「酒の味が混ざるだろうが」
「じゃ、せめて台所に持っていって下さい! 転びますから、それだけでも助かります!」


 クロスの側には見た事もない異人がいた。
 まだ若く、ほっそりとしなやかで春の若木のようだ。正太よりずっと年上だが、青年という感じでもない。綺麗で品のいい顔なのだが、左目に不自然な程大きな傷があった。しかも髪は老人のように真っ白だ。クロスのような深い深紅も珍しいが、一筋の黒もない白髪の著しい対比が却って鮮やかに写 った。英語でまくし立てているので何を怒っているか解らないが、瓶を片づけたり、服を畳んでいる所を見ると、日頃自分が言ってる文句と変わらないのだろう。そう思うと好感と嫉妬がちろちろと胸をよぎった。
 しかし、何者だろう。世話役もいないし、こんな所まで異人が独りで来たのだろうか。

「相変わらずうるさい奴だ」
「相変わらずなのは師匠の方でしょ!? 全く進歩ないんだから。僕がいない時、どうしてたんですか、もう!」
「別に不自由した事はない。俺に尽くしたがる奴は多いからな」
「へ〜〜〜〜え、そうですか」

 少年の周囲の気温が2,3度下がったような気がした。しかし、クロスは気にも留めない。
「ほら、あいつもそうだ」

 クロスは正太を顎でしゃくった。少年は顔を上げて彼を見る。その意外な程のかわいらしさに、正太は驚いた。心臓がドキンとする。

(あ、あれ、女かな?)

 神父は生涯独身である。商館の異人とも縁がない。だから、正太は異人の女性など見た事はなかった。
 が、少年は明らかに女顔だ。目は大きく、肌は白く澄んで、顔立ちが優しい。異人は彫りが深く、鼻が高くて長いと思っていたから、少年の顔は意外だった。
 少年はちょっといぶかしげな顔をする。膝小僧が傷だらけ、粗末な着物にそりっ鼻の、顔の真っ赤なチビ。少年にはそう写 っただろう。正太は急に恥ずかしくなった。自分がいなせな若者で、粋な着物を着ていたらどんなにいいだろう。正太は首筋まで真っ赤になる。それを見て、初めて少年が微笑んだ。花がほころんだような笑顔だった。正太は慌てて、襟元に首を縮める。


「正太、めざし持ってきたか?」
 クロスは畳に肘をついたまま尋ねた。クロス相手なら正太も気が楽だ。
「持ってきた。漬け物も」
「なら、いい」
 クロスはゴロンと背を向ける。
「神父様はまた! 朝飯取らないとダメさぁ! みそ汁だけでも飲め!」
 正太は怒鳴ると納戸に向かった。少年がついと正太の側に歩み寄る。正太は目をまじまじ見開いたまま少年を見上げた。

「君が今まで師匠の世話をしてくれたの? どうもありがとう。僕はアレンて言うんだ。どうぞよろしく」

 思わぬ流暢な日本語に正太はびっくりした。片言の日本語に馴れているので、彼らの自然な響きが却って不釣り合いな気がする。
「でも、今日からいいよ。僕がするから。今までどうもありがとう」
 アレンは籠に手を伸ばす。正太は慌てて籠を抱きしめた。
「ダメだ! これは俺の仕事だ! 飯も掃除も! あんたはあんたの仕事をするさ! これは渡さねぇ!」
「でもね」
 アレンは小首を傾げた。その声は優しかったが、目がほんの少しだけ笑っていない。正太は一層キツク籠を抱きしめた。

「アレン」
 クロスの背中が言った。
「正太が正しい。お前に和食が作れるか。正太のみそ汁は絶品だ。お前も飲むといい」
「……………」
「……………」


 アレンは少し不服そうにクロスを見る。正太はにんまりした。俺のみそ汁が絶品。今までクロスに誉めてもらった事なんか一度もないのに。ちゃんと解ってくれていたのだ。正太は得意満面 で納戸に駆け込んだ。

 アレンはその背中を見て溜息をつく。
「相変わらず、人を使うのうまいですよね、師匠って…。僕も何度も引っかかりましたから」
「人にやる気を起こさせて何が悪い。それに正太のみそ汁は本当の事だ」
「ええ、今度あの子に習いますよ。全く勝手なんだから、師匠って。
 じゃ、僕は何をすればいいんですか?」
「何が勝手だ。いつも家事をさせられて怒っていた癖に。それを喜んで代わってくれる奴が現れたんだ。文句を言われる筋合いはない」
「そりゃそうですけどね! もう…ちっとも解ってくれないんだから。
 ところでここで何を待ってるんです? アニタさんの…船ですか?」
「……………」

 クロスは返事をしない。問いを重ねるのも虚しくてアレンは溜息をまたついた。


「仕事が欲しいのか? じゃ、こっちに来い」
 クロスは自分の脇をトントンと指で叩いた。アレンは側まで行ってクロスを見下ろす。
「朝から変な事をする気じゃないでしょうね。あの子がいるんですよ?」
「昨晩、あんなにしてやったのにまだ足りないのか。お前も大概淫乱だな」
「なっ、何言ってるんですか! 師匠は信用できないからっ」
「いいから座れ」


 アレンは渋々腰を下ろした。膝小僧を立てているので、ちゃんと膝を揃えろとクロスの目が要求する。アレンはいぶかしげにきちんと背筋を伸ばした。
「はい、師匠。何ですか?」
 いきなりクロスはアレンの膝の上に頭を載せた。アレンは仰天する。
「し、師匠!?」
「膝枕という。日本じゃ普通の習慣だ。そう大声を出すな。耳に響く」
「響くって、いきなり何ですか!」
「仕事が欲しいんだろう。そこの煙草入れに耳掻きが入っている。それで久しぶりに耳掃除でもしてもらおうか」
「もう……いつも強引なんだから」


 アレンはビクとも動かない赤毛の頭を当惑したまま見下ろした。赤毛の猫が丸まって寝ているようだ。全くこの人にはかなわないと思う。エクソシストになって、少しは距離も縮まったかと思ったのにまるで変わらない。それはそれで何となくホッとした。この距離感が何となく愛おしかった。
 後数日でアニタやラビ達が長崎に到着する。彼らの安否が気になるが、この日々がもう少し続いて欲しいとも思う。
 アレンは縁側から外を見つめた。抜けるように青い空。小春日和のほんわりとした空気が漂ってくる。木々の隙間から蒼い海が見えた。
「じゃ、しますから。動かないで下さいね」
 クロスは返事をしない。完全に自分の膝に身を預けている。それが嬉しかった。

(あれ?)
 正太は納戸から縁側の二人をチラリと覗いた。アレンがクロスの横顔を覗き込むように耳掻きを使っている。アレンの口元が優しく微笑んでいる。正太は少し胸が妬けるのを感じた。あんな風に耳掃除をするって事はつまりそういう事なのだ。
(やっぱ、女の子なんだ。チェッ、夫婦なのか…ズルイや、神父様ばっか)

 鶏が鳴いている。日がゆらゆらと揺れている。
 遠くで汽笛の音が一つした。


                                         エンド


「クロス=マリアン復活祭」参加作品
第74夜直後にめりのさんとのメールネタ。その日にすぐ書き上げたので、75夜で設定が違う事が判明したが後の祭り(笑)
でも、書いてる間は楽しかったv
ネットに繋げなくて、参加はめりのさんにお願いして投稿してもらいました。
当然ですが、めりのさんに捧げます。本当にありがとう!!

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