「プレミアムシート」 1 


 映画が昔から苦手だった。


 キライという訳ではない。
 己の感情を抑えられないのが問題なのだ。

『面白いドラマ』は主人公やヒロインが理不尽な状況に追い込まれたり、辛い感情に翻弄されたりする。
 それを乗り越えてハッピーエンドを勝ち取るから『面白い』のだが、静雄はつい感情移入が過ぎて、主人公達のピンチに我慢できないのだ。
 主人公が演じる憤りや嘆きが何倍も増幅して、静雄の中を渦巻き、気付いた時はTVを、周囲の家具を叩き壊してしまっている。
 これは『作り事』だと割り切る事が出来ないし、作り事自体好きではない。
 ニュースもひどい事件程、ハデに報道されるし、コメンテーターの発言も気に食わない。

 静雄が我慢して見通せる番組は、環境ビデオや生き物バンザイとか旅行物位だ。
 動物物(ただし『ハチ公物語』や『南極物語』など泣き物は除く)以外は趣味ではないので見る気もない。
 結果的に静雄の部屋にTVはないし、映画館とも縁はなかった。


 その静雄が今、映画館の、しかもプレミアムシートに座っているには訳がある。
 この映画が羽島幽平こと平和島幽が主演している作品だからだ。
 兄として弟を応援したいのだが、映画館で我慢できないのは今も昔も同じだ。
 だから、幽の出る作品は幽や実家で録画してもらい、暇な時に一緒にまとめて観る事にしている。
 それが静雄には少々うしろめたかった。
 本当は兄として「ちゃんと」応援したいのだ。
 幽の出演する映画もTVも大ヒットしているから、彼一人が観なくても構わないのだろうが、兄として観客動員数や視聴率に貢献できないのはツライ。
 幽に声をかけたスカウトを半殺しにして、それを助けたのが弟のデビューのきっかけだけに、静雄は責任を感じている。
 弟が大成功しているからいいが、挫折したら合わす顔がないところだ。

 だからこそ、応援したい。
 幽に会った時、リアルタイムで観た感想を言ってみたい。
 それが静雄のささやかな夢だ。
 が、それが突然本当にかなう事になった。


「映画のチケットがあるんだが、お前行かねーか?」

 昨日、上司である田中トムから差し出された一通の封筒。
「所長が取引先からもらったんだとさ。最初、俺がもらったんだが、お前の方がいいんじゃないかって、な」
「はぁ…」

 静雄は気が乗らなかった。
 だが、警察にも知られた問題児である静雄をこの仕事に誘ってくれたトムからの手渡しでは静雄も拒めない。
 セルティにやれば喜ぶかと思いながら封筒を開ける。

「…トムさん、これ…」

 静雄は驚いた。チケットに写っているのは羽島幽平。しかも、公開間近の新作である。
 テレビを観ない静雄でも大きなポスターや看板はよく見かけるし、カフェのインフォメTVで番宣映像は観た。
 豪華客船を舞台にした殺人推理物で、大掛かりなアクション大作らしい。幽はその船に偶然乗り合わせた若きIT会社社長という役どころで、海外マフィアと大立ち回りを演じながら、事件の謎を解いていく探偵役だそうだ。
 そして、映画のもう一つの売りは戦いの中で花咲く情熱的なラブロマンスで、特に濃厚なベッドシーンが話題となっている。


 幽を応援してやりたい。
 しかし、弟のベッドシーンを大画面で観るのは話が別である。

 芸達者な幽は女装や妖艶なニューハーフも演じれば、ベッドシーンもこなす。両親と観るのはさすがにいたたまれなかったので、幽のマンションで一緒に観たが、身の置き所がないといったらなかった。
 穴があったら入りたい静雄と、その横で無表情に自分のベッドシーンを観ている幽。
 演技チェックや試写で既に何度も観てるだろうし、幽にとっては「仕事」なのだからどうという事はないのだろうが、兄としては自分の事のように恥かしくてたまらない。
  逃げ場のない兄は仔猫の独尊丸と一緒に床を転げ回り、クッションの山に埋もれ、

「やめろ〜、もうカンベンしてくれ〜。俺をいっそ殺してくれ〜っ!」

 といっそ部屋から逃げ出そうとしたが、幽が静雄の服の裾を握って放してくれなかった。
 事後の恥ずかしい台詞まで延々聞かされて、顔と耳まで真っ赤になってリビングの床で悶絶死した兄に

「兄さんはラブシーンてホントに苦手だね。そんなに照れないでよ。僕の方が恥ずかしいじゃないか」

 幽は珍しく口元に笑みを浮かべていた。昔のままの幽なら、きっと笑い転げているだろうから、自分の醜態は相当みっともなかったのだろう。
 幽は兄の反応がいたく気に入ったのか、どうもラブシーンの多い番組に出る回数が増えた気がする。


(ちくしょー、俺だって別にカマトトぶってる訳じゃねぇ。
 俺だっていい大人だ。たかがラブシーン位!)

 と、平然とスルーしたいのだが、何度観ても弟の口にする甘い台詞や切なげな視線をまともに見てはいられない。

(しかし、照れるなって言われても、どーしろって言うんだよ)
 静雄は口を押さえて赤くなる。
 そういえば、幽に初めてのキスシーンの役が回ってきた時

「兄さん、僕、女の子と付き合った事ないから、練習に協力してくれる?」

 と、頼まれ(俺だってそうだ)とも言えず、多分真似事だよなと思っていたのに、いつもより大胆な顔になった幽は……。


「どわわわぁぁぁああああ〜〜〜っ!」


 刹那、思い出したくない過去が走馬灯のように駆け巡り、気付くと静雄は壁を思い切り拳で粉砕していた。


「…えっ、俺が出過ぎたか真似したからか?」
 チケットを渡しただけなのに、いきなり顔を沸騰させた静雄にさすがにトムも動揺する。

「いっ、いえっ! 何でもないっス!」
 力強く首をブンブンさせる後輩に事情を聞くのはやめようと、トムは即座に判断する。

「いや、お前も一度くらいきちんと弟の応援をしたいだろうと思ってな。
 これ、特別招待のプレミア上映で一般客も来ねぇし、お前が少々騒いでも大丈夫だろ?
 ま、何も壊さないのに越した事はねぇけどよ。
 ちゃんと弟さんの姿をスクリーンで観てやれや」

「トムさんっ!」
 静雄は目をうるうるさせながら、チケットを握り締める。
「ありがとうございますっ!」
 ドレッドヘアーの上司に深々と頭を下げる。
 静雄はこの時、本当に心から上司の心遣いに感謝していたし、トムもいい事をしたと思っていた。

 しばらくの間は。



 そんな訳で静雄は今、プレミアムシートに座っている。
 映画館など子供の時以来だ。昔と比べると綺麗で明るく別世界のようである。各々のスクリーンの入口に係員が立っていて、勝手の解らぬ静雄を親切に座席まで案内してくれた。

(うぉ、何だ、こりゃ凄いな)

 室内は黒と赤のみの渋い配色である。音響効果で段差のつけた壁も近未来的なモザイク模様になっており、絨毯で足が沈むほどだ。
 静雄は一般の客席を知らないが、プレミア席はかなり余裕を持って配置されており、他の客の動向を気にする事なく、映画に没頭できるようになっていた。

 何より驚いたのは、その椅子だった。
 高級家具のように柔らかく身体に馴染む上、リクライニングになっている。サイドテーブルも広く、菓子やハンバーガーを手に持ったまま観ずに済む。
 ただ、静雄の指定席は何故かペアシートだった。ソファのようにゆったりして座り心地も素晴らしかったが、出来れば一人用の椅子がよかったなと思う。

(もらいもんだから、文句は言えないけどよ)

 室内を見渡したところ、客席は三分の一程度しか埋まっていない。
 全部埋まらないのなら、こっそり席を移る位構わないだろう。

(しかし、特別上映たって、こんなに客が少ないんかね)

 映画に疎い静雄にはよく解らないが、確か相当な前評判だった筈だ。幽が舞台挨拶に出る初日のチケットは空前の倍率だったというし、オークションでも凄い高値で取引されているらしい。未公開前のプレミア上映だ。一般客が来ないとはいえ、マスコミや関係者で満席になるだろうに。

 それを予期して、新羅に
「怒り狂ったライオンでも一発で鎮めるような強力な精神安定剤はないか?」
 と訊いてみたのだが、
「そんなものがこの世にあれば、今の君はいないさ」
 と一蹴されてしまった。

 だから、正直内心緊張していたのだが、拍子抜けする程客席は静かだ。皆、パンフでも読んでいるのか、ざわめきやしわぶき一つ聞こえない。
 第一、この部屋は豪華すぎる。ハンバーガーとジュースを買ってきたものの、むしろシャンペン片手の方がふさわしい。ストローの音をチュウチュウさせるのも気が引ける。

(やっぱ落ち着かねぇ)
 こんな豪華な椅子より、やはり家で寝転がって観る方がいいなと、早くも静雄は思い始めていた。
(トイレだって好きな時に行けるしよ)

 それにペアシートなのに独りきりで座るのも、何となく淋しかった。
 別に孤独は慣れているのだが、DVDを観る時だけは家族、特に幽と一緒だった。
 ロケで家を空ける事の多い幽の代わりに独尊丸の世話で泊り込む事も最近はよくあるのだが、何となく幽の家で独り漠然と見る気になれない。
 幽と観ると、何故か気持ちが荒れない事もあるのだが、貴重な家族の時間という意識も働いているからだろう。
 だから、このペアシートの片割れに幽が座ってくれたら、そしたらこんな居心地の悪さも感じず、いつもの自分でいられるのに。


 しかし、俳優として多忙な幽が兄の為に時間を取れる筈もない。
 まして、ここにいる事を知らせてもいないのだ。
(いかん、いかん)
 静雄は首を振った。密かに弟を応援する為にここに来たのだ。
「あの映画、観たぜ」
 と、胸張って言う為に来たのに、淋しいなどと本末転倒である。

(大の男が映画くらい独りで観られなくてどうするよ)



 時計を見ると、もうすぐ始まりの時間だ。
 客はもうこれ以上増えそうもない。

(館内が暗くなったら、席移れるな)
 静雄は目線で良さそうな席を物色し始めた。出来るだけ人気がなく、迷惑をかけない場所がいい。

(せめて、アクションシーンで『幽、危ねぇ!』と叫んだり、ピンチになったからって肘掛握り潰したり、女優と抱き合ったくれぇでリクライニング折ったりしないようにしないとな。
 兄貴が弟の映画観て、映画館壊したら、凄い騒動になっちまう。まだ未公開なんだから、特にヤバイよな。
 例え、ベッドシーンがあったって……。

 …あったってーっ!?)


 静雄はその時、改めてこの映画はそれが、しかも相当濃厚な奴が売りだという事を思い出した。
(うわぁ〜…どっ、どうするよ〜?)
 こればっかりは自制心を抑える自信がない。
 映画が始まる前から蒼くなったり、赤くなったりして一人頭を抱えてしまう。



 その為、
「すいません、隣、いいですか?」
 という爽やかな声に一瞬、気付かなかった。

(……は?)

 忘れる筈もない。その声の響き。彼の心の根幹を揺さぶるその響き。
 静雄は愕然として顔を上げる。


 彼の横には臨也が立っていた。
 ポップコーンとコーラを片手に。


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1月に3話見た直後、思いついた話。やっと出せた。
仕事が大多忙で、しかも交通事故さえ遭わなかったら、とっくに上がっていたんだが(^_^;)
シズちゃんの暴力なんて抑え込むのかんたーん!とばかりな臨也悪意全開の話。
5月のスパコミ合わせ本のサンプル、その1。

ペアシートをご用意してますので、あなたの想像通りの展開です、ふふふ。
因みに俺はプレミアムなんか取った事ありません(笑)

 
 

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