猫 柳

 

 小さい頃から猫柳が好きだった。
  リゼンブールの冬は寒いけれど、たまにしか雪は積もらない。でも、冬はやっぱり寒くて、あったかいベッドから出るのも、着替えるのも、学校に行くのも億劫になる。鎧になった今じゃちょっと贅沢な悩みだったなと思うよ。
 兄さんも寒いと、暖炉から一歩も動かなくなってしまうので、二人していつも春を待ち焦がれていた。
 早咲きの菜の花、ふきのとう、梅、沈丁花。
 春を告げる花は色々あるけれど、何故か猫柳を見ると、ホントにもうすぐ春が来るなって思う。
  固い茶色の殻を脱いで、銀色のこねずみみたいに柔らかでツヤツヤした毛に覆われた花心が顔を出す。その毛の柔らかさ、しなやかさ、摘んで手のひらに乗せた感じは本当にちっちゃくて、可愛くて、植物なんて思えない。ホントの銀色の仔猫のしっぽみたいだ。いくら撫でても飽きない。
 でも、見た目は地味だから、母さんもわざわざ家に飾る事はなかったし、僕らも川べりで摘んで遊ぶだけだった。それでも、猫柳は僕にとって、特別 な花だ。
  今、ぼんやりとこんな事を思い出したのは、昔みたいに川岸に座って、猫柳を見かけたせいだろう。
  やっぱり菜の花みたいに華やかじゃないけど、銀色の毛はつやつや春の日に輝いて綺麗だ。萌え出た若葉も透き通 って笑っているように見える。
  また摘んで遊んでみたいけど、もう僕の手は感触がないから、太い指先で転がす事しかできない。柔らかい毛の手触りも、手のひらをコロコロ転がす微かなくすぐったさも感じられない。それが解っているから、思い出すだけで我慢する。 でも、猫柳を見て、思い出した追憶の中で、あの手触りは消えていない。優しく、柔らかく鮮明に思い出せる。
 鎧になって、何も感じられなくなって、色んなものを失っていくんだと僕は最初、怖かった。 だけど、思った程、自分の身体は意識せずに様々な感覚を覚えていて、忘れなくて、思い出すだけで、今みたいにあふれんばかりに濃厚に実感できる事だってある。
  その瞬間、今という時間を僕は体感できないのだけど、それはとても淋しいけれど、僕は過去の僕を通 して、10歳のアルフォンス=エルリックを通して、今に触れる事が出来る。 僕は今僕の隣で眠っている兄さんの体温も、この日差しのあたたかさも解らないけれど、遠い記憶がそれを補ってくれる。
  4年、この鎧で過ごしてきた。確かに僕は魂だけの存在だ。当たり前の人間の知覚の大半が欠けている。でも、視覚も聴覚も記憶も、僕が意識しなくても、魂だけのからっぽの鎧の中を、何とか埋めようと総動員になって、僕を生かそう、生きてる実感を与えようと頑張ってる気がする。僕自身努力して、時にもう無理だ、駄 目だと内心思いながら、何とかこの鎧の身体と折り合ってこようとした。これがその努力賞みたいなものかな。
  兄さんは本当に僕の身体の事を心配してくれるけど、余り気にしないでほしいんだ。罪悪感に落ち込まないで欲しいんだ。僕は僕で何とかやってるよ。
  スカーが言う程、僕は哀れな身体じゃないし、48に言われて、却って僕は僕自身を振り返る事ができたしね。
  僕の身体はからっぽだけど『生きて』いる。ちゃんと『成長』してる。手足がもげても、胴体の半分を失っても、血が出なくても『生きて』いるんだ。4年前の僕と、今の僕は明らかに違うもの。
 それは人間の定義する生命とは違うだろうし、神様の創った流れの外にいる生命なのかも知れないけれど、どんな形で生まれようと、生命は生命なんだ。
 精一杯、この世で足掻く為に、悲しんだり、喜んだり、悩んだりしてる。僕は日々を実感してる。一度失ったからこそ、少しでも『感じる』事が何よりも愛しい。だから、僕は毎日が楽しくて、充実してる。ここに存在してるのが本当に嬉しい。 兄さんがこの世に引き戻してくれた事、僕を救ってくれた事を心から感謝してる。恨んだりなんかしてないよ。
  こうやって、僕に凭れて昼寝している兄さんの髪を梳いているだけで、満ち足りて何もいらないんだもの。
  兄さんの髪は日を浴びて、菜の花より明るく光っている。
(…ああ、そうか。何で僕が猫柳を好きか解った)
  猫柳の毛並みは兄さんの髪の感触にそっくりなんだ。かわいくて、優しくて、すべすべで、柔らかい猫っ毛で。そして、ホントにちっちゃくて。
 花瓶にさしておくと、いつの間にかびっしり根っこが生えてきて、とってもしぶとい所まで、兄さんにそっくりなんだ。
 そうだね、僕はちっちゃい頃から、兄さんに触るのが、そばにいるのがホントにホントに好きだったんだ。
(そろそろ、起こさないと兄さん、怒るかな?)
  僕は兄さんの寝顔を見下ろした。でも、たまにはいいよね。こんなに気持ちよく寝てる顔は久しぶりだもの。宿に着いたら、やっぱり僕だって早く二人っきりになりたいものね。
 僕は心から幸せそうに溜息をついた。
 今日は本当にいい天気だ。
 僕達が迎えた四年目の春。


エンド

ウェブ拍手用に書いた話。
「うた」と対になっています。

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