トマからのお祝い

 

 ガタン…と、音を立ててゴンドラは船着き場に着いた。
「神田殿?」
 探索部隊のトマから声を掛けられて、船縁に背を預けていた少年は顔を上げた。いや、むしろ青年といった方がいいかも知れない。精悍で美しい横顔。しなやかな体つき。西洋人には決して見られない長い黒髪と黒曜石の瞳、きめ細やかな肌はそれだけで神秘的な香りがする。
 だが、未だ少年と青年の境ギリギリの危うさもその顔には漂っていた。彼が物憂げにしている時は、特にその匂いがきつくなる。
 神田は傍らから離した事のない六幻を掴んで立ち上がると、船着き場に降り立った。ほんの少しだけ体がふらつく。
「大丈夫ですか?」
 彼は身内であろうと心配されるのを好まない。トマの言葉は無視して、本部内に続く石の階段を見上げる。果 ても見えない長さに思わず溜息が漏れた。
 アクマとの戦いで受けた傷がジクジクと痛んだ。ベッドで無為な時間を過ごすのが嫌で、傷が完全に塞がらないまま病院を後にしてきた。
 神田と同じくらい頑固な医者から『せめてこれだけは』と化膿止めと抗生物質の注射を打たれたが、医者の危惧通 り完全なフォローには至らなかったらしい。頭も少し熱っぽかった。
 神田にとって、こんな事は常態だから余り気にも止めなかったが、トマから指摘されるとは、他人には余程加減が悪いように見えるのだろう。長い階段を上るのが気が重いのもそのせいらしい。再生力の高い体も万能ではないのだ。それを改めて突きつけられるのが疎ましかった。
「……チッ」
 思わず突いて出た舌打ちを聞き咎めたのか、トマが彼をじっと見ている。視線が煩わしくて、つい顔を向けた。
「……何だ?」
「差し出がましいようですが、一言申し上げておきたくて」
「………ああ?」
「おめでとうございます」
 あからさまな舌打ちとか怪我について、指摘されると身構えていたので、神田は一瞬面 食らった。トマの言葉の意味が解らない。
「何の事だ?」
「今日は六月六日でしたね。恐れながら神田殿の誕生日だと記憶しておりましたので」
「……ああ」
 任務で頭が一杯ですっかり忘れていた。興味のある事以外、関心がないのは神田の悪い癖だ。
 だが、だからどうしたという気もした。
 神田はイベント事が嫌いだったし、それに託けて騒ぎたがる西洋人の性癖はもっと大嫌いだった。江戸期の日本人は数え年で、元旦に全員一斉に年を取るので、個人的に誕生日を祝う風習がない。だから、未だに誕生日をやたらと気にする彼らに違和感があった。
 だから、教団に入ってから最初の誕生日を盛大に祝われて以来、徹底的に誕生日を避け通 した。任務に託けて戻らない事ばかりで、ここ数年思い出しもしなかったといっていい。
 ラビに
『ユウの誕生日っていつさ?』
 と尋ねられ、思い出すのに苦労した位だ。
「19歳におなりになったのですな」
 トマの口調は穏やかだった。
「……まぁな。それだけの事だ。日付が変わってお互い生き延びた。それ位の事じゃないか? 本当にめでたい事なら」
 ラビなら
『これだからユウは〜』
 とか言うだろうし、アレンやリナリーは悲しい顔をしただろう。
 だが、トマは顔の包帯のせいで表情が解らなかったが、声の響きに非難は感じられなかった。
「我々の帰還達成率からすれば、それで充分と言えますね。
 でも、神田殿のお気持ちはともかく、あなたを思う方々にすれば特別な日だと私は思います。たまにはその方々の気持ちも汲み取ってあげて下さい」
 神田は肩をすくめた。アレンやラビ達の顔が目に浮かぶ。確かに以前よりここに戻ってきたいと思えるようになった。彼らが自分を大切だと思ってくれるように、自分も同じだと思えるようになったのだろうか。
 エクソシストを実験体と同じ様な目で見ていた科学者達ばかりだった頃に比べれば、教団も変わった。勝てばいい、それが正義だと考えていた自分も結局は全てに投げやりだったから、彼らに同調していたのだと気づいた。ただ復讐心に狩られた子供に過ぎなかったのだ。
 そう思えるようになったのは、自分が変わったからだろうか。昔は変わらない事はいい事だと思っていた。美術品のように何百年経っても変わらぬ ものは人の心を打つのだと、音楽や舞踊など形を変えず、後世に伝えられていくものは美しいからだと教わった。だから、利権や目先の事で踊らされる人間は醜く、仏や自然は尊いのだと信じた。
 だが、それだけはない。
 変わらないものは美しいが、変わることは素晴らしいのだと、思うようになった。
 それはアレン達が気づかせてくれたのだ。
 その思いは彼が忘れていた暖かさだった。
 ただ、神田の性格として、それを素直に表に出すのは憚られた。照れ臭かったのかも知れない。神田は言葉に困ると、面 倒臭くなって自分の心を否定するような言動を取ってしまう。
「…かったりぃんだよ、そういうの」
 トマはそれを知っていた。優しく笑う。
「私の言葉が煩わしければ、仕事上のつき合いからだという事にでもして下さい」
「ああ…これからもよろしく、か」
「はい」
 神田は頷いた。それなら気兼ねなく受け容れられる。
 一癖も二癖もあるエクソシスト達とつき合うには、トマのこんな如才なさは貴重なのだろう。若いが、物腰が柔らかく有能で、むしろ執事に向いているトマはどんな相手でも波風を起こさない。だから、コムイはエクソシストの新人に大抵、彼をつける。神田ですらトマの意見に異を唱える事は少ないし、彼の醸し出す静かな雰囲気が快い。
「なら、まぁいい」
 神田は一つ頷いて、トマの祝いを受け容れた。
 船着き場を叩く波の音が静かだった。

 そして、神田は……。
 


教団内階段を昇った。 1へ

ダルいので、そこで夜明かしした。  2へ

 

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