「かわいいよなあ」

 

 誰もが感じた疑問を口にしたのは、幼いアルフォンスだった。
「ねぇ、お母さん。何でうちに鎧があるの?」
 エドとアルはいつものように、父の書斎に入り込んで本を読み耽っていた。錬金術の本はパズルのように複雑で謎めいている。挿し絵や奇妙な錬成陣もたくさん載っていた。それを解き明かし、ある種の『力』を加えると、色んなものが実際に現れる。まるで魔術みたいだ。二人はすっかりそれに魅了されていた。
 母はゆっくりと部屋を掃除していた。父がいなくなってかなりになるが、いつ戻るかと尋ねると曖昧に笑うばかりだった。だが、母はこの書斎の物を大事、出ていったその日のままにしている。まるで父がいつ帰ってきてもいいように。
 部屋は様々なフラスコやビーカーなどの実験器具、古書や薬品であふれていた。壁も父が没頭していた研究資料で埋め尽くされている。埃と薬品、古いインクの匂い。日光による薬品の変質を嫌って、部屋はいつも少し薄暗く、差し込む日差しは埃を光の帯となって金色に浮かび上がらせている。いかにも錬金術師らしいその部屋は、謎と驚きに満ちていた。土臭い田舎の家とは全く異質な雰囲気が漂っている。
 錬金術は科学であり『等価交換』という冷厳な妥協のない法則に基づいて成立している。だが、兄弟を最初に引きつけたのは、その埃っぽい暗がりに潜んでいる、得体の知れない『何か』だった。 だが、二体の鎧だけが科学者の部屋に似つかわしくなかった。お城か金持ちの邸宅の客間こそ相応しい。
「あら、変かしら?」
 母は首を傾げた。ワックスで鎧を丁寧に磨き始める。
「うん。どこの家にもこんなのないよ。余り錬金術と関係ないと思うし」
 アルフォンスはまだ舌足らずの声で、脇の本の上にある頭蓋骨の標本と見比べながら答えた。錬金術は科学だけではなく、医学や物理、森羅万象を研究する学問だ。人体模型ならともかく、鎧や騎士などファンタジーとは縁遠い。しかも二体もある。槍を捧げ持つ無骨な鎧と、幾らかほっそりとした鎧。模型にしては本格的だ。
「そうね。でも、これは思い出の品なの」
 母はほんのり頬を染めた。
「思い出?」
 アルフォンスは母を見上げる。
「これはね、お父さんに初めて会った時、着てらした鎧なの。大きくて立派で、何て素敵な殿方だろうと思ったわ。」
「えっ、これお父さんのなの?」
 父が出ていった時、アルフォンスは幼すぎ、殆ど父の記憶がない。思わず鎧を見上げた。
「すっごい大きな人だったんだねぇ」
「ええ、その隣が母さんのなの。これを着て、二人でよく散歩したり、海辺を走ったり、馬に乗ったりしたものだわ」
「わーっ、凄い凄い! そうか、お父さんて大きい人だったんだー。あ、お母さん、僕も拭かせて?」
「そうね、一緒に磨こうか?」


(…………ちょっと、待て!!)
 にこやかに鎧を磨いている二人の会話を、じっと聞いていたエドの顔には縦線が入っていた。
(あいつは確かに背が高かった気がするが……っつーか、素敵な殿方とか思う以前の問題だろーっ!? 話してもないのに……ええっ、まさか鎧に一目惚れかっ?!
 つーか、中身と外見どっちに惚れたんだよ、母さん!?
 あいつは錬金術師なんだろ? 何で、そんなの着てる状況下にいるんだよ。軍人だってそんな奴いねぇよ。あいつの正体は本当は何なんだ?
 母さんも何で鎧なんて着てたんだ? それで本当に花摘んだり、二人で浜辺を追いかけっこしたりしたんかーっ!?
 母さんの青春って、どんなんだったんだ? 俺達はそんな二人の思い出の産物か?!
 うわーっ、母さん!! 本当は嘘だ。作り話だと言ってくれ!!)
 エドは真実を聞きたかった。しかし
『母さんは嘘なんかつかないわ』
 と、にっこり笑われたらどうしよう。一生、立ち直れない。真実を見る勇気が、まだエドには幼すぎてなかった。
(き、聞けねぇ。そうだ、もう少しして、適当な時期にまたさりげなく尋ねよう。ピナコばっちゃんもあいつの事は知ってるみたいだし)
 しかし、いざとなると父の事を口にするのは、むしゃくしゃした気分に押しつぶされてしまった。母は父の話をすると、懐かしそうに、でもほんの少し悲しそうな顔をする。エドはその顔を見たくなかった。せめてアルのように邪気なく聞ければいいのに、どうしてもそんな真似はできなかった。
 その後まもなく、母は倒れ、永遠にその真相を聞ける機会はなくなった。

 

 

「わぁ、兄さん。広いねぇ、ここの湖は。まるで海みたいだ」
 アルは目を輝かせた。湖からの涼しい風が頬をなぶる。アルの兜の飾りが風になびき、エドの赤いコートをはためかせる。暑い日差しの中、旅を続けていただけに、並木道から抜けてきた風の心地よさと絶景は格別 だった。火照っていた額や喉元から汗が引いていく。
「そうだな、すげぇな」
 エドは快さに目を細めながらも、弟はこんな風を感じる事もないのだと少し切なくなる。どんな瞬間も感覚による気分を共有できない。僅かに身体を繋いだ時、そんな感じがする錯覚を覚えるくらいだ。
『僕はちゃんと昔の感覚を覚えてるし、いつでも思い出せるよ』
 アルはそう言うけれど、風に同じ風はない。この瞬間は今しかないのだ。一緒に旅を続けて、いつか元の身体に戻っても、決して同じ旅ではない。空間は共有しても、アルの思い出は印刷のように匂いも肌の記憶もない事が、それについて語り合う事が出来ない事が歯がゆかった。
「ねぇ、ちょっと波打ち際に行っていい?」
 アルはエドの想いを知らぬげに軽やかに斜面を駆け下りた。
「あー、兄さん、来て! 綺麗だねぇ、アイリス。これ少し摘んでって宿に飾っていい?もうそこでしょ?」
 湖の脇の湿地に黄色のアイリスが群生していた。長いフリンジの入った花弁をスカートのように垂らし、まるで舞踏会の王女のようだ。自然は本当に何て繊細で綺麗なものを作るんだろう。これが生物学的な生存競争の結果 だと言えば、それまでだが、やはり自然の創造力はどんな天才錬金術師もかなわない。アルは思わず手を伸ばしたが、体重がいかんせん重すぎた。ズブッと湿地に沈みかける。
「ワワッ!」
「アル!?」
 エドがパンと手を合わせた。一瞬のうち、アルの倒れる位置から水分が蒸発する。アルは乾いた地面 に尻餅をついた。
「バッカ! アル、大丈夫か?」
「う、うん。兄さん、ごめんね」
 慌ててエドの元へ戻ると、エドは溜息をついて湿地を元に戻す。
「体重が違うんだから、気をつけろよ」
「うん、本当にごめん。この身体に馴れたつもりで油断しちゃった。夢中になると、時々自分の身体の事、忘れちゃうんだ。おかしいよね、こんなにガチャガチャ言うのに、音が聞こえなくなっちゃうなんて」
「お前も俺に似て、夢中になると我を忘れて没頭するからな」
「うん、気をつけるよ……根が傷まないといいけどね」
 アルはすまなそうにアイリスの群生を見やった。エドは唇を噛み締めて、それを見やる。アルは本当に優しい。エドはただアルが無事でさえあればよかった。だが、アルは自分の不注意からの結果 に、他者にまで心を痛めている。
 エドは湿地に向かって歩き出した。地面を乾かしもしない事にアルは驚く。
「兄さん、危ないよ!そこの泥、深いから。それに靴も汚れるし!」
「泥なんて何だよ。いいんだ、俺は…………………軽いから」
 事実を蚊の鳴くような声で告げて、エドは湿地に足を下ろした。確かに見た目より地面 は水分を含み、重い革のブーツは草むらに沈んでいく。だが、何とかバランスを取り、エドはアイリスを両手一杯に摘むとアルの所に引き返した。
「ほら」
 ぶっきら棒に突き出す。
「あ………ありがと」
 アルは戸惑うように兄を見上げ、抱きしめるようにそれを受け取った。
「こういうの欲しかったら、俺に言え。いくらでも摘んできてやるから」
「う、うん………嬉しい。ホントに嬉しい」
 アルは俯いて、アイリスを見下ろしている。まるで少女のように照れているようだ。
(………かわいいよなぁ)
 胸がキュンとした。エドは我が弟ながら、しみじみとアルを眺める。鎧姿でも何と弟はかわいいんだろう。いくら見ても見飽きない。動きも厳めしさと、ちまちました子供っぽさが共存して可愛さを倍増している。この世で一番かわいい鎧があるとすれば、弟のこの鎧をおいて他にない。
 不意にアルは声をたてて笑った。エドは驚く。
「何だよ」
「うん、こんな時、きっと僕は泣いてるんだろうな」
「はぁ? 何で泣くんだよ?」
「ううん、いいんだ。何でもない。えへへ、僕って幸せだよね」
「え、何だって?」
 エドは首を捻った。時々、弟の言動が解らない。エドはただアルを慰めたかっただけなのに、泣くとか幸せとか大袈裟すぎる。兄として、普通 じゃないか?こんな事は。
「あ、ちょっと思い出しただけ。母さんが話してた事。父さんはよく母さんに花をあげたって」
「あー、そうだったな」
 エドは頷きながら、同時にそれにまつわる不快な思考も思い出していた。波打ち際走って、花摘んで、鎧姿の弟にボーッとなるなど、母の話と全く内容が一緒ではないか。
 しかも、この鎧は(真実なら)あいつの着用物だ。あいつのだ。あいつの汗が染み込んでたり、あいつの垢がついてたり、あいつの肌が鎧の内部を擦ったり、股ぐらがこの股間と触れ合ったりしていたのだ。
 畜生、おぞましいったらありゃしない。いくらあの時、手近に人型がこれしかなかったとはいえ、何て事をしてしまったのか。失敗なんて微塵も考えなかった軽率さを、自分の罪を後悔してもし切れない。
「アル、手入れ用のオイルあったよな」
「うん。こないだ、ホークアイ中尉にもらった奴。ラベンダーの香りがして、植物性100%だから口に入れても大丈夫って。でも……」
「宿に着いたら、俺が隅々まで磨いてやる!」
「だって、それ兄さん、大佐からのイヤミだとか言って使うなって言ったじゃない。僕の手のイボの事で…」
「いいんだ! それとこれとは別だ!」
「もう兄さん、急にどうしたんだよ」
 アルは首を傾げた。兄は時々、自分だけの思考で勝手に激昂したり、人を振り回す。しかもその理由は大抵教えてくれない。
「ねえ、兄さんてば」
「うるさい、アル! いいか、お前は何が何でも絶対絶対元の身体に戻してやる! とにかく戻す! 絶対戻す! そして、その鎧を一番深い海に沈めてやる!!」
 アルは驚いた。まさか、兄はそんなにこの姿がおぞましいのだろうか。鎧の彼がイヤなのだろうか。
「兄さん、そんなに…そんなに僕が嫌いなの?」
「はぁ?」
 エドは怒った顔で振り向いた。
「だって、鎧を海に沈めるなんて、そんな……」
「バカ! 好きに決まってるだろう! 俺がどんなにお前の事……いや、あのな、お前が鎧でかわいいのと、その鎧の中にお前がいるのがたまらないとは全く別 だ。気にすんな」
「気にするなって、気になるよ。だって………」
「もう、違うって。…………畜生、あいつのせいだ」
 エドはイライラしたように頭を掻いた。
「あいつ?」
「いいんだよ、ごめん、アル。本当にお前は関係ないんだ。ごめん、こんな事しか言えねぇや。
 俺、本当に本当にお前の事好きだ。駄目だな、俺。何でも口走ってお前、心配させて」
「兄さん…」
 エドは真っ赤になった。
「もう昼間っから何度も言わせんな。本当に好きだからな!………頼む、一生そばから離れんなよ」
「離れないよ。兄さんがイヤだと言わない限りは」
「言わないよ」
 エドはようやく笑った。感情を抑えられないのが、自分の欠点だとつくづく思う。だが、自分やアル、身内の事となると感情が飛び跳ねてどうにもならない。
(俺の世界は狭いんだなぁ)
 エドは思った。幼い頃から錬金術に明け暮れ、友人も殆ど作らず、いかに人間関係が希薄か考えてもみなかった。旅暮らしで仕方がないとはいえ、出会いがあっても、人々は彼らの人生を通 り過ぎて行くだけだ。
 ちょうど列車に乗っているのに似ている。色んな人が乗り降りし、同じ客車で喋ったりするけれど、みんな目的地に着けば降りていく。また別 の駅で出会うかも知れないが、エドと一緒に座り続けているのはアルだけだ。二人だけその列車から降りない。目的地の未だに曖昧な白紙の切符を握りしめたまま。
  賢者の石を探す為、世間に出てからも、軍部以外に知り合いは余り広がらず、その中だけで全世界が回っている。
 その中心にいるのは常にアルだ。アルだけしかいない。
 それに満たされて、親友が欲しいと思った事もない。アルが弟で親友で恋人だ。生まれた時からずっとそうだった。これからも多分そうだろう。それ以上の相手が現れるなど考えられない。
 同じ客車に乗り合わせても、見る風景は角度によって違う。向かい合わせでも二人は違うものを見、別 の思い出を作るだろう。その四角に切り取られた風景。小さな旅客席にたった二人。それがエドの全世界だ。
(本当に狭いんだ)
 エドはふとアルの側に寄った。躊躇いがちに手を伸ばす。アルは驚いたように顔を向けた。
「珍しいね、兄さんからなんて」
「いいじゃん、たまには」
「うん」
 アルは嬉しそうにエドの手を握り返した。そのまま手を繋いで歩き出す。
(いいんだ、狭くても)
 エドは思う。
 アイリスが風に揺れて甘く香った。

エンド

 

解りやすいと思いますが、最初、4コマで考えたネタでした。
それをウェブ拍手用のSSに切り替えようと思ったら、長くなって収集つかず。
ところどころ、ギャグに戻そうとした涙ぐましい形跡が伺えます。
アニメエドは繊細過ぎで、原作エドは無神経。それぞれについアルを傷つけてしまっては、自己嫌悪に陥ったり、必死に謝ったりしてるんでしょう。
何となく「イボ」ネタが続いてます(^^; アホ。

アルエドお題へ  鋼トップへ

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット