「バレンタインデー」

 

「ね、神田。今日って何の日か知ってます?」


 アレンがにっこり笑って言った。
「…………ああ? 二月十四日だな」
 神田は六幻の手入れをしながら答えた。剣を手入れする時は口に懐紙を銜え、背筋を立てて打ち粉をはたく。だから、常に独りで行うものなのだが(口に懐紙を銜えるのは、刃に湿気を与えぬ 為だ)アレンはその厳粛な姿が綺麗だと言って部屋に入り込んでくる。
 来るなと何度も厳命したが、最近はもう諦めた。だが、剣の扱いに揺るぎがあってはいけない。とりあえずアレンにも懐紙を銜えさせ、遠くで正座してなら、見ていてもいい事にしている。だから、口はききにくい筈なのに、アレンは器用に意志を伝えてきた。
「今日は…そのぉ空いてます?」
「空いている訳ないだろう。コムイの研究につき合って、後はそのまま次の任務の打ち合わせだ」
 アレンは世にも悲しい顔をした。
「じゃ、夜は?」
「夜はこいつと修練。状況によっては、そのまま任務だな」
「え〜〜〜〜〜〜〜?」
「え〜〜〜〜〜じゃだろう。いつもの事だろうが」
「そりゃ、いつもの事ですけど。今日位はコムイさんだって解ってくれるんじゃ」
「あの中国人が解ってくれる訳ないだろう。解った、するよ〜とか、笑いながらアイツはいつも命令を押し通 すじゃねぇか」
「そうなんですけど、でも…」
「でももクソもねぇ。さぁ、見学は終わりだ。とっとと出ていけ、モヤシ」
 神田は静かに剣を鞘に納めた。
「今日はもう少しいいじゃないですか」
「よくねぇ。俺は少し昼寝したいんだ。疲れてんだよ」
「だって…」
「今日はヤケにしつこいぞ、モヤシ。今、手入れしたばかりの切れ味を試して欲しいのか?」
「今日の事、本当に知らないんですか、神田?」
「知らねぇよ。俺達にとっちゃ、一日なんてものは日が昇って日が沈む。それだけの事だ」
 アレンは溜息をついた。そんな考え方しかできない神田が切なかった。
「それはちょっと悲しすぎませんか?」
「すぎません。……帰れ、モヤシ」
 神田はベッドにゴロリと横になった。アレンは溜息をついた。ベッドにそっと躙り寄る。
「僕、あの、あげたいものがあるんですけど」
「………んあ? お前の処女なんか、とっくにないだろう」
「あのねぇ………もういいですよっ」
 アレンはプイッと怒って出ていった。ティムがその後をへたへたとついていく。
(何だよ、アイツ)
 神田は壁に向かって寝返りを打ち、目を閉じた。

 

(何だ?)
 蕎麦を手繰りながら、神田は首を傾げた。どうも男共の様子がおかしい。探索部隊も衛兵達も何となく浮かれて、そわそわしている。小集団で集まっては『今回はいくつだ?』とか『俺は3個だ』とか数の競い合いをしているようだ。
(何の話だ?)
 そういえば、昼飯を食べに出ようとしたら、部屋の前にかわいい箱や袋菓子がたくさん積み上がっていたなと思い出す。アレンの仕業かと思ったが、カードには研究所や秘書室の女性名ばかりだった。元より洋菓子よりあんこが好きな神田である。ロクに見もせずに、全部その手の菓子を食いそうな奴の適当な部屋の前に置いてしまった。アレンの部屋の前に置かなかったのは、ただ離れていたからというだけだ。
(………ああ、そうか。今日はバレンタインか)
 鈍い神田も何となく思い出した。興味がなくて、全く無関心なので思いつきもしなかった。とすれば、アレンのあげたかった物は『チョコレート』なのだろう。
(まぁ、一個位ならもらってもよかったかな)
 神田は少し後悔した。チョコがキライなのではない。ただ、大量には要らないというだけだ。
(だけど、モヤシは男じゃねぇか)
 神田はくだらない事に固執する。イベント事も大嫌いだ。面倒臭い。特別な日という考え方も嫌いだった。そういうものに縛られたくない。
 科学班の研究室に入ると、やはりここも雰囲気が怪しかった。非常に浮かれているリーバーと非常に暗雲と土砂降りの真っ直中に溺れているコムイと好対照になっている。
「……どうした?」
 神田は研究員に囁いた。
「ああ、リーバーはさっき部屋に戻ったら、今まで見た事もないような、もの凄い数のチョコが置いてあったんだってさ。もう舞い上がちゃって仕事にならない」
「コムイは?」
「リナリーちゃんがみんなに義理チョコ配ったんだけど、室長もみんなと同じ義理チョコだったんで拗ねてる」

(ああ、アレだな)

 多分、神田がさっきチョコを置いた適当な部屋がリーバーのだったのだろう。だが、どうでもよかったので口にはしなかった。コムイもコムイだ。妹が兄に渡すのは義理に決まっているだろう。本命だったら犯罪だ。
「じゃ、今日はもう無理だな」
「うん、無理」
 みんなは遠巻きにして、二人を眺めていた。
 リーバーは「勝った!俺は人生に勝ったんだ!」と雄叫びをあげているし、コムイは「ひどい、リナリー、ひどいよぉ〜〜〜〜〜。お兄ちゃんは悲しいよぉぉぉぉぉぉ」と人間のクズになり果 てている。
(チッ、時間を無駄にした)
 神田は溜息をついて、研究室を後にした。

 


 角を曲がると、ラビがいた。回廊の手すりに腰掛けている。袋からもぐもぐ何か食べていた。
(全く、また面倒臭い奴が…)
 神田は無視して通り過ぎようとした。
「よぉ、ユウ。シカトするこたぁねぇだろ?」
 ラビが笑いながら、神田を眺めた。
「会ったからって、そのたびに話をしろっていうのか」
「挨拶は日本人の基本だっていうじゃん。おはよーございます。こんにちは。今日はお日柄もよく」
「ふざけてんのか、手前!」
「まさかぁ。ユウにふざけたら、命がないもんね」
 ラビは笑いながら、菓子を摘んだ。
「解ってるなら、一々俺に話しかけるな」
「たまにしか逢えないのにひどいお言葉。冷たいんだなぁ、ユウは」
「お前に暖かくしてもつけ上がるだけだろ?」
「つけ上がらせてよ」
 ラビが不意にニッコリと顔を突き出したので、神田は真っ赤になった。ラビはケラケラ笑う。
「ホント、うぶくて、かわいいねぇ、ユウは〜」
「だっ、誰がかわいいだ!俺で遊ぶのは止めろ、ラビ!」
「遊びをせんとや生まれける」
 ラビはトンと廊下に降り立った。
「日本の何だっけ、出典は。現代今様かな?いい言葉だよな」
「よくねぇ」
「心に遊びがないから、そんな顔してんだよ、ユウは。眉間にしわ、寄せちゃって」
 ラビはポイと神田の口に袋菓子を放り込んだ。甘い。チョコレートだ。
「うんうん。そういう顔」
 思わず味わってしまった神田の顔を見て、ラビは満足そうに笑う。神田は途端にしかめっ面 になった。
「あのな、だから遊ぶなって!」
「怒るなよ、せっかくのバレンタインのお裾分けなのにさ」
「手前もバレンタインかよ、ラビ。ハッ、軟派野郎が」
「軟派上等だろ、ユウ。あれ、お前、もらってないの?」
「全部見もしないで人にやっちまったよ。そんなん」
「うへ〜。お前って、ホントに人の気持ちを平気で無視するつーか、困った奴だなぁ」
 ラビは不意に笑い出した。
「は〜〜、じゃ、アレンがくれたのは俺にだけかぁ。嬉しいなぁ」
 ラビは袋を天に掲げて、うっとりと見つめた。
「アレンだと!?」
 神田はギロリと袋に目を向ける。
「やっぱりこんな陰険で冷たくて、心狭い男は誰だってうんざりするもんねぇ。アレンたんも僕の心が通 じてきちゃったんさぁ」
 思わず袋に頬づりして抱き締めているラビの姿に神田は逆上した。アレンがこの男に!? よりにもよって、こんな赤毛うさぎに!?
「アレンがお前なんかにチョコをやる訳ないだろう!」
「もらったものはしょうがないも〜ん」
 ラビはこれ見よがしにポイとまたチョコを食べた。
「アレンは男だぞ!?」
「その男と寝てる男は何処の誰かな」
 ラビは笑った。口がむぐむぐしている。
「どうせ、ユウの事だから邪険にしたんだろ? かっわいそうに。せっかくのバレンタインなのにねぇ。
 アレン、いつも言ってるぞぉ。神田は僕の事なんか好きじゃないって。恋人にそういう事言わせる男ってサイテー。僕が勝手に付きまとってるだけなんですってさぁ。サイアクー。
 ユウって、アレンの体目当てなだけなんさぁって、俺はいつも言ってるのに、アレンてば、けなげだよねぇ」
「誰が体目当てだ!? 俺はアレンの事を……!!」
「んじゃ、大事にしてあげなよ、ユウ」
 ラビは真顔になった。
「どうやってもアレンの心が変わらないなんて思ってるなら、大バカだぜ、ユウ。自惚れすぎて振られたって全部自業自得さ。どうやって愛していいか解らないなんて言ったら、俺は容赦なくアレンをさらってくよ? その前にユウを思い切りぶん殴ってやるけどさぁ」
「………………っ!」
 神田は睨む目を僅かにそらした。そういう所が神田の弱さなのだと、ラビは溜息をつく。本当に心に遊びがないのだ。愛して、自分に生きて帰りたいと思う心が出来てはならないと思っているのだ。
 事実、家族持ちの兵士は独身の兵士より弱い。守りたいからこそ強くなるなんて言葉は、実際に守りたいものを背にした時だけだ。遠く離れた場所では、感傷と追慕が兵士を押し潰してしまう。弱くしてしまう。誰も愛する者のいない場所で淋しく死んでいきたくはない。自分が死んだら、残された者はどうなると思う。
 けれど、生に執着を持つまいとする者の限界は突然に襲ってくる。神田はそういう所に来ている。それがラビには怖い。神田の体にガタが来始めたのはそういう心からも来ているからだ。
 だから、神田にはアレンが必要なのだと思う。見つかりもしない『あの人』なんかではなく、実際に神田を温めてくれる人間が。

(その為なら、俺の気持ちなんかどうでもいいさぁ。………なぁ、ユウ)

 ラビはほろ苦い思いでチョコを放り込んだ。
「競争する、俺と? アレンを捕まえるのがどっちか」
 神田はラビを睨み付けた。
「競争だと?」
「うん。お前ら、くっついたんじゃ俺の勝ち目ないなーとか思ってたんだけどさぁ、ユウ、バカだしさぁ。俺の入る余地充分じゃんとか思って〜」
「そんなもん………」
 言いかけて、神田は改めてチョコをむぐむぐしているラビと袋を見つめた。
(ホント、バカだなぁ、ユウは〜)
 ラビは大きく溜息をついてやろうかと思ったが、ただチョコをもう一つ口に押し込んだ。
「次のバレンタインまでにどっちがアレンのハートをゲットするか、俺と競争」
「しねぇよ」
「するさ、ユウは。いずれにせよ、もう勝負は始まってる」
 ラビは袋を振ってみせた。
「しねぇんだよ、俺は!」
 神田は身を翻して回廊の奥へ消えていく。

「……………………バッカ」

 ラビはチョコをポンと空に放って口で受け止めた。
「あら、あたな達、また喧嘩してたの?」
 リナリーがひょいと柱の影から顔を出した。大きな籠に一杯色鮮やかなトッピングの袋菓子が入っている。
「ああ、いつもの事さぁ」
「あんまり神田をからかっちゃ駄目よ、ラビ。あの人、生真面目だから」
「バカなだけさぁ。それより、まだ配り終わらねぇの、それ?」
「うん。ここ結構広いし、男の人多いし」
「コムイ、泣いてたぜぇ?仕事にならないって、俺の所にまで苦情が来てるんだけど」
「だって、人前でみんなと違うのあげる訳にいかないでしょ?
 フフ。ちゃんと兄さんにはね、ケーキ焼いてあげてあるの。後で一緒に食べたら、きっとご機嫌も直ると思うわ」
 リナリーはクスクス笑った。
「早く教えればいいのに〜」
「兄さん、ちょっと露骨過ぎるんだもん。たまにはお仕置き」
「あ、そう。ごちそうさま」
 ラビは苦笑する。リナリーがコムイしか眼中にないのが解ってないのはコムイ自身だけだろう。おかげで職員達は災難だろうが仕方がない。
(でも、リナリーもちょっとずつ『外』に向いてるのが解るから、コムイも焦るんだろうさぁ)
 神田にアレン。仲間意識が変化していくのは、男と女の仲という奴だ。心配も恋を助長させる魔法の一つだから。
 ラビはポンとチョコをまた口で受け止めた。袋をリナリーに振ってみせる。
「あ、これ、ホントにうまいよ。リナリー、サンキュー」
「どういたしまして」
 リナリーは笑った。

 

 神田はズカズカ廊下を歩いていた。
 ポッカリ突然空いた午後の時間だが、何をする気にもなれない。ラビの言葉が頭の中を回っている。

『いずれにせよ、もう勝負は始まってる』

(そんな筈ねぇ!)
 筈はないのだが。

(チョコ……もらっときゃよかった)

 どうしてあんなすげない態度を取ってしまったのだろう。優しくしてやりたい気持ちはあるのに、面 と向かうと冷たい言葉や態度になってしまう。照れ臭くて、何か自分が腑抜けになったみたいで、アレンの事が好きすぎて、そんな自分に怖くなって、結局、ああいう言い方しか出来なくなってしまう。

(自分に自信がないから、か)

 ラビに何度も指摘された。誰かを好きになるのが怖い。自分が駄 目になると思いたくはない。だが、任務に出た先でも剣の切っ先が鈍りそうで怖くなるのは確かだ。
 死にたくない。
 アレンの所に戻りたい。
 そんな気持ちになれば、アクマとの戦いに隙が出来るだけである。弱さにつけ込むのがアクマという悪性兵器というものだ。だから、切り刻まれても懐に飛び込めるような体を得た。傷の痛みを恐れないで済むように。

(でも)

 戻りたいから、戦い抜こうと思う。一刻も早くアレンの元に帰りたいから。
 体に無茶を強いらずに、彼らの弱点を一瞬で突けるように、もっと鋭い切っ先となろうと思う。
 もっと強くなりたいと思う。
 ただ回復力の早さに頼るだけの戦い方を変えたいと思う。
 そう思うようになったのは、アレンに出会ったからだ。

 神田は立ち止まった。天を見上げる。
 アレンが木の枝に凭れて空を見ていた。ティムは彼の頭の上でひなたぼっこをしている。
「寒くないのか、そんな所で」
 アレンは神田を見下ろした。ぷいと顔を逸らす。まだ怒っているらしい。神田は苦笑した。木の幹をドンと蹴飛ばす。
「降りてこい、モヤシ」
「イヤですよ」
「来いったら」
「神田が来ればいいじゃないですか」
「お前なぁ」
「どうせ来る気がないんでしょ?放っておいて下さい」
 神田はヒョイと幹に手を掛けた。軽々とアレンの側に舞い上がる。アレンの目が微かに見開かれた。枝を片手で掴んで見下ろす彼を眩しそうに見つめる。
「やっぱり、鳥みたいな人ですね、神田って。いて欲しい時に飛んでいってしまって、でも、いつの間にか側に止まってる」
「そうか?」
 神田はおかしそうにアレンを見下ろした。
「お前、その、誰かにチョコかなんかやらなかったか?」
「まさか。どうしてですか、急に?」
 神田は内心ホッとする。
「いや、あげたいものって何かなと思ってな?」
「何ですか、今更。バレンタインて、興味ないんでしょ?」
「ない」
 神田はあっさり答えた。
「じゃ、要らないでしょ、もう」
「いるよ、お前なら」
 アレンはまじまじと神田を見返す。
「そういう事を急にあっさり言えたりするんですよね、神田って。ズルイです」
「ズルイか何か知らないが、お前の方だろ、いつも言わせるのは。
 俺は大体イベントが嫌いなんだ。そういう事で振り回されるのもイヤだ」
「でも…………。何でですか?」
「俺達にとっては、毎日毎日が必死だ。生き抜けるかどうか解らない。だから、好きな奴といられる瞬間が充分『特別 』なんだ。俺はそれ以外の特別なんかいらん。世間に押しつけられた特別なんか価値があると思えない」
「神田………」
 アレンは起き上がった。神田の顔に手を差し伸べる。
「僕を好きな奴と言ってくれるんですか?」
「お前は違うのか?」
「いいえ。好きじゃないです、もう」
 アレンは必死で首を振った。神田は怪訝な顔をする。


「愛してます」
「それでいい」


 二人の唇が触れ合った。枝の揺れがお互いの体を強く弱く波のようにうち寄せ合わせる。幾度も角度を変えて味わい、ようやく唇を放した。
「……俺の部屋に来るか?」
「ええ。今日は予定はもういいんですか?」
「来ても、もう今日は知らねぇよ」
 アレンは笑い出した。
「任務を知らないなんて、神田らしくないですね」
「お前のせいだろ?」
 アレンの息が一瞬喜びで詰まった。

「………ありがと」




「なぁ、今朝あげたかったもんて何だ。モヤシ?チョコか?」
 神田は木から飛び降りながら尋ねた。
「…………僕の今日一日なんですけど。実は僕も任務蹴っちゃったんです」
 神田は笑い出した。
「やれやれ。不良聖職者ばっかりだな、ここは」
「今日はそういう日でしょ?」
 アレンは神田の腕にしがみつき、体を預けながら笑った。  

エンド

2/14までのフリーSS。一言戴いたと報告下されば、飛んでお礼を言いに行きますv

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット