「噛ませ犬」(クロスとデビッド)

 
――その時、確かに奴は笑っていた。

 標的がどんな奴なんて伯爵から警告は受けなかった。
 だって、いつもそんなもの必要なかったんだ。
 ボクらはノアで無敵で超人で、殺せない相手などいる筈なかったし、実際これまで例外はなかった。
 ボクらの攻撃をかわせる奴なんかいない。どう殺されたかすら気づかないで逝った奴だっているんじゃないか?
 だもんで、最近は死に難い所に弾ぶち込んで、少しづつ解体していくようにしてる。死ぬ のも楽しんでくれなきゃね。
 ボクらって優しいからさぁ。

 だけど、あいつには全然通用しなかった。
 自己紹介したのに、鼻で笑われたには覚えてる。前に立たれると影になるし、鶏の餌を踏んでるから退けと野良犬を追うように言われた事も。 
 ったく、元帥だからって何様だよ。ボクらが何人エクソシスト殺したか解ってんのか? ムカつくぜ。
 ボクらは銃口を奴に向けた。指先を吹っ飛ばしたら、ちょっとは礼儀正しくなるだろうって思ったんだ。
 爪を剥ぐのが拷問でよく使われるってのは有名な話だろ。手は神経の塊だもんな。これをやればどんなタフな男でも素直になる。
 奴が煙草を吸うのも、ケツを拭くのも全部これから左手って事になったら、さぞや溜飲が下がるだろう。

 
 普段、ボクらはホルスターなんかに拳銃は入れない。殺意が高すぎて、我慢できないから常にジャスデロとお互いに銃口を向け合ってる。ボクらは双子だし、ジャスデロだけはボクも殺す気になれないから、それで何とか引鉄を引くのを思いとどまれるんだよな。
 だから、それ以外に銃口を向けるって事は引鉄を引いたも同然なんだ。相手がボロ切れみたいに穴だらけになるか、かぼちゃみたいに脳みそぶちまけるか、そういう光景しかボクらは知らないし、見た事がない。
 これまでは。


 だが、その瞬間、世界は変転した。
 気がつくと、ボクは鶏の糞だらけの庭にデカイ手で押さえ込まれてた。ジャスデロといえば、遠くの庭石に頭から突っ込んでケツしか見えない。ボクのこめかみに突きつけられてるのは、ボク自身の銃だ。どうしてこうなったのか、ボクは全く理解できない。一体、何が起こったのかも。

「…………う…」
 息が出来ない。顎から喉を押さえられてる。奴の手を両手を掴んで引き離そうとしたがビクともしない。硬い。重い。鋼のようだ。鶏共が何もなかったようにボクのブーツや服をつつい
てやがる。チクショウ! こいつをぶっ殺した後で一羽残らず唐揚げにしてやるからな!

 
 奴はボクを見下ろしている。
 金色がかった翠色の瞳。悪魔のように冷静な狙撃手の瞳だ。獲物を捕まえて、どう弄り殺すか算段してる猫の瞳だ。燃え立ちそうな紅の髪だけが風に揺れている。
 あんだけの動きをして息も切らしてない。バケモノか、こいつ。
 ボクの腹は固くなっている。ボクは今までこういう目にあった事がない。免疫がない。これが恐怖って奴なのか?
 殺す事なら飽きる程やったが、殺される立場に立つなど想像もしたことがなかった。
 猫に捕まったカマキリの気持ちってのは、こんな気分なんだろうか。

「手前、ぶっ殺すならさっさとやりやがれ!
 でも、簡単には殺せねーからな! この程度で勝ったと思ってんじゃねーぞ、ど腐れエクソシスト!
 ボクの兄弟に血を見せた奴は、その100倍の血を流して死ぬんだよ!」

 とにかく、これよりもっと思いつく限りの悪態をついてやったが、奴は何の反応もなく、ボクを見下ろしているだけだった。癪に障るが、それは少しありがたかった。ボクの声は情けなくも、少し上ずっていたからだ。ノアがブルっちまうなんてありえんねぇ。ジャスデロにだって、こんなボクは知られたくねぇよ。
 でも、上には上が、遥かに上がいるんだ。チクショウ。信じられない。ボクが負けたなんて。

「死んじまえ、赤毛! どけよ! その汚ねぇ手を離せ!」

 ボクは叫び続けた。どうボクを料理するにしても、ボクは簡単に死なないし、殺せねぇ。人間なんかにノアを殺せる訳がねぇんだ。
 寝込みを襲ってやる。女とヤってる時に尻を撃ってやる。いつかはボクが勝つ。最後に笑う奴が勝者だ。
 
 けど、こいつはボクが殺せる。
 何故か、そう確信する。
 ノアをも殺せるエクソシスト。

 嘘だ。
 ボクらこそが真の神の使徒だ。選ばれた者なのだ。
 だけど、神の使徒を殺せるなら、そいつは神だって惨殺できるじゃないか。
 クロスの指が動く。ボクは竦み上がった。殺される。ボクは思わずギュッと目を閉じた。


「…似てるな」
 低い声が落ちてきた。
 奴は乱れたボクの黒髪を指で整えた。それがとても優しい感じがして、ボクは恐る恐る目を開ける。
「…だ、誰にだよ」

 奴は返事をしなかった。ただ指先でボクを触れ続けている。ボクの左の額から瞼の下を撫でる。幾度も幾度も。男らしい無骨な指だが、意外に細くて繊細な動きをする。その指使いが妙に優しくて、気持ちいい。奴はボクに恋でもしちまったのかと錯覚しそうになる。

 こう見えても、ボクは(黙ってれば)綺麗だとよく言われる。人間の時も、ノアの時も。
 永遠の若さを約束された肌は艶やかで張りがあって、傷やシミ一つない。滅多にないが、フォーマルな衣装を着た時は、貴族の子息と間違われる位 だ。男色家の変態野郎に何度カーテンの影に連れ込まれそうになった事か。

 でも、ボクはこの顔を誰にも触らせない。ジャスデロにもだ。双子だけど、ボクはナルシストじゃないからな。
 けど、綺麗とか強いとか褒められるのは嫌いじゃない。ノアは快楽に弱いんだ。精神的にも、肉体的にも。
 揃いも揃って、殺人マニアなのは、やっぱそれが一番お肌や心臓やアソコやらにピリピリ、クるからなんだ。イッちまいそうになるからなんだ。ボクらは永遠を約束されてるから、却って原始から続くものに拘るんじゃないかな。

 天国でだって、大昔、天使と堕天使が壮絶な殺し合いをやったんだ。神様ときたら、それを全然止めようとしなかったんだぜ。自分の子供達だっていうのにね。だから、エクソシストにどうこう責められる筋合いはないよ。神様が人類を滅ぼすってなら、それを助けるのが正しい事じゃないの? それを止めようなんて却って神に反逆してる事さ。
 だから、殺すのはこんなに気持ちがいい事なんだ。神の祝福って奴?


 なのに、クロスの指は快い。
 すっごい優しい。
 殺すより、何かいい。続けて欲しい。ずっとずっと。


 けど、それはあくまでボクがどっかの誰かに「似ている」せいだ。そいつの事を想ってるからなんだ。この血も涙もなさそうな男が。初対面 だって、この指使いで解るさ。
 ボクのこめかみがガンガンする程きつく銃口を押し当ててるってのに、それって凄く腹が立つ。
 何処のどいつだよ、ボクに似てる奴って。


「汚い指で触んじゃねーよ、ボケナス! 腐れ×××野郎!」
 奴の顔に唾を吐きかける。ボクの礼儀正しい拒絶の仕方に、奴は初めて真正面からボクを見た。
(全く…)
 奴の表情の変化はその程度だったと思う。やんちゃなガキだ。少し呆れただけで怒ったようには見えなかった。今、考えても。
 そして、笑った。笑ってたよ、奴は。
 クロスはいきなりボクの顔をきつく押さえつけた。片手にアーミーナイフを掲げている。あっと思った瞬間、ボクの左目半分が炸裂した。

「…………!!!!」

 斬られる瞬間てのは痛いなんて思わない。重い衝撃。全身の細胞が硬直して縮み上がる。ブルブル震える。
 その後、痛みが追いついてくる。刃物の冷たさも。傷の大きさも。
「いいいいい……!」
 本当に痛かったら言葉になんか出来ない。悲鳴も出てこない。
 けど、傷なんかすぐ塞がってしまう。クロスはそれが気に食わなかったんだろう。もう一度、一層深く突き立てられた。ボクの四肢が突っ張る。確かに頭蓋骨を刃が削っていく感触まで感じた。
 痛ェ。マジ痛ぇ! しかも傷が塞がらないようご丁寧に頬を掴んで傷口を広げやがった。

「ギャァァァァ!! やめろー!! 痛ェ! アアアアア!!
 何すんだーっ!?ギィィィィィ!! 痛っ!! 放せーっ! もうやめろ!!」

 ボクは暴れようとした。けど、下半身すらクロスの足でがっちり封じられて動けない。
「痛ェ!! 痛! やめー!! 死ぬ! ギャアァァー!!」

 みっともない位、ボクは悲鳴を上げた。傷が簡単に塞がってしまう体質をこんなに恨んだ事はない。傷の形がお気に召すまで、クロスは繰り返す。ボクは喚いた。叫んだ。何振りかまっ
ていられねぇ。痛いもんは痛いんだ。
 だけど、クロスは歯痒いくらいに落ち着いていた。楽しい工作でもやってるようだ。返り血浴びて、ぬ るぬるした手で、ボクの傷を弄る。皮膚を引っ張る。時々、出来栄えを見ては首を傾げている。

「…あいつみたいに綺麗にいかないな。…やっぱり一発で切らないとダメか?」

 誰だよ、あいつって。ああ、答えなんてもらえない。ボクはクロスのキャンパスでしかないんだ。似てる誰かを再現する為、別 の誰かと張り合ってる為のキャンパス。
 そして、相変わらず口を歪めて笑ってた。チクショウ、ボクを切り刻みながら嗤ってやがったんだ。熱湯に生きたウナギを投げ込んで、暴れ、悶え苦しんでるのに、ケラケラ笑いながら冷徹にフタを押さえつけてる女みたいにさ。
 誰にも触れさせた事のない、ニキビ一つないこの褐色の肌を、何度も何度も切り裂きながら奴は笑ってやがったんだ。

 ボクだって、殺すのが楽しいから笑う。どのノアだって。
 だけど、奴の顔はもっと怖かった。もっと何かボク達以上の闇の底の底から噴き出したような得体の知れない怖さが宿ってた。

 誰に似てるんだ、ボクは。
 どうしてここまでしなくちゃいけないいんだ。
 いや、もう只したいからしてるって思った方が楽だ。
 暴力は理由なんかない。単純で根源的で終わるまで続く。振るう方の気が済むまで。相手のダメージなんか関係ないんだ。だから、やり過ぎるって事が起きるんだろうな。

 でも、ノアにはやり過ぎてもどうって事はない。クロスはそれを知り抜いてる。だから、笑ってやがるんだ。相手の正体も知らないで、のこのこ近づいてしまった憐れな獲物に。

 何で伯爵はそれを教えてくれなかったんだろう。クロスがこういう奴って事。エクソシストとか、神父とか、何より聖職者なんてもんじゃねぇって事。

 それは多分、ボクらが噛ませ犬だからだ。江戸から遠ざける足止めをしたいだけなんだ。殺せはしないが、時間稼ぎさえ出来ればいいんだ。
冗談じゃねぇ。絶対ぶっ殺す! 俺達双子をナメられてたまるか!
 ああ、でも、チクショー。いまだに夢を見るんだ。忘れられねーんだ、このボクが。怖いものなんかない筈のこのボクが。


 一体、どれ位経ったんだろう。
 突然、ボクの体から重みが消えた。ボクは自由になった。けど、ボクは動けなかった。相変わらず無節操に鶏共がボクの周囲をつつき回ってたけど、それを追っ払う気力もない。肉体的にも精神的にも疲れきって、痛くて、ぐったりしてた。
 傷物になったんだと、ぼんやり思ってた。
 これって、犯されたのと同じだなって。

 クロスはのっそり立ち上がって、血だらけのナイフを縁側に突き立てると、また最初と同じポーズで煙草を吸い始めた。飲みさしのグラスから、琥珀色の酒を啜っている。
 ナイフが生々しい以外は、鶏がコッココッコ鳴くばかりで、何も起こってない平和な昼下がりのようだ。
 ボクは寝転がったまま、ギロリと奴を睨んだ。どうされたって奴にビビルなんて文字はボクの辞書にはない。

「…チクショー。絶対、手前をぶっ殺してやるからな!」
 奴はチラリとボクを見た。小さく溜息をつく。
「…まぁ、こんなとこか」

 ボクの中で何かがブチッと切れた。奴はボクの傷を見ただけで、相変わらず全然ボクを見ようとしない。どっかの誰か。どっかのそいつ。それ以外、何も興味はねぇんだ。関心なんかないんだ。
 ボクにこんな事しておいて!

 ボクはスックと立ち上がった。回復力が全く恨めしい。ノアって奴は。ボクはまだ地面 に顔を突っ込んだままのジャスデロを両手で引っ張りだした。ジャスデロはまだ目を回したままだ。情けねぇ。一体、何をどうすればノアにこんなダメージを与えられるんだ。

「手前!! 絶対また来るぞ! 絶対、手前をぶっ殺すぞ! 
 そして、手前の死体に座って、手前の大事な鶏どもを空揚げにしてランチしてやる! 絶対そうする! 忘れんな!!」

「…何だ、まだいたのか」
 心から意外そうに奴は言いやがった。何ちゅう傲慢。ボクは地団太を踏む。

「うるせー! 絶対、手前殺すからな! その時は手前の仮面毟り取って、恥かしい写 真一杯撮って、ボクよりデカイ傷つけてやっからな! 覚悟してろ!!」
「何度来ても同じだ」
 奴はあっさり答えて酒を啜った。
「ヒマなら相手してやる…そうだな、今度はそいつの顔で試してみるか」
 奴はナイフをビンと指で弾いた。ボクのこめかみに血管が浮き上がる。
「ジャスデロにそんな真似してみろ! ぶっ殺す! いいか、覚えてやがれ! ボクらは…」
「もう飽きた。帰れ」
 クロスはしっしと犬を追うように手を振る。


 
 チクショー。絶対殺す。ぶち殺す。
 あれから、寝ても覚めてもそればっかりだ。あいつの匂いも、血のぬめりも、この傷の絶対忘れない。憎らしい顔が目にちらつく。取り憑かれてる。狂うように、それしか考えられない。
 顔を押さえつけた手の感触。俺を見ていた翠の瞳。煙草の香り。酒の匂い。鳥臭い草履や草いきれ。着物の模様。真紅の髪。刃の冷たさ。悲鳴。悲鳴。悲鳴。
 ああ、忘れるもんか。狂おしい。苦しい。追いかけたい。あの偉そうな声をまた耳元で聞きたい。
 早く会いたい。
 会いたい。
 会いたい。
 
 誰にも渡さない。ティキの野郎にも。出来れば、ジャスデロにも。
 だから、誰にも殺されるな。
 ボクはあんたの犬。

エンド

デビッドはええのぉ。かわいいのぉ。
ジャスデビって絶対クロスのファンよね〜v 世界一のクロスファンはアレンだけどーv
と、Mさんと大盛り上がりした時、速攻で描いた一本。
んで、Mさんが「デビッドってアレンにそっくり」と言ったので、そういうネタ。

ジャスデビが出たばかりで、まだあの傷が化粧だとか、銃の使い方とか全然知らなかったので、かなり間違ってますが、それでも、クロスならやりかねないと思うので、書き直しません。クロデビはまた書きたいなv

ディグレ部屋へ 
                                          

 

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