「うちゃやとしずお」 4
「…ん」
静雄はベッドの中でぼんやりと臨也が動き回る音を聞いていた。
静雄はタフだから、コトが終わってもすぐ動けるが、事後の微かな物悲しさと熱情を吐き出した後の気だるさはとても心地いい。
しばらく余韻に浸っていたかった。
だから、臨也がすぐベッドから抜け出した時も無理に引き止めはしなかった。
幾度も中で出したのだから、臨也も早くシャワーを使いたいのだろう。
時計に目をやると四時半近かった。待ち合わせの六時まで少しある。
寝返るとベッドがギシッと軋んだ。
安物のベッドは大人二人分の体重を支えるにはキツイかも知れない。
だが、軋みを聞いてると、同じリズムで鳴いていた臨也の喘ぎ声を思い出し、静雄は顔を紅くした。
(…買い替えんの、もうちょっと後にすっかな)
煙草を探して床に指をさ迷わせる。
見事な程、自分の抜け殻が散乱していた。
いかにもという感じで、静雄の耳はますます紅くなる。
余程、臨也に夢中だったのだろう。
臨也は服を洗面所に持っていったらしく、残っているのはコートだけだ。
(…三時間近くしてんのに、あいつもタフだな)
お互いの身体に溺れ切って、殆ど休みなしだったから、相当消耗してるだろう。
抱かれる方がキツイだろうと思うのだが、臨也は何故か余韻に浸りたがらない。
事後に女はベタベタと話したがるが、男は憑物が抜けて無心になる。
男だから、その感覚は理解できるが少し露骨でドライすぎる。
臨也は普段お喋りだから余計そう思うのか。
別に何を話したい訳ではないが、あれだけ一つに融け合ったのだ。
しばらく無言で抱いていたかった。
『付き合ってなんかいない』
臨也はそう言うが
(じゃあ、何で毎日やってくんだよ)
静雄には解らない。
ベッドではこんな盛りのついた猫みたいにじゃれ合うのに、ビジネスライクに事後を終わるのは釈然としなかった。
(セフレってこんなんか?)
快楽だけ追って、心は無い。ただ、肉体だけと割り切った関係。
(何か違ぇ)
仕事上、水商売の人間との接触が多い。
だから、感覚的に何となく解る。
彼らは客をもてなすが、こんな情熱的な振る舞いはしない。
そんな事をしたら、心が擦り切れる。
金銭的な繋がりがないセフレは違うのだろうか。
静雄には解る訳もなかった。知りたいとも思わない。
起き上がってノロノロとズボンだけ履く。
シャワーは出掛けに浴びればいいだろう。
麦茶を飲んでいると、ガチャリと臨也が洗面所から出てきた。
服をキッチリ着込んで、情事の名残はかけらもない。
いつもの綺麗だが、奥に刃を忍ばせた顔。
けれど、首筋には静雄のつけた跡が残っていた。
そこにキスしようとしたが、かわされる。
「もういいでしょ、シズちゃん。それとも、まだしたいの? さすがにこれ以上は別料金取るよ」
冷たく言われて、静雄はムッとした。
ただ恋人として愛情表現したかっただけだ。
「そうじゃねぇけどよ」
「俺、終わってからベタベタすんの嫌なんだよ。
じゃあ、またね、シズちゃん」
不満げな静雄を無視して、臨也はコートを拾い上げる。
「おい、ちょっと待てよ。俺も出るから。そこまで送る」
慌ててシャツに腕を通す静雄を、臨也は呆れ顔で見つめた。
「いいよ。だから、そういうのが嫌なんだよ。
ガキじゃないんだから一人で帰れる」
「だから、そういうんじゃねぇって!」
静雄は声を荒げた。思わず臨也の腕を掴む。
「…いてぇんだよ、俺は。ちょっとでも一緒に」
静雄は必死な面持ちで呟いた。
臨也は唇を噛んで見返す。
初めての恋愛で静雄はのぼせている。
そうさせてるのは自分だ。
甘く見ていた。静雄でなく自分自身をだ。
闇の世界にいて、誰とでも寝て、利用し合い、感情も残さず、邪魔になれば切り捨てる。
打算だらけでモラルもない。
裏切られる前に裏切り、貶め、それを何とも思わない。
むしろ、騙す事を楽しむ。
人が足掻き、嘆く様を。
だから、割り切れると思っていた。
イザヤが『シズちゃんが好き!』と喚こうが、静雄に抱かれようが自分を保てると思っていた。
体の疼きさえ収まれば、それで済む。
稚拙な静雄とのセックスなど、ただの遊びだと。
けど、どうだ。
毎日、静雄の顔を見ずにいられない。
静雄に少しでも触れられれば我を忘れる。
何人の床上手に抱かれようが、ただ一人の愛する男の愛撫にはかなわない。
彼の腕を抜け出すのがツライ。
淋しい。
身を切られるように切ない。
いつもシャワーの下で、自分を取り戻すのがどれ程苦しいか。
ただ『愛してる』それだけが認められないばかりに。
静雄にのぼせてるのは自分の方だ。
余裕がないから、静雄の上からまた逃げ出そうとしている。
歪んだ想いに押し潰され、飲み込まれる前に。
「痛いよ」
臨也は静雄の手を冷淡に振り解いた。
「俺さぁ、夜にはまたビジネスで人と会わないといけないんだよねぇ。
だから、早く休みたい訳。
シズちゃん、なかなか放してくんないし、さすがにこんな跡だらけじゃ、相手も興醒めでしょ?」
傷ついた顔をした静雄に臨也はニヤリと嗤った。
「怒った? でも、警告はしといたよねぇ。
俺は生き方を変えるつもりはないって。
後悔してもしらないよって言ったでしょ」
「ああ、だから、俺は後悔はしてねぇ。俺はお前が好きだ」
(……!!)
その強いまなざしに臨也は絶句した。
目を逸らそうとするが、どうでもまぶたが上がる。
静雄を見てしまう。
見る事で激しい喜びを感じた。
そんな自分が嫌でたまらなかった。
(ホントッ…シズちゃんは嫌いだ。大ッ嫌い!)
臨也はわざと大袈裟に肩をすくめた。
「待ち合わせして、食事して、一緒にベッドに入る。お手手繋いで送り迎え。
それがシズちゃんの恋人同士の付き合いのイメージか。
懐かしいよね、そういうの」
臨也はフッと鼻で笑った。
「そういうガキの遊びに俺を巻き込むなよ」
「ノミ蟲っ!」
カッと血が昇る。
思わず繰り出した拳を臨也はひらりとかわし、ベランダから飛び出した。
パルクールで、向かいのアパートの2階の屋根に飛び移る。
窓から身を乗り出した静雄に向かって、片手で手を振る。
「臨也、手前っ?」
「風が吹いたら、また来るよ」
身を翻そうとした瞬間、ドクン!と地鳴りのような衝撃が体内を襲った。
(……え?)
奥底から、竜巻のような感情が競り上がる。
怒り。憤り。愁嘆。
悲鳴のような絶叫が嵐のように体にみなぎる。
『イヤだ!!』
イザヤだ。彼の声が体奥から迸る。
『臨也のバカ!! バァァァァァカ!! 嘘つき!
いい加減にしろよ! もうやだ!
帰んない!
シズちゃんと一緒にいる! 一緒にいる!
シズちゃん、シズちゃん、シズちゃんっ!!』
「なっ…バッカ…」
(こんなとこで…っ)
臨也は胸を押さえた。
突然の魂の暴走を制御出来ない。
意志で押さえ込んでいた、足腰のだるさが蘇ってきた。
静雄に抱かれて休みも取らずに平気なフリをしていたツケがどっと押し寄せる。
だが、暴走は止まらない。
イザヤの声は臨也自身が封じ込んでる想いでもある。
だから、共鳴してしまう。
否定出来ない。
想いが膨れ上がる。
(…呑まれ…る)
体のバランスが崩れる。足元がよろめいた。
「臨也…?」
様子がおかしい。静雄は眉を顰める。
が、驚く間もなく、臨也は傾き、あっという間に向かい側に転がり落ちた。
「うわぁぁぁぁぁああ……ああっ!!」
「い、臨也ぁぁああーっ!」
静雄は慌ててアパートの階段を駆け下りた。
向かいのアパートの軒下に臨也の姿を探す。
(あいつ、やっぱ無理してやがったか)
普通なら足腰が立たぬ程抱いたのだ。
なのに、臨也は虚勢を張る。
絶対素直にならない。
そんな事解ってる。
だから、送ろうとしたのに、それすら手を払いのける。
静雄は必死に臨也の姿を捜し求めた。
パルクールで鮮やかな身ごなししか見た事がないから尚更だ。
軒下は狭い。
ブロック塀に頭をぶつけてないといいのだが。
「い、痛っ…たぁ〜〜〜っ!」
かぼそい声が聞こえた。
「ノミ蟲っ!?」
いくらかホッとし、音の方へ覗き込む。
「ここ〜、シズちゃん…」
手を振ってるのが、壁と生垣の隙間から見えた。
雑木のせいで、いくらか衝撃が少なくて済んだらしい。
静雄は生垣を掻き分けた。
「…ったく、心配かけやがって…よ…」
助け出したら、さっきの事と心配させた事で二発位殴りたい。
が、言葉は途切れた。
絶句して見下ろす。
「…イザヤ?」
子供姿の臨也。
未来から来て、静雄達を翻弄していったもう一人の臨也。
銃弾から静雄をかばって消えてしまった、小さなイザヤ。
「あ〜、痛かった。
シズちゃん、どうしたの? 早く起こしてよ」
子供は頭を擦る。
片手を伸ばしながら、不思議そうに静雄を見返した。
確かにイザヤだ。
が、問題は彼の頭から生えているうさぎの耳だった。
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