「レモンとライム」(トム静)
(…うーん)
静雄は小首を傾げた。
トムと一緒に仕事をするようになって一年。
これまで仕事が続かなかった静雄にすれば快挙だ。
普通であれば幾度となくクビになる機会はあったのだが、トムの機転やとりなしで乗り切れた。
だから、何か礼がしたい。
トムの誕生日はまだずっと先で、ふと思いついた事だが、静雄は気持ちを形にしたかった。
だが、これまで友人がいなかった静雄は子供の頃、誕生日会に呼ばれた事もない。
誰かにプレゼントを贈る機会に恵まれた事がないのだ。
辛うじて、新羅と幽がいるが、新羅は誕生日に新品のメスを欲しがる子供だったし、幽は弟だから「何が欲しい?」とダイレクトに聞ける間柄である。
だから、何を選んでいいか解らない。
それとなく探るというのは、初めての経験だった。
(けど、勘のいい人だから、何を聞いてもバレそうだもんなぁ)
「あんま気ぃ遣わんでいいぞ、静雄。俺はこんな仕事手伝ってもらって助かってんだからな」
トムはそう言ってくれるのだが、やはり静雄は気持ちを形にしたかった。
(でも、何がいいのかな?)
いざ、考えると難しい。
服、靴、酒、タバコ。色々な物が思い浮かぶが、何かピンと来ない。
できれば、ありきたりなものでなく、意外なもので驚かせたかった。
(トムさんの好きなもの…、トムさんの好きなもの…)
一足ごとに考える。
今日はまた朝から暑い。考えすぎで暑さが倍増してきたので、日陰に逃げ込んだ。汗が額から喉に伝う。
自販機に寄りかかって、よく冷えた缶コーヒーを飲みながらグルグル考えた。候補を挙げては打ち消す。
(トムさんが一番喜んでくれるものって何だろう)
何でも喜んでくれるとは思うが、静雄は彼の心からの笑顔が見たい。
その時、ドレッドヘアーの男が自販機にチャリンとコインを落とした。
髪がトムよりかなり長い。彫が深くて、レゲェ風な顔によく似合っている。
男がコーヒー片手に踵を返した時、そのドレッドが跳ねた。
(…臭っ…!)
静雄は思わずギョッとした。
男の体臭は大した事はないが、とにかく頭が臭い。
最近の猛暑のせいで男達のムレと汗臭さはかなりの猛者が多かったが、この男はトップクラスだ。
タバコのヤニと汗と頭の匂いで鼻が曲がりそうになる。
(ひでぇな。何日洗ってねぇんだ?)
思わず顔を顰めつつ、静雄は首を傾げた。トムからこんな異臭を感じた事はなかったからだ。
むしろ、時折トムからは柑橘類の香りがする。
振り返る時、フッと掠める爽やかな香り。それは彼によく似合っていた。
トムは香水はつけないと言ってたから、あれは髪の香りだろう。
(やっぱ、手入れの差かな?)
さすが、トムさんと思いつつ
(そうだ、シャンプーっていいんじゃねぇかな)
と、ふと思った。
確かにこの暑さだ。まして、取立ては歩くのが基本である。
髪も日を空けずに洗っている事だろう。
なら、洗髪剤を贈るという思いつきは悪くない。誕生日のプレゼント程重たくないし。
シャンプーやリンスも種類が多いし、高級なものであっても静雄の給料なら届くのではないのか。
(フォークリフトを投げ飛ばしたばっかでなきゃ、もうちっと予算の枠も広がったんだがな)
掴んだものを投げるという、自分の性癖を嘆いても仕方がない。
そうなると、ドラッグストアのシャンプー売り場に目が行くようになる。
トムが事務所に行ったり、待ち合わせの合間にしげしげと覗くようになった。
ただ、今度は種類があり過ぎてよく解らない。
どれも品質の良さ、香り、艶など謳っていて格差を感じない。
しかもエモリエントヴェールとか、エイジングとか、補修成分DGAとか何書いてるんだか解らない。
せいぜい、痛んだ髪用と普通の髪用の違いが解るだけだ。
自分は金髪に染めている割に、体質と同じく髪の毛も健やかでシャンプーなど気を遣った事がなかったから、すっかり途方に暮れる。
(ドレッドヘアー向けって書いてありゃいいのになぁ)
思わず溜息が出る。店員に聞けばいいのだろうが、何となく気恥ずかしい。
せめて、柑橘類の匂いを探してみたが、何故かフラワー系ばかりだ。
シャンプーなら簡単だと舐めてかかった結果がこれだった。
「何だぁ、静雄。溜息ばっかついて」
「え、いや。すいません」
「そっかぁ? 最近、ドラッグストアから出てきちゃ溜息ついてるからなぁ。てっきり髪の悩みかと思って」
トムがからかうように笑いかけた。
(きっ、気づかれた!?)
静雄はパッと紅くなる。ブンブンと首を振った。
「なっななな、何でもないッス!」
「いや、男が薬屋で溜息つくのは、髪の毛か下の事の悩みだからよ。
若いお前にゃ早ぇと思ってたが、こんな稼業だ。その道に詳しい奴がいるから相談に乗るよ」
「ハハハ…」
静雄は笑うしかない。
「冗談だって。お前、若ハゲとか縁遠そうだもんなぁ。こんなふさふさで」
トムは愛おしそうに、静雄の頭をわしゃわしゃと撫でる。
また、フッと柑橘類の香りがした。
ああ、この匂いを探してんだと思いながら、ふと思う。
(そういや、中坊ん時はしてなかったっけ?)
当時のトムは髪がやや長めで真っ直ぐだったが、柑橘系の香りはしてなかった。
静雄が気づかなかっただけかも知れないが。
あの頃は不良に混じってたとはいえ、いかにも学生だったから再会した時、随分印象が変わって驚いた覚えがある。
「そういや、トムさんは何でドレッドにしたんスか?」
「ああ、これかぁ?」
トムは自分の髪を一房引っ張った。
「まぁ、お前と一緒かな?」
「え?」
「この仕事入りたての頃よ、俺もまだ高校中退のガキでさ。右も左も解らなかった。
借金の取立てなんて、とてもとても出来やしねぇ。
顔と年齢のせいで相手にナメられちまうしよ。
人のケツにくっついて右往左往してたなぁ」
「へー、その頃呼んでくれりゃ、俺がそんな事させなかったのに」
トムはこめかみに血管浮かせて、真剣にそう言い切る静雄に苦笑する。
「いやいやいや、気持ちだけで嬉しいから。
まぁ、俺も悪かったんだよ。借金の取立ての格好ってよく解んなくて、ある人に聞いたんだよ。
そしたら、ツインテールにしたらどーだって」
「ツ、ツイテ!?」
静雄は目を丸くして、思わず口を押さえる。トムさんのツイテ!?
(み、見たかった…)
そいつ、殺スと思いつつ、同時にGJとも思う。
むさ苦しい連中の間で必死に背伸びしてるトムはさぞやかわいかっただろう。
自分の言葉を必死に真に受ける、初心な子供をからかいたくなった相手の気持ちはちょっと解る。
「バッカだろう。最初からからかわれてんの気づきそうなもんなのになぁ。
相手がその筋の人だったんで、鵜呑みにしちゃってさぁ。
後で怒ったら、ひとしきり笑った後、ゴメンゴメンて謝ってくれて。そんで、薦められたんだよ、ドレッド」
トムはちょっと懐かしそうに髪を引っ張った。
「お前さんはそのまんまだとインテリ顔だから、クセのあるドレッドにすりゃ、相手も一歩構えて、その内、箔もつくだろうって。
この業界、形から入るからな」
だから、お前と一緒だよと、トムは静雄の頭を軽くポンと叩いた。
一般人ではないという警告のしるし。
でも、それは先輩から後輩へのあたたかい思いやりあっての言葉だ。
こんな業界であっても。こんな業界だからこそ。
だから、二人ともこの髪型でいる。
「そうだったんスか」
静雄は優しく微笑んだ。
「うーん、ただドレッドってよ。凄ぇ面倒臭ぇ髪型でさ。最初、セットに8時間かかったのはびっくりしたなぁ」
「へー、大変なんスね」
「その夜、頭ゴロゴロして眠れなくてさ。慣れんの、しばらくかかったわ。
それに洗うのも面倒でさ。
ドレッドってシャンプーダメなんだわ」
「ええっ!?」
静雄は驚く。プレゼントが無駄になるところだった。
「ど、どうして? じゃ、洗えないんじゃないスか。この暑いのに」
「そりゃ、洗うさ、当然。
ドレッドってすぐ臭くなるのが悩みなんだわー。
俺のドレッド仲間に旅先で数日洗わなかったら、象も寄ってこなくなったって奴いたから」
「はぁ」
「とにかく、ドレッドを崩さないようにしないといけないからさ。
そいつは固形石鹸を溶かして、地肌擦ってるって言ってたよ。
俺はサワーオレンジか、レモンかライムを絞ってから漉して使ってる。
殺菌効果もあるしさ。
で、仕上げにキャスタルオイル使うんだ。これで数日はバッチリよ」
(ああ、だからトムさんから柑橘類の香りがしたのか)
静雄はようやく納得した。
あの爽やかな香り。
軽やかに街を歩く彼にふさわしい。
「けどよー、とにかくドレッドって洗ったら渇きが遅くて遅くて、翌朝でも生乾きがしょっちゅうでさ。
まーったく、箔つけんのも大変だなや」
トムは頬をかいて苦笑する。
だが、トムが未だに髪型を変えないのは、静雄が金髪を続ける理由と同じなのだろう。
誰かがくれた想いを守り通す為に。
例え、言った当人がその言葉を忘れ去っていたとしても。
その横顔に静雄は呟いた。
「でも、俺はトムさん、好きっスよ」
「は?」
思わず足を止めたトムに静雄は真っ赤になった。
「い、いやっ、髪型が、です!」
「あー、髪型ね。あんがとなー」
俯いて口ごもった後輩の背中をトムはバンと叩いた。
(まぁ、そういう事にしとくかー)
と、心の中で呟きながら。
翌日、手渡された手提げ籠には山盛りのレモンとライム。
「せ、世話になってる、そのほんのお礼スから…っ」
赤面してる静雄は緊張した面持ちだった。
緊張しすぎて、威嚇してるように見える。
トムは思わず噴き出しそうになるのを必死でこらえた。
(全く、かっわいい奴だよなぁ)
「ありがとよ」
静雄が沸騰する前に素直に受け取る。
が、ちょっとからかいたくもなった。
「これで、静雄のドラッグ通いも溜息も収まるべさ」
「えっ、あああっ…!」
やっぱり見透かされていたのかと、静雄は耳まで紅くしてそっぽを向いた。
「じゃ、今夜はこれでうちで一杯やるか? ちょうどいいジンもあるし。
甘口にすりゃ、お前も大丈夫だろ?」
「えええっ!?」
シャンプーとして使ってもらおうと思ってたので、勘違いしてるのかと静雄は心から悲しそうな顔をする。
「いや、こんなにもらっちゃっても一人じゃ使い切れないべ。
それより、二人で半分飲んだ方がよかろ?
一緒にお祝いしようや。静雄と俺の一年にさ」
「は、はいっ!」
静雄はシャンと顔を上げた。
(全く、耳やしっぽが垂れたり立ったり、わっかりやすいわんこだなぁ)
トムの言動に一喜一憂する静雄がかわいくて仕方がない。
「じゃ、お祝いにもう一つ付け加えていっかな?」
「はい?」
「お前の髪、洗わせてくんない?」
「え?」
「いやー、一度洗ってみたかったんよ、お前の頭。
ひよこみたいでふわふわしてっから、触るの好きでさ」
(飼い犬の世話は飼主の務めだからな)
トムは笑う。
静雄は俯いた。真っ赤なままでボソッと呟く。
「…けですか?」
「は?」
聞き取れなくて、トムは耳を寄せる。
「髪だけ、ですか?」
トムは思わず噴き出した。
静雄の耳に小さく囁く。
「そりゃあ、お前さんが望めば…その後、もな」
「……お願い…します」
静雄はますます赤くなって、俯いた。
大きな静雄はこんな時、中学生の頃のままだとトムは思う。
内気で繊細で生真面目でかわいかった大人しい少年のまま。
「じゃ、さっそく前祝にな」
トムは籠からライムを取ると、一口カリリと噛んだ。
キツイ程の酸味とほのかな甘みが舌を刺す。
「トムさん、俺も…」
熱く向けられてくる視線に、トムは唇を寄せた。
静雄の口の中もライムの味が広がる。
トムが味わっているのと同じ味が。
(ああ、これがトムさんの香りだ)
微かなタバコの苦さが混じった酸味。
だが、明らかに自分より遥かに大人の香り。
その痺れるようなキツイ匂いに全身が酔わされる。
陶然として、静雄は目を閉じた。エンド
トム静はかわいいねぇ。
基本的にトム静は独立してるので、「Heavy Rotation」とかと全く無関係。
なので、このトム静はデキてます(笑)
カクテル系はジンでも俺にとっちゃ甘くて、殆ど飲まないんですけど、子供舌のシズちゃんなら充分大人の味だよね(笑)
因みにトムさんのいう「あの人」は赤林さん。好きなんじゃ、赤林さん(笑)
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