「独りの世界」


 空が好きだ。
 何処までも透き通る鮮烈な碧。白い千切れた雲。
 手を伸ばしても掴めない空間。他の誰もいないたった独りの空間を感じるのが好きだ。
 出来れば、それを遮るものが何もない方がいい。
 だから、高い所に昇る。
 黒の教団に頂点に立つ十二本の塔。その東に面した塔が神田のお気に入りだった。
 夜の修行が終わって、ここに来る。朝を待って座っていると、強い風が茫々と耳元を叩き、長い髪やコートをなびかせる。
 暗い闇がいつしか濃い藍色に、淡い碧、やがて薄紫に変わっていく。夜明け前に飛び立った海鳥達の朝の歌が海面 から聞こえる。朱。橙。黄金。様々な色を纏って太陽が最初の光を投げかける。
 いつもその一瞬を見逃すまいと思って、目をこらしているのだが、光が闇を切り裂いたと思った時はもう夜は明けている。
 世界は光に満ちあふれている。
 なのに、こんなにも静かだ。鳥の鳴き交わす声しか聞こえない。



 神田の眼下から黒い影が上がってくる。
 一つ。
 二つ。
 七つ。



 それは瞬く間に小さな群になる。



 ツバメだ。



 朝の宴を始める為に、無数の黒い閃光が渦を巻くように神田の周囲を飛び回る。
 空に雲や月以外何もないのが好きだが、鳥は別だ。何となく見入ってしまう。無心に飛び回る彼らと同じように心を天に遊ばせる。
 ただ、それだけの時間が神田は好きだ。



「やっぱりここにいたんですか」


 はにかむように声を掛けられた。
 神田は振り向かない。もう誰だか解っているからだ。
「食堂にいなかったから、多分ここだろうと思って」
 白い髪が風になびいた。神田ほど塔の風に慣れていない身体が、用心深く滑りやすい屋根板を踏んでいく。
「朝食の誘いならお断りだ」
「もうとっくに戴きました。任務から帰ったばかりで、お腹がすいてたんで」
 神田は少しチラリと目を上げて、アレンを見上げた。最初出会った頃に比べ、少し精悍さが増したようだ。もっとも生来童顔のせいか、元の雰囲気は変わらぬ ままだが。
「生きて帰ったのか」
「何ですか、それ。お帰りとか、逢えて嬉しいとか言って下さい」
 アレンは笑って、神田の下あたりに腰を下ろす。塔が細長すぎて並んで座るのは無理だった。
 神田は黙っている。側によるなと言うのも、もう止めた。なれなれしくされるのは性に合わないが、アレンの存在が以前程には気に障らなくなっている。
 おかしな話だ。最初の頃はあんなに苛立たしかったのに。大抵の人間とは距離を置くし、向こうからも敬遠される。
 だが、アレンは違った。鈍感で無神経で強情で馬鹿だと思った。だから思い切り噛みついてやったが、アレンは怯まなかった。意地と意志を貫き通 した。それが神田の心に珍しく爪痕を残し、今に至っている。甘っちょろい奴という最初の印象は変わらないが、小さな溜息だけで今は彼を何となく受け容れている。



 ただ、側にいていい。
 そんな程度だったが。


「馴れ合うのは御免だ」
 神田は素っ気なく言った。そんな神田の言葉にアレンは軽く笑った。最初の頃の刺々しい雰囲気とは違う。それはもう解っていた。基本的に照れ屋なのだろうと思う。そんな風にしか言えないのだ、彼は。
「ここは綺麗ですね。わぁ、ツバメで一杯だ。何か凄いですね」
 アレンは空を見上げた。
「みんな、ここに棲んでいるんですか?」
「馬鹿だな。ここ以外、何処から来る」
「そうですよね。じゃあ、やっぱりここはいい所なんですね。ツバメの棲む家はいい家なんですって。家族が穏やかで、きちんと暮らしている所にツバメは巣を作るんだそうです」
「そうか?」
 神田もツバメ達を目で追った。
 少し納得できなかった。コムイを初め科学班や探索部隊の出入りで教団本部は常に不夜城となっている。不穏な研究が行われて、騒音が激しいし、機が熟せば、戦いの最前線にもなるだろう。そんな所を選んで巣作りするツバメ達の気が知れない。
 だが、本部を『ホーム』と呼ぶ者が多いように、ここは確かに居心地のいい所だ。戻ってくると『お帰り』と笑顔で呼ばれる場所は、神田にとってもここしかない。



(だが)



 神田は目を水平線に向けた。彼は彼らの中にいたくなかった。独りがよかった。本当に気が落ち着くのは、彼らに囲まれているより、こんな場所だった。
 何故かは解らない。人間が嫌いだから。最初はそう思っていた。誰も信用できない。結局、頼りになるのは自分一人だけだ。いつだってそうだった。
 だが、戦いの中で背中をいつの間にか預けている事に気がつく。顔を見ると、声を聴くとホッとする。ラビを、リナリーを。
 そして、誰よりもアレンを。
 それが出来る自分に驚く。



 でも、やはりここに来ると落ち着く。それはどうしようもない自分の中に潜んでいる心の化学作用だ。そんな淋しい部分があるのだ。そして、それが必要としている。こんな時間を。
 神田はアレンを見下ろした。
(お前の側が一番落ち着く。そう言えない俺でもお前はいいんだろうか。ただ、側で微笑んでいてくれるんだろうか)
 神田はその思いを飲み込んだ。時間がいるのだろう、まだ。余裕のない自分の中にアレンの居場所を作るには。
「笑うかも知れないけど」
 アレンは神田に笑いかけた。
「神田はツバメに似てますね、何となく」
「何処がだ?」
 神田は思いきり眉を顰めた。
「剣を揮う時。早くて舞いを舞うようで、ツバメみたいに綺麗なんです。最初見た時から、何となく鳥みたいな人だなと思ってました。何しろ僕に向かって、空から降ってきましたもんね」
「抜かせ」
 神田はそっぽを向く。
「だから、さっき驚いたんですよ? ツバメ達の中にいるから。やっぱり神田はそうなんじゃないかって、飛んでいってしまうんじゃないかって少し怖かった。
 神田はみんなに中にいないから、いつだってそうだから。ここじゃなくて何処かに行きたがってる気がして」
 神田は黙っていた。その顔に答はない。
 アレンもそれきり口を閉ざして、二人、ただ海と空の間にいた。風と鳥達だけが唄っている。



 やがて、ツバメが思い思いに散り始めた。餌を得て、巣に戻るか、より遠くの餌を求めて飛んでいくのだろう。
 アレンは立ち上がった。神田もどうかと目が一瞬問うたが、神田は動かなかった。
「ツバメ達が行きますよ」
 アレンは呟いた。
「神田、あなたは本当は何処に帰りたいんでしょうね」
 アレンは背を向ける。



 神田は動かない。風が彼の髪をさらうように吹き続けている。

エンド

神田は淋しい人なんだろうなぁと。
彼のイメージは私的には「鳥」です。

神田お題へ
 

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