「うちゃやとしずお」 8

 

「俺はこれを機会にお前に仕事辞めて欲しいんだけどな」

 静雄は溜息をついた。

「子供になって、うさぎ頭でよ。これじゃ仕事も出来ねぇ。
 他のセフレとも逢えねぇ。池袋で誰かを陥れる事もできねぇ。
 一緒に住んで独占できる。
 俺にとっちゃ、ずっと子供のまんまでいい気もするな」

「俺に貧乏で借金持ちのとこに嫁げって? 
 シズちゃんの傾いた家計を心配しながら、家事疲れの主婦になるのはゴメンだよ」
「う…痛いとこ突くな、お前」

 本当に臨也は現実的だ。
 静雄は臨也と幽が静雄の借金を肩代わりしてる事を知らない。
 本当の事を知ったら、もっと胃が痛む事だろう。

「それにセックスも出来ないよ」
 臨也はにべもなく言った。静雄は笑う。

「うー、そりゃ、いつかどうにか何じゃねぇか?
 ホントに我慢できなくなったらよ」
「身の危険を感じるなぁ。助けて。俺の貞操の危機が!」
「お前が言うか」

 わざとらしく震える臨也に静雄は笑った。

「けど、俺はしばらくお前と同じ時間を過ごしてみたい。
 ま、ケンカばっかりするかも知れねぇけどなぁ」

「…………うん」

 静雄は手を伸ばしたが、臨也はまだ手を握り返さない。
 暮れなずむ街をぽつんと独りで歩いていく。
 静雄はそれが淋しかった。
 一緒に暮らそうと提案しても、臨也は一人ぼっちを貫こうとする。
 自分の中に踏み込ませようとしない。


 住宅街を抜けると、いきなり繁華街に出た。
 池袋の特徴だ。至るかしこにネオンが瞬き、若者達がたむろしている。
 朝から晩まで一日中遊んでいる者もいる。誰も何をしてるか気に留めない。

「働いたら負けだと思ってるって言葉があるけどよ」

 静雄は彼らを見ながらぽつんと呟いた。

「時々、思うんだ。
 お前さ、愛したら負けって思ってねぇか?」

 臨也は静雄を見上げた。真顔だった。

「うん、その通りだよ」
「じゃあよ、一回位負けてみろよ。
 お前は気づいてねぇかもしれねぇが、俺はとっくにお前に膝を屈してるんだぜ?
 お前が好きでたまんねぇんだぜ? 言ったろ?」
「俺は好きな奴しか抱かない…」
「まぁ、いきなり素直になれとは言わねぇけど、一緒に暮らすんなら、たまには俺にだけ素顔を見せろよ。
 あん時、俺を死に物狂いで助けようとした時みたいにな」

 臨也は黙って俯いた。

(シズちゃんが膝を屈してた?)

 今まで臨也が意地を張って、自分の心を認めようとしないのは静雄に負けたくなかったからだ。
 自分の計画に邪魔な静雄を殺したいと思い、それをなせない自分が腹立たしいからだ。

 静雄もずっとそうだと思っていた。
 自分に手が届かない臨也を、真剣に向き合おうとしない臨也を苛立ち、憎み続けるだけと思っていた。
 それが変わりつつあるのは知っていたが、でも、好きだからって何でそんなに簡単に認められるのだ?
 男が負けを認めるのは最大の屈辱じゃないのか?
 何故、意地を通さない?
 そういう言葉を何故、あっさりと口に出来る?

「判んない、シズちゃんが。俺に負けて悔しくないの?」

 静雄は笑った。サラリと呟く。

「そりゃ、お前とは色々あったけどな。
 好きな奴に負ける事なんか、痛くも痒くもねぇよ。
 許せるんだよ、全部」

 臨也は目を見開く。

 俺はかつて犯された。大勢の男達に。
 監禁されて、屈従させられて、一歩間違えれば死ぬ所だった。
 よくある事だ。若かった。経験不足だった。
 苦しかったが、気持ちよくもあった。

 だから、割り切った。
 あの時の男達は今、誰一人残っていないから何の感情も残っていない。
 闇の世界に入る為の洗礼みたいなものだと、自分の心の中で始末をつけた。 

 その事を日頃忘れているつもりだが、その時以来、何処か人を信用できなくなってしまっている。


 人間を愛してる。
 でも、常に上から目線なのは、人と愛し合う事をしないからだ。
 人を内部に入れたくない。
 人で遊びたい。常に線を引く。

 それで自分の心を守れるからだ。
 研究者の目で人を観察できるから。
 決して、研究対象になんかならない。
 二度とならない。
 どうしたら俺が苦しむか。助けを請うか。俺がどんな反応を示すか笑いながら眺めていた

(あの時みたいに!)

 二度とならない。


 だから、愛したら負け。
 そう思ってきた。ずっと。

 シズちゃんは俺を愛してるかも知れないけど、俺のやってる事を認めはしない。
 だから、許したりはしない。負けもしない。
 その事で一本、線が引ける。
 俺の心に踏み込ませずに済む。その距離から愛せる。
 それが一番安全なのだ。心を壊さずに済むように。


 でも、今、静雄は軽々と砦を壊した。たった一言で。
 俺のバリケードを越えて、俺の前へふわりと降り立った。
 あんなに俺が必死で守ってた防衛線を。

 こんな奴だと解っていたから、俺はシズちゃんを恐れ、憎み、否定しようとし続けた。
 愛してる事も。惹かれてる事も。
 どうしようもなく、身を委ねたい事も全部別のベクトルになるようし続けた。
 

 でも、ダメだ。
 俺は好きだ。
 シズちゃんが好きだ。
 どうしようもなく、好きだ。
 建前なんか、最初からシズちゃんの前では意味がなかったのに。
 いつの間にか涙が流れてる。
 悔しくて、嬉しくて。
 どうしようもなくて。

「あ、お前、どうしたよ? どっか痛ぇのか?」

 静雄は慌てている。
 子供を泣かせたと非難の眼が集まっているのを、少しいい気味だと思った。
 こんなに俺を好きにさせた罰だと思う。
 慌てて、静雄が俺を抱っこした。
 俺は静雄の首にギュッと腕を巻きつける。彼の頭に顔を埋める。

「どうしたよ?」
「何でもない…」
「痛ぇのか?」
「うん…」

 心が痛い。どうしようもなく痛いよ、シズちゃん。

「大丈夫か?」
「うん、ずっとこうしてれば治る」
「そっか。じゃ、しばらくこうして歩いてるか。
 トムさんにはちょっと遅れるって言っとくから」

 静雄は携帯を取り出した。

「うん…」

 俺はシズちゃんの頭に顔を持たせかける。
 幸せだと思う。
 滲んでるこの街のネオンサインを初めて本当に綺麗だと思う。
 雑踏が、喧騒が、綺麗だと思う。
 シズちゃんがいる。
 ここが俺の天国。あったかい俺だけの天国。シズちゃんの頭は金色で一杯。

「ねぇ、シズちゃん。うさぎってさ、淋しいと死んじゃうんだって」
「あー、そういうのどっかで聞いた事あったな」
「俺さ、ずっと死んでたのかも知れない。
 ずっとずっと死んでたのかも知れない」
「ああ?」

 静雄が怪訝な顔をする。

「けど、きっと今生きてんだと思う」
「意味解んね…」
「うん。俺もきっとよく解ってない。でも、一つだけ解った」

 臨也は笑った。
 たった一瞬、心から笑った。
  
「俺…世界で誰よりシズちゃんが好き…」

エンド

臨也にとって、静雄が本当に怖いのは腕力でなく、こういう所だと思う。
でも、臨也のデレは続かないから、永遠にケンカばっかりしてるんだろうなぁ。
こんな二人が大好きだ。
続き書きてぇ。

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