ニンフェット(幽静)1 

 


 今朝、幽に一緒に住もうと言われた。


 以前から、何度か提案され、その都度断ってきたが、最近、幽が飼い始めた仔猫の独尊丸の世話で週の半分は住み込んでるような状態である。
 幽が売れっ子になってしまったからとはいえ、ただ寝に帰るだけのアパート暮らしに固執するのは確かにおかしい。
 気づくと幽のマンションは、静雄の歯ブラシ、静雄のパジャマ、静雄のトレーナー、静雄のバーテン服、静雄の食器、静雄のマグカップとドッサリ静雄の私物で溢れてる状況である。
 これで「同棲してる訳じゃないんです」と言い張っても、ただの言い訳な気がする。
 朝、幽にあんな形でからかわれたものの、身体にもやついたものは確かに残っている。
 このままだとなし崩しにそういう関係になってしまいそうだ。

(冗談じゃねぇ、俺達は兄弟じゃねぇか!)

 そんな倫理も曖昧になってきてしまっている。
 幽に拒絶されたら、本当の孤独になってしまうし、幽を失いたくはない。第一、キスされても真剣に怒らない自分がいる。

(イヤ、じゃねぇのかな、やっぱ)

 だが、やはり素直に承諾できない。
 でも、口下手なせいか、それを上手に説明も出来ない。
 出来ないまま、なし崩しに半同居の生活が続いてしまっている。こういう状態が静雄は苦手だ。
 幽が好きだから、傷つけたくなくて、余計に気持ちは中途半端なままである。


「…つー訳なんだが、このままズルズル行かずに済む何かいい方法ってねぇかなぁ」

 公園のベンチに座って、静雄は空を見上げた。隣にはセルティが小首を傾げて座っている。
 静雄が心置きなく相談できる相手はセルティだけだ。
 最初は彼女が余計な事を言わないので、静雄を怒らせないからと思っていた。
 だが、今はすっかり気の合う友人同士になっている。セルティの正体を知った後でもそれは変わらない。
 どちらも池袋の都市伝説で恐れられている事もあるが、何となく雰囲気が似ているからという点もあった。
 人間と妖精が似る筈もないのだが。

『静雄は幽が好きなんだろう。どうしてそれで嫌なんだ?』
 セルティはPDAの画面を見せる。
『静雄は貸しアパート暮らしで、幽はマンションを購入してるんだったな』
「ああ、こっから見えるあのデカイのがそうだ」
 静雄は目線でそれを教えた。池袋一等地にある高級マンションが日に照らされて輝いている。幽の家はあの最上階だ。もっともあの建物全部が幽の資産だが。

『東京での一人暮らしは大変だって、帝人や杏里ちゃんからしょっちゅう聞くぞ。独りだと余計な出費が多いんだって。特に仕送りが底を突く月末あたりが苦しいんだってな』

 都会暮らしは物価が高く、高校生の出来るバイト代などタカが知れており、金がないととにかく我慢するしかないらしい。
 新羅のマンションは豪華だし、食費も不要で、寝る場所さえ確保できればいいセルティには縁遠い悩みだが、それでも家賃はそれなりに高い。

『私は新羅に家賃を半分払ってるが、それも結構大変だ。
 だから、兄弟が一緒に住めば、お前も楽になっていいんじゃないか?』
「んー、まぁそうだな」
 静雄は煮え切らない。

『お前の壊した標識や自販機の修理費も、社長さんが一旦立て替えてくれてるんだろ?』
「ああ、俺は給料から少しづつ返しちゃいるが、全然おっつかない有様だ。それでも首にしない社長には感謝してるよ」
 実は社長名義で被害者側に支払われているだけで、実際は幽と臨也が争って払ってる事を静雄は知らない。
 セルティは不思議そうに小首を傾げた。

『それでどうしてダメなんだ? いい事尽くめじゃないか。
 浮いたお金で修理費を支払えば、お前も助かるだろう?
 そうだ、私も新羅にちゃんと家賃だけは納めている。
 あいつは要らないと言うんだけどな。同居人の時ならともかく、恋人になったしって。

 でも、何というか私のけじめだ。最初に森厳と取引した時の。
 新羅の事はその…好きだが、頼り切るというのは嫌なんだ。
 あいつと一緒にいるのは楽しい。あいつは私自身を愛してくれてる。
 でも、私は私個人の生活も持ちたいんだ。
 私の出来る事をしたいんだ。この街で生きるって事を』
「解るぜ」
 静雄は大きく頷いた。


 彼女の言ってる事はまさに静雄の考えと同じだった。
 人に頼りっ放しは楽だ。好きな事だけやって遊んでいたい。引きこもり、自分を憩わせてくれる世界の中だけで。
 だが、二人はそうではない。与えられるだけでなく、孤独故に自分の力だけで自立したいタイプなのだ。だからこそ、甘えベタでもあるのだが。

(やっぱり俺達似てんだよなぁ。だから、こんなに気が合うのかも知れない)

 人と妖精、男女の境なく付き合える気の許せる友人。
 セルティが喋らないからだけではない。彼女の考え方や行動が彼とピタリと合うのだ。

(新羅はいい女を選んだな)

 他の女に目もくれないのは、ただの変態嗜好だと思っていたが、セルティといると納得する。
 彼女へ恋愛感情は持たないが、友人として守ってやりたいと心から思う。

 
「きっと、俺もそうなんだ。お前と一緒なんだ、セルティ」
 静雄は言葉を探すように口を開いた。
「幽の事は好きだ。あいつのうちは居心地がいい。独尊丸もかわいいし、懐いてくれてる。幽が仕事で忙しい時、俺が代わりに泊り込むって、今の生活に何の不満もねぇんだ。
 俺にゃ、仕事が引けた後、一緒に遊ぶ友達はいねぇからよ」
 静雄は初夏の心地よい風に金髪をなぶらせながら目を細める。

「けどよ、俺はこんなだからさ。
 こんなだからこそ、一人でちゃんとやってけるって示さねぇといけねぇんだ。
 それが今まで心配や苦労かけてきた母ちゃんや父ちゃんへのけじめだと思う。
 トムさんのおかげで、やっと仕事も続けられてる。世間の言うかたぎの仕事じゃねぇかも知れねぇけど、俺が出来た精一杯の事なんだよ。
 だから、これからも続けていきたいんだ」
 セルティはじっと静雄の横顔を見つめた。

『そうか、解った。私と一緒か。
 じゃあ、弟さんにちゃんと説明するんだな。きっと解ってくれると思う』
「ああ、お前といると不思議だな。ちゃんと考えがまとまってくる。
助かったよ。だから、俺は…」

 言いかけた時、黄色い布をつけた少年達がこちらへガンを飛ばしてるのが目に入った。公園脇にライトのない黒バイクが駐車しているので、セルティの存在に気づいたのだろう。
最近の黄巾族は何故か池袋外から大量に流れ込んできているらしく、静雄を知らない者が多い。
 しかも、その一人はフェイクファー付の黒いコートを着ていた。理由はそれで充分だ。
 静雄は凶暴な笑みを浮かべ、指を鳴らしながら立ち上がる。
「ああ、ご立派な理由がちゃんとあった。
 臨也の奴がいる限りよぉ、幽を危険に巻き込む訳にはいかねぇ!
 あいつをぶちのめさねぇと、枕を高くして寝てられねぇからなっ!」
『静雄!』

 セルティはPDAに最大級のフォントを綴り、突き出して止めようとしたが、こういう時身振りしか出来ないのはツライ。
もっとも、静雄は既に誰の声も耳に入っていなかったが。

 

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