幽は気に食わない。(アレを消せればいいのにな)
折原臨也。
兄が繰り返し口にしては、すぐわずらわしげに話を打ち切る名前。
だが、一方的に話題を変えた後も、ずっと兄の心の中で燻り続けているのを幽は気付いている。
高校を卒業すれば終る関係だと思っていたのに、臨也だけは現在もしつこく絡んでくるらしい。
一度だけ、あの傷に触れてみた事があった。
『これ、どうしたの?』
何気なく聞いたつもりだったのに、『触るな』
兄は滅多に幽に対しては露わにしない不機嫌な顔をする。
その後、視線をそらし別なものを睨みつけるようにして、黙ってしまった。
現場を見ていた新羅に後で聞いたところによれば、あれは臨也がつけたらしい。
以来、幽は二度とその傷の事について口にしない。
(アレを消さないと、な)無表情な顔の下で、目を細め、冷ややかに傷を見つめる。
「しかし、仔猫なんか飼っちまってよー。世話をどーすんだ?お前、メイドも雇わないし、長期間家を空ける事も多いだろ?」
弟の視線にまるで気付かずに、広い風呂を満喫しながら静雄は尋ねた。
狭いユニットバスでは滅多に長身の体を伸び伸びさせられないから、気持ちいい。
見慣れた夜景も風呂の中からだと、まるでホテルにいるようだ。「うん。実は明後日から急にバリに写真撮影に行くのが決まっちゃってさ」
「ええ、大変じゃねぇか!」
「で、急すぎて、人にも頼めないし、まだあんな仔猫なのにペットホテルはかわいそうだろ。兄さん、どーかなって?」
かわいらしく、幽は小首を傾げる。「う…、そ、そーだなぁ。でも、俺も夜まで不規則だからなぁ」
静雄はひよこちゃんをいじりながら、返事を濁す。
「こんなに急な仕事じゃなかったら、独尊丸もショップから引き取るの待ってもらったんだけど…」
「いや、でもショップで待たせる方がかわいそうだろ! あんな、ちっちゃくてにごにご動いてんのによー」
「そうでしょ? 僕もこんな仕事入ると思ってなかったから。
ねぇ、2週間位なんだけどダメ?」
「うーん、例えばよ、俺んちで預かるってのはどうだ? 俺んちペット禁止だけど、隠し通すから! 職場にも連れてくから!」
池袋の街を黒チョッキの真ん中に仔猫を入れて歩く静雄の姿を想像し、鼻血が出そうになったが、辛うじて我慢する。「仔猫ってね、幼い時に住処を転々とすると、不安感でパニックになるんだって。だから、僕んちに慣れるまでは僕んちにいさせてあげたいんだけど」
自立して生きる事と、仔猫かわいそうで揺れる兄を、幽はもう一押しする。
すっかり仔猫に情を移した静雄は弟を見つめ、溜息を一つついて笑う。
「ふぅ、お前には勝てないな。仕方ねぇ、しばらくお前んちに住み込むか」(計画通り!)
内心、新世界の神のような笑顔を浮かべたが、能面のような無表情はそれを表に出す事はない。幽は表情がなくなっただけで、心までなくなった訳では全然ないのだから。
兄が仔猫かわいさで情にほだされ、このままズルズルと長逗留し、そのまま居ついてくれればいい。
2週間なら、静雄が折れる充分な時間だろう。
独尊丸もかわいいが、兄の方がもっとかわいい。
これで高いエサを撒いた甲斐もあるというものだ。
自分に負ける時、人間は何か理由を欲しがる。
『ぬこ、かわいいから!』
ならば、人様へ立派な言い訳になる筈だ。静雄も幽と住むのがイヤという訳ではあるまい。こんな自分でも『ちゃんと一人で真っ当に生きられる』のを証明したいだけなのだから。
「よかった、ホントに」
幽は呟いた。
「お礼に背中流してあげるよ、兄さん」
幽は湯船から立ち上がる。静雄は急に慌てだした。少し赤くなって、必死に手を振る。「え、いいよ。天下のアイドルに背中洗ってもらったら、俺、ファンに殺されるだろ?」
「何、言ってんの、兄さん。今更」スポンジを丹念に泡立てながら、静雄にチョイチョイと指で誘う。兄が根負けするまで。
『火種は、本当にどこにでも、いくらでも転がってるんだ』どこぞの情報屋は気に食わないが、幽もそれだけは同意する。
『下心も、本当にどこにでも転がってる』のだと。
おしまいスパコミ用シズイザシズシリアスに疲れ果てて、お遊びに書きました。
うちの幽はちょっと黒い(笑)
うちの静雄は精神的に弟を愛してて、幽は肉体的愛情を兄に抱いている。
この話の続きの臨也VS幽があります。目一杯ドロドロ物(笑)
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