「プレミアムシート」 3
映画は佳境に向かっていた。
船内で起こる不審な殺人になりゆきで巻き込まれ、素人探偵みたいな状況になった幽だが、捜査の過程で友人の彼女もマフィアから命を狙われる。
彼女を守っていく内に、彼女への想いがまだ消えてない事も、そして彼女もそうだと解ってしまう。
その両者のただならぬ雰囲気で、遂に友人から問い詰められるのだが、その最中、マフィアの銃撃で友人とも別れ別れになった。
幽と彼女は必死で逃げ延びるが、船はハイジャックされ、幽達も外部と連絡が取れぬまま追い詰められていく。
物語にのめり込んだ静雄はハラハラしたり、怒ったり、いつもならコーラのコップどころか座席まで握り潰しているところだが、そのたびに臨也から茶々を入れられるので、奇跡的にまだ何も起こっていない。
多少は臨也に感謝すべきなのだろうが
(何か全っ然集中できねぇ。面白くねぇ)
と、静雄は憮然としていた。のめりこむのが欠点だと自覚はある。が、我に返った上、否応なく臨也を意識させられるのだ。
それが面白くない。
最初はこのブラコンが、とからかいに来たのだと思った。
だが、幽のシーンでそれが重なると、幽でなく俺を見てとアピールされてるようだ。
(まさか、嫉妬してんじゃねぇよな)
静雄は首を捻った。臨也は静雄を死ぬ程嫌っている。何度、罠に嵌められ、殺されそうになったか解らない。
その仇敵を嘲る事はあっても、単純に嫉妬などするものだろうか。
(わっかんねぇ)
静雄は映画を見ている臨也をチラリと見た。意外に睫毛が長いなと思う。
そういえば、臨也の前では常に怒りの感情で我を忘れている為に臨也が何を考えているかなど気を回した事は一度もなかった。
(どーせ、胸糞悪いことしか考えてねぇだろうしよ)
敵の心理などどうでもいい。
臨也はムカつく。最大級に彼をムカつかせる。口調も表情も存在も何から何まで。それは今後も変わる事はないだろう。
(いっそ帰っちまえばいいのに)
臨也の事でもやつくのは御免だった。溜息をついて映画に視線を戻す。
何処かの船倉庫だろうか。友人の無事を祈りつつも、不安感も手伝って幽達は久しぶりの再会に急速に発展していく。
学生時代の幸せだった頃。まだ未来に何が起こるか何も知らなかった無邪気な時代。彼らは幾つも淡い恋を語り合い、不確かな未来を夢見る。
幽は童顔なせいか、学生服を着ると本当に高校生にしか見えない。彼女に優しく微笑み、爽やかに振り返り、頬を染めて彼女を見つめる瞳は演技でなく、本当に彼女に恋してるかのようだ。
(あー、やっぱ苦手だわ、こーゆーの)
静雄のポップコーンを掴む手がせわしくなり、耳たぶが赤くなる。演技と割り切ればいいのだが、どうしても「弟の幽」としか見れない。
幽がセリフを言うたび、身につまされる。彼女を飛び越えて、何故か自分に言われてる気になってくる。
そんな訳がある筈ないのに。
(やっぱ、最初に二人でキスの練習なんかすっからいけねぇんだよな。
あの時、幽の演技が妙に真剣で役になりきってやがるから、だから重ねちまうんだ。あれは演技だってのによ)
バリバリポップコーンを噛み砕く。
美しい夕焼けが差し込む放課後の図書館。幽達は向かい合い、シルエットになっている。
(あー、この展開マズイ。絶対マズイ。ヤバイ。困る。ヤメテ。いけねぇ、ダメだって!)
逃げたい。逃げ出したい。恥ずかしい。ヤダ。こういうの俺、ダメなんだよ。
幽は潤んだ目で彼女に囁く。彼女が瞳を閉じる。
『好きだ』「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!」
静雄は座席に突っ伏した。
「素面で幽のキスシーンなんか見られるか〜っ!」
前に座席があれば背もたれにガンガン頭をぶつけるところだが、幸い前とかなり離れているので、ただ顔を両手で埋めるだけだ。
「シズちゃん…」
呆れ返った声に静雄はハッと我に返った。臨也の軽蔑しきった視線とぶつかる。静雄の顔が真っ赤になった。
(忘れてた! こいつがいたんだ…!)
一番見られたくない相手が。
「一体、君いくつだよ。キスシーンくらいで過剰反応し過ぎでしょ?一緒に見てる方が恥ずかしいよ」
「うっ、うるせぇ!」
「弟さんのラブシーンなんかもう何回も見てるんじゃないの?なのに、ちっとも慣れないってどうだよ。弟と一緒に見てる時もそうなの?」
「てっ、手前にゃ関係ねぇだろっ?」
「弟さんもさぞや呆れてるだろうねぇ」
臨也はわざとらしく大きく溜息をついた。
「ハァ、シズちゃんて獣だと思ってたけど、意外な位『乙女』なんだねぇ。
いい年をした大人が、池袋の歓楽街で取立屋の用心棒がキス一つに心底動揺しちゃうなんて恥ずかしい〜〜〜」
「黙れ! キスと取立屋は関係ねぇだろっ!」
「だってさー、シズちゃん、そーゆーいけないビデオ扱ってるお店とかいけない電話してる人の集金してる訳じゃない。
だったら、そういうかわい子ちゃん達とも接する機会豊富でしょ? なのに、何その小学生みたいな反応、がっかりだよ」
臨也は大げさに肩をすくめる。
「ケンカの帝王もいいけどさー、シズちゃんが夜の帝王ってちっとも言われないの不思議に思ってたけど、そうなんだ。ダメなんだ〜。
あ〜、情けな〜い!」
「うるせぇ、ノミ蟲!」
思わずこめかみに血管を浮かし、臨也を殴ろうとしたが、臨也はその前にパッと静雄に顔を近づける。
「じゃ、シズちゃんはもうバリバリやってる訳?」
「何?」
「仕事の役得とか戴いてる訳?キスとかナニとか一杯経験してるんだよね?」
「う…」
静雄は言葉に詰まった。確かに女性に色仕掛けで迫られた事は何度もあった。借金返済をうやむやにしようと男に頼まれた者もいれば、池袋最強の男をヒモにしようと企むホステスもいた。
でも、仕事柄こういう誘惑が多いから、公私混同しない方がいいとトムにキツク念を押されていたし、元々静雄は彼女らに興味なかった。
(ケバくて薄着で、化粧臭ぇなぁ)
と、思っただけだ。彼女らの言葉に真摯な響きが全く感じられなかったせいもある。女達は静雄ではなく己の『利益』のみ追っていたからだ。
だから、静雄は据え膳を一度も食った事はない。
ホステスと客の行為に遭遇する事もたまにあったが「うぜぇな」程度だった。
自分が淡白とも思ってないが、子供の頃から誰かを愛すれば傷つけると再三学習したからだろう。愛されたいと願っていても、愛したいと自分から思ってはいけないのだ。
幽を意識するのは「愛されている」と解る唯一の相手だからかも知れない。弟だからそれ以上の事など考えた事もないが、弟のラブシーンでこんなに照れるのは、無意識の部分が刺激されているのだろう。
とはいえ、この醜態では臨也に突っ込まれても仕方がない。
「えっ、まさかしてない事ないよねぇ?その年でチェリーってありえないよね?」
臨也はますます楽しげに挑発する。癪に障って「そうだよ」と肯定できなくなってしまった。
「ちっ、ちげーよ! んな訳ねぇだろっ!」
「どうかなぁ、疑わしいなぁ」
「だっ、だからっ、幽だから!弟相手じゃ違うんだよ!勝手が!」
「ふ〜ん」
臨也はニンマリした。
「じゃあ、証明して見せてよ」
「ああ?」
「弟相手だと意識するんでしょ? だったら他人は?今まで何人とやったの?」
「そっ、そんなの手前に言う必要ねぇだろ!」
「何、赤くなってんの。男なら数誇ってもいいんじゃない?」
静雄は臨也を冷たく睨んだ。
「俺は好きな奴としかやらねぇんだよ」
臨也はふーんと目を細めて小首を傾げた。
「高校時代はさっぱりモテなかったくせによく言うよね」
「学生ん時は手前が全部女連れてっちまったろーが!」
「あー、そうだっけ?」
臨也はとぼけた。静雄の暴力は知られていたが、話せば意外と優しいし親切だ。幽の兄だけあって顔もいい。
そんな静雄を見抜いた誠実な女子だろうと、ただのヤンキー好きな女子だろうと、一人として臨也は静雄に近づけなかった。
彼女らの服の下などどうでもよかったが、その心の中身には少し興味があったので、例の趣味の対象にした挙句、利用しまくるか、ボロボロにして捨てた。そんな彼女らを拾ってくれる相手には事欠かなかったから気にも留めなかった。
静雄が女子と親しげに喋ってる横顔が気に食わなかった。それだけだ。
「卒業したら少しは変わったの?シズちゃんを好きになってくれる勇気ある物好きな女性はいた?」
静雄は黙っている。
変わる訳もない。自分の性格も肉体の限界の見えない進化も。
「いる訳ないよねー。認めちゃいなよ。俺は悲しい童貞ですって。その凄い力も23歳まで童貞を守り通した証ですって」
「いい加減にしろ、ノミ蟲!」
静雄は吼えた。臨也だけには。このクソ野郎のノミ蟲だけには淋しい現実を断固として認める訳にはいかない!
「だったらさ」
不意に臨也の顔が眼前に迫った。怒り狂った静雄の食いしばった唇に柔らかな感触が触れる。押し付けられる。
(え、何…?)
頭が空白になった。何をされてる? 今、自分は何をされてる?
臨也の唇が離れた。目踏みするように静雄を見上げる。
「キスの返し方も知らないんだ。やっぱりチェリー確定でいいよね、シズちゃん?」
「てっ…手前っ!」
慌てて、自分の口を塞ぎ、汚らわしいとばかり口を拭った。
臨也とキスをした。臨也がキスをしてきた。
(わっ、訳がわかんねぇー!)
「だって、さっきから言ってるじゃない、証明してって。男の癖にはっきりしないから、俺からしてあげたんでしょ?」
臨也は静雄の太股をスッと撫で上げると、いきなり中心をギュッと握った。
痛みとそれと別種の味わった事もない感覚が下半身から跳ね上がる。
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