離さないで

 

(……うまくいかない)

 毎日毎日、足が棒になる程、指が擦り切れる程、目が充血して、乾いて痛くなる程、元に戻る方法を探している。
 もう賢者の石でなくてもいい。何だっていい。どんな方法でもいい。アルを元に戻せれば。弟さえ戻せればいい。
 あいつを生身にして、あの黄金の瞳で、髪で、母さんと似たおもざしで、俺の側にいて欲しい。その為ならこの身体ももっと無くしたっていい。切り刻んだっていい。気ばかり焦る。あいつが身体をなくした年齢からどんどん遠ざかっていく。あいつが人間でいられなくなった時間から遠くなっていく。
 アルは構わないと笑う。焦らないでと笑う。


 兄さんといられるなら、ボクは幸せだよ。少しくらい人と違ったって大丈夫だよ。兄さんを『感じ』たり、感覚を思い出せる事も出来るよ。味覚だって解るよ。兄さんといれば、ちょっとずつちょっとずつ、ボクなりの感じ方を発見するの。ボクも成長してるんだよ。面 白いね。人体の神秘って奴だね。


 何が人体の神秘だ。何が成長してるだ。
 そんな風に自分を騙さないでくれ。
 欺かないでくれ。
 俺を通してしか解らないなんて、俺を通してしか感じないなんて、変だ。
 それは結局、お前がその血印に縛られてるだけじゃないか。
 世界と通じてないって事じゃないか。
 鉄の檻に閉じ込められて、その暗い闇の奥から覗き見してるだけじゃないか。
 お前が感じるのは、看守の俺だけ。血印という鍵をかけ、身体というエサを与えてる俺だけ。
 その狭い隙間から手を伸ばして、俺に触れるだけ。
 お前は牢獄にいるのに気づかぬ振りをしてる。
 しらばっくれてる。
 なら、俺が手足を取り戻したら、それは今、年齢通りの手足なのか?ちゃんと成長してるのか、俺の手足は?  11歳の貧弱で幼いままなんじゃないのか?
 戻すだけ無駄なんじゃないか?  お前もちゃんと実年齢で現れるのか?
 成長しているよ、兄さんより体格よくなってごめんね、とか錬成の光の中で笑って現れるのか?

 
 どうかなぁ。でも、子供のままでもそれでも構わないけどね。兄さんに触れられるなら。


 そう真顔で言い放つんじゃないか、お前は?
 笑って、まるで冗談みたいに。
 俺はそれが恐ろしい。
 お前の優しさが恐ろしい。  
 そんな事、いい訳ないんだ!
 生身の身体は欲しい。手が出るほど欲しい。
 だけど、本当に取り戻したいのは、当たり前のごく平凡な俺達なんだよ。
 今、現在、普通に生きてる筈の俺達なんだよ。
 歪から歪に移ったって意味ないじゃないか。変わらないじゃないか。
 そこまでお前に言わせてしまう、俺が恐ろしい。
 お前を追いつめてる俺が恐ろしい。  

 

 

 言えないよな。
 こんな疑問、こんな不安、お前に言える訳ないよな。
 俺は眠っても、起きても構築式を練る。お前の為に、お前の為だけに、元の身体に戻る方法を探してる。俺の頭はもうそれだけしか考えられない。毎日、毎日、義務みたいに、仕事みたいに、同じ事を繰り返す。
 夢もそれの延長だ。夢の中の構築式は入り組んでいて、起きている時より何故かずっと難しい。出来たと思った端から間違いを見つける。うまくいかない。
 でも、これを仕上げなきゃいけない。やらなければならない。それを解かないと、先に進めない。でも、出来ない。イライラする。前に進む為に、道を見つける為に、俺はこれを解いてしまわないといけない。
 何度も見た悪夢。
 似たような悪夢。
 俺は計算ばかりしてる。絶対に何処かが間違った公式をどうにかして解こうとしてる。
 だって、それを解かないと、やらないとアルが元に戻らない。
 早くしないと、早く終わらないと、アルがかわいそうだ。俺を信じて待ってるアルがかわいそうだ。
 アルが俺をじっと見てる。体育座りして、俺の計算が終わるのを待ってる。
 ごめん。
 ごめん、アル。
 必ず終わるから。
 必ず解いてみせるから。
 そして、そのお前を閉じ込めた檻の鍵をあけてやるから。釈放してやるから。
 

 

 少し解けた。
 次の式はまた間違ってるけど、間違いを見つけてしまったけど、もういいや。
 とりあえずこれだけ。
 アル。お前を縛ってる鎖をほんの少しでも緩めてやれる。
 俺は手を合わせた。
 ポン。
 いつも通り。
 俺は生きた構築式になる。透明な門になって、俺の中からモノを生み出す。アルの鎖を断ち切る為に。青い錬成反応が空気を焼いた。
 その瞬間  真っ白なモノが俺の腕の円の中から突き出した。
 俺はギョッとする。
 真っ白な腕。存在感など全くないが、確実に存在するそれ。
(真理)
 俺は叫びかけた。だが、声にならない。声を出せない。円をほどこうとしても、手は合わさったまま頑として俺の意志を受け付けない。駄 目だ。やめろ。俺は歯を食いしばる。だが、口も身体も凍り付いて動けない。
 ズルッと、真理が、世界が、俺自身と名乗る、アレとしか言い様のないものが俺の門をくぐって現れる。身をよじり、まるで俺に存在を叩きつけるように俺の腕に、胸に、腹に、身体に感触をなすりつける。
(アルッ! アル、逃げろ!)
 俺は叫びたい。警告したい。
 だが、出来ない。アルも動かない。まるで真理に、アレに魅入られてしまったかのように。
 トン…と、アレは降り立った。あの時と同じ、俺と同じ身長の小柄な身体。そして忘れもしない俺の手足。喉から手が出るほど欲しい俺の手足を見せつけながら、真理はアルに向かってスタスタと歩いていく。まるで俺なんか眼中にないように。
 アルが怯えて、後ずさりした。アルも立ち上がれない。俺みたいに金縛りになって、震え上がって真理を見てる。あんなに二人して真理の奴を殴ってやろうと息巻いていたのに、いざとなって、その時が来たのに、俺達は何も出来ない。
 こんな事があるか。こんな馬鹿な事があるか。
 まだ早い。あっちから来るとは思ってなかった。準備万端整え、こちらから攻め込んでやる筈なのに、どうしてこんな事になったんだろう。
 夢なのに。俺は寝てる筈だ。起きるんだ、こんな夢認められるか。
 だが、俺は動けない。アルも動けない。
 真理だけがまるで主人公のようにアルを見下ろす。
 真理はアルをじっと見つめると、おもむろにアルの鎧の胸甲を止める金具を外した。俺は驚愕する。頭が沸騰して、煮えくり返って、真っ白になる。
(やめろ! やめやがれ! その汚い手でアルに触るな! 二度と触るな! これ以上、弟をどうしようっていうんだ!弟から何を奪おうっていうんだ!)
 だが、俺は声を出せない。ただのたうち回るような怒りに震えてそれを見続ける。
 真理は血印に手を延ばした。真っ白な手で血印に腕を突っ込む。まるで小さな池みたいに腕はあっさりと血印の中に沈んだ。アルがビクンと震える。
「あああっ!!」
 アルは悲鳴を上げた。真理は片手をアルの肩にかけ、グイッと引っ張った。小柄な子供を掴んで引っぱり出す。
(アル!)
 俺は絶叫しかかった。金色の髪、金色の瞳、幼い身体。俺が最後に見たままのアルが、一糸纏わぬ 姿で真理の手に首根っこを掴まれていた。アルは何とか抵抗しようとしている。口をパクパクさせ、出せぬ 声を振り絞ろうとし、必死の目が俺に助けを求めている。
 だが、俺はどうしても動けない。ブルブルと身体が震えるが、手が離す事ができない。脂汗が滲んで、食いしばった奥歯や顎が痛んで、泣き出しそうに悔しいが、まるで身体が石になったようだ。
 真理はアルを荷物のように引きずったまま、俺の方に戻ってきた。アルの鎧は主をなくして、ただの鎧になっている。頭を垂れ、腹を開かれ、人形のように音を立てて横倒しになった。
(……このっ!アルを放せ!)
 俺は凄まじい形相で真理を睨んだ。
「よぉ、バカ野郎。頑張ったな、錬金術師」
 だが、真理は動じない。しばし俺を憐れんだように眺め、やがてあのおなじみのニイィという笑みを浮かべる。
「だけど、時間切れだよ」
 真理は俺をよじ登ると、輪の中にヒョイと身を躍らせた。その腕にはアルが握られてる。アルの逆立ちになった顔が俺の前を通 り過ぎた。俺の顔に触れていく。泣きそうな目が、必死で何かを言いたげな震える唇が、俺の額を、頬を、唇をかすめ、白い喉が、胸が、腹が、腕が、足が、俺に一瞬でも触れようと、あいつから逃げようともがきながら、俺の創り出した門の中に消えていく。沈んでいく。
(アルッ! アルッ! やめろ、やめてくれ! あいつを、弟を俺から取り上げないでくれ! まだ待ってくれ! まだチャンスをくれ!)
 ズルッと、何かが俺の身体を通り過ぎた。アルの最後の感触に、喉を、体内を通 り過ぎる刺激に、ブルッと俺は震える。

 

 それっきり。

 

 何もかも消えた。
 俺の手が突然離れた。金縛りが何事もなかったように消える。
 俺は喘ぎながら立ち尽くす。
「ア……アルッ、アルッ!!」
 俺は慌ててまた手を合わせた。錬成陣になろうとした。門を開こうとした。アルを、弟の行ってしまった向こう側に行く為に。アルを取り戻す為に。
 だが、何も起こらない。
 何一つ感じない。
『時間切れだよ』
 頭の中をあの笑みが、声がガンガン木霊する。その嗤いは止まない。
 アルだった鎧の兜が、鎧から外れて俺の足元に転がってくる。
 まるで俺を責めるように。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁーーーーっ!!!」

 

 

 

 最悪の悪夢だった。
 俺は飛び起きた事すら忘れて、闇の中に座っていた。身体が馬鹿みたいに震えている。汗ぐっしょりだ。唇がわなないている。目元が痙攣してる。手が毛布を引きちぎるほど掴んでいる。アルが通 り過ぎていった感触がまだ生々しい。俺は思わず喉元に手をやった。喉や胸にアルのつま先が蹴ったような感じが残っている。自分の悲鳴で目が覚めたのは初めてだった。それ程に俺は大きな悲鳴を上げていた。
「ア……アル……アルッ…!」
 俺は思わず呼んだ。いない事は『解って』いるのだが、それでも俺は呼ばずにいられなかった。
 ここにいられない。寝直す事など出来ない。
 俺は下着姿のまま、ベッドから転げ落ちた。足が萎えて話にもならない。だが、必死に起き上がり、這うように立ち上がった。靴も履かずに宿を飛び出す。
 街は真っ暗だ。空は満天の星。初秋の風が俺の素肌を刺す。だけど、そんなもの感じない。どうでもいい。俺はアルを『探す』。アルの散歩先。武術を稽古してそうな空き地。公園。必死でそれを感じ取ろうとする。あいつの、弟の居場所を。
 俺は走る。感じる。どうしてか解る。夢は夢に過ぎない。アルは同じ夜の下にいる。
 それでも、俺は走る。狂ったように走る。あいつを見なければ、あいつを確かめなければ、俺はもう眠れない。あいつを感じないと気が狂う。
 アルは公園にいた。電灯の下で、簡単な基本をやっている。
「アルーッ!!!」 
 俺は絶叫した。
 アルは俺を見た。仰天する。夜中に下着姿で走ってきたのだから当然だろう。まして、俺が躊躇いもなく突進していったのだから驚愕するに決まってる。金属鎧のアルに全力で飛びつくのは、冷蔵庫や金庫に体当たりするのと同じだからだ。
 アルは咄嗟に受け身を取った。こういう所が俺より体術が優れてる所だ。俺を何とか傷つける事なく抱き留める。
「ど、どうしたの、兄さん!?」
「アルッ!アルッ!!」
 俺はどうしようもなく弟に抱きついた。まだ身体が震えてる。悪夢が身体にへばりついている。夢だ。そんな事解っている。
 だけど、本当にそう言い切れるのか?
 アルの看守の俺だけど、監獄長のあいつが、そう決めてしまったら、俺にはそれを取り消す権限なんかない。夢は現実になるかも知れない。
 俺がもたもたしていたら、あいつは俺を擦り抜けて、本当にアルを断頭台に引きずっていってしまうかも知れない。
 そんな事はさせない。そう思っても、努力しても、アルを奪われる日が来るかも知れない。
「イヤだ、イヤだ、イヤだ、そんな事絶対させるか!」
 俺はアルに縋り付き、頬を寄せて顔を埋めた。キスをする。何度も何度もアルの名を呼びながら、腕や胸にキスをする。今、自分の一番敏感な部分で触れたい。触れないと、実感しないといられなかった。
「兄さん…」
 アルは途方に暮れて俺を見下ろしていた。
「どうしたの……」
 俺は何も言えず、ただアルの冷たい身体を抱きしめていた。
「どうしたの……」
「………しよう」
「え?」
「アル、しよう」
 俺は必死な顔でアルを見上げた。アルはきょとんとしていたが、不意に声をたてて笑う。
「何言ってるの?こんな所で。それにボクの身体はこんなに冷え切ってるし……」
「いいんだ、しよう!したいんだ。お前が欲しいんだ。無茶苦茶にして欲しいんだ!今すぐお前を感じたいんだっ!!」
「馬鹿な事言わないで。それに何?その格好。子供みたいに駆けてきて。あーあ、足、泥だらけじゃない」
「アルッ!!しよう、してくれよっ!俺はっ!俺は……駄目なんだ。お前がいないと駄 目なんだ…っ!」
 俺はアルを揺すぶった。シャツもパンツも脱ぎ捨てようとした。股間をアルの足に擦り付けた。だけど、アルは俺を封じ込めるように抱きしめる。
「帰ったらお風呂入ろうよ。あったかい飲み物も用意してあげる。足も洗ってあげるね。ちょっと手も擦りむいたでしょ?薬も塗らなきゃね」
「アル、聞いてんのか!ばかっ!放せって!……どうして、何で何でしてくんないんだよっ!何で俺を無視するんだよっ!風邪引いたってどーなったっていい!ボロボロにしてくれよ!冷たいなんて関係ねぇよ!」
「バカ兄」
 アルは俺を抱き上げたまま、立ち上がる。
「してあげるよ。兄さんがヒーヒー言って、股関節が外れるくらい責めて、何度でもメチャメチャにしてあげるよ。よがりすぎて、声が嗄れて、扁桃腺が腫れたみたいになって、当分、兄さんのミルクが一滴も出ないくらい搾り取ってあげる。足腰立たなくして、一人ではトイレに行けないようにしてあげようか。何なら恥ずかしくて、明日ボクを蹴飛ばして、当分触るななんて拗ねるような真似もして欲しい?」
 アルはまだ抗議してる俺を無視して宿に向かって歩き出した。
「バカアルッ! 俺は、俺はなぁ……今、したいんだっ!させろ!ここでしたいんだっ!今っ!
 下ろせ!!下ろしてくれ!」
「うるさいな、夜中に。我慢しなよ。ボクが欲しくて、ジリジリしてなよ。こういうのも放置プレイっていうのかな?」
 アルは素っ気なく言って、アハハと乾いた笑いを上げた。
「アル!」
 俺は悔しくて、アルの兜にガリリと歯を立てる。アルが痛がらないのが辛い。アルが感じないのが悲しい。 俺を抱いて少し俯いているアルの姿が切ない。長く伸びた影が愛おしい。
 アルは俺を優しく撫でている。背中を髪を撫でている。撫でながら、楽しそうに話しかけてくる。まるで俺がおねしょして泣いてる幼い子供みたいに。何も大した事なんてなかったみたいに。
 その手が俺を落ち着かせていく。
 優しく、ただただ優しく。
 冷たいのに、こんなに鎧の身体は冷たいのに、アルの声や手は俺の強ばった身体や恐怖を解きほぐす。
 俺はアルを金属の檻に閉じ込めてる。
 だけど、俺もアルのこの優しい、柔らかい檻に囚われてる。この中でしか息もできない。
(ごめん……ごめん、ごめん)
 俺はアルの頭を抱きしめた。どうしようもない。俺は壊れている。壊れていく。
 それをアルにもどうしようもない。身体のある俺の方がアルより先に壊れていく。
 為す術もない。俺達にこんな夜が増えていく。
 それを俺達はもう止める事ができない。
 ひょっとして俺の方が先に時間切れになるかもしれない。
(それでも、離さないで)
 俺は祈った。
 弟に祈った。
 まだ俺が正気でいるうちに。
 

   エンド

 

少し、先の話。 計算ばっかりしてる夢を私も非常によく見るので。夢の中まで会社の仕事の延長は疲れるんだよなぁ。

アルエドお題へ

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