「お昼寝」
人間の生理として当然なんだろうが、どうして昼飯喰った後は眠くなるのだろうか。
朝飯だと目が冴えるし、夕食はどうせいずれ眠るにしても、すぐにスコーンと眠くなったりはしない。
当然、それは軍部の面々も同じだった。大きなあくびをこらえつつ、机に向かっている。
だが、時は春。ぼんわりと程よいぬくもり。壁を隔てた廊下を行き交う人のざわめきも適度に快いBGMとなって眠気を誘う。まるでボンドを注入されたように、瞼がくっついて離れない。
(あ〜、今、机がベッドだったら、俺は絶対寝る…いや、枕があるだけで寝る。誰か、俺にもう死んでいいと言ってくれ)
うつらうつらしていたハボックは隣に座っていたフュリーに脇腹をつつかれて、モゲモゲと生返事しながら目を開けた。
「あー、寝てません。俺、起きてます!」
「ハボックさん、違いますよ、あれ」
「………ハガ?」
ハボックはしょぼしょぼする目をしばたたいて、フュリーの鉛筆が示す方角を見た。
大きな窓を背にロイが腕組みして完全に轟沈している。腕組みして、大口開けて、全くの無防備だ。珍しい程、完全に熟睡している。そよ風も快く、春の日差しが一杯の南向きの特等席では爆睡してしまうのも無理ないだろう。
「あ〜、よかった。じゃ、俺もちょっと…」
「ちょっとじゃないですよ。忘れたんですか?」
フュリーは自分の頭を指さした。あからさまに似合わないアフロヘアー。それはロイとここに今いないホークアイ中尉以外全員だ。ブレダが意外に似合っている以外、救いようのないヘアースタイル。現在、東部司令部の男の大半が強制的にこの髪形になっている。焦げ臭いのが大変悲しい。
「エドワードさんが大佐の寝言聞いて、大笑いしたせいで僕達、大佐にこんな頭にされたんですよ。今また大佐の変な寝言を聞いた暁には、僕達どんな目に合うか」
「う………」
ハボックは自分のふわふわに膨張した頭を撫でた。今度丸焦げにされたら、スキンヘッドになる。これでは新しい彼女も作れない。自分の意志以外で『ハゲ』になるのは、人間最大の屈辱だ。
「だ、だけど、そりゃ不可抗力ってもんだろう」
「あの身勝手な大佐がそう思ってくれればな」
ブレダが重々しく腕組みした。
「そうですね。いつも寝言を言うとは限りませんし」
ファルマンも淡々と頷いた。
「大体、仕事中に居眠りこく奴の方が悪いんだ」
「このところ、夜勤続きでしたからね」
「そうだろう?寝た子はほっとけよ」
ハボックは大あくびをし、頭上で腕を組んで目を瞑った。上司が眠っているのだ。こんなありがたいチャンスは滅多にない。
「そうだな。ま、言ったって、何も聴かなかった事にすればいいんだ」
「それはいい考えです」
触らぬ神に祟りなし。意見がまとまりかけたが、こういう時、気付かずに混ぜっ返してしまうのがフュリー曹長である。
「でも、ちょっとマジで聞いてみたいですね、大佐の寝言なんて。一体、エドワード君は何を聞いたんでしょう?」
「そうだな。肝心な台詞は聞いてないもんな」
「それは私も興味あります」
ハボックを除く、三人は大佐をじっと見つめた。毎日手荒くこき使われている坊ちゃん顔の上司を酒の肴にできるなんて夢のようだ。
「あの時は訳も分からずに黒こげにされたからな。その台詞くらい知りてぇよ」
「全くです。でも、世の中には知らなければよかったという事もあります。私も命と髪の毛は惜しいですから」
「…………う」
全員が引きつった。
エドワードはあの後、大佐にこっぴどく仕返しされたらしく、もう一ヶ月近く司令部に近寄らない。スコーンや茶器が床に散乱し、いつもの豆台風の怒鳴り声が響き渡り、司令室の窓やら机やらハデに壊れていたから、余程恐ろしいナニかがあったのだろう。大佐が妙にすっきりしていた顔をしていたのも気になる。
だが、国家錬金術師同士の喧嘩は危なくて、とても一般人は近寄れない。何も見なかった事にしているのが一番だ。
「やっぱり大事になる前に起こしましょうよ」
「そうですね。何事も予防が一番です」
「んだな、おい、出番だ」
ブレダが無視を決め込んでいるハボックの肩をポンと叩いた。
「何で、俺〜〜〜〜〜〜っ?!」
「この中で一番機敏で実戦慣れしてるから」
「我々は頭脳労働者です」
「中尉もいませんし」
ハボックは泣きながら、ブンブン首を振った。
「やだーっ! スケープゴートはイヤだーっ! 死にたくねぇ!」
「猫に鈴を付けに行くだけですよ」
「お焼香はして上げますから」
「連名で香典くらいは出してやるって」
「やだーっ!生前にもらわなきゃ、金なんて意味ねーっ!」
「独り者には真理ですね」
しかし、三対一では勝ち目はない。ハボックは渋々忍び足で大佐に近づいた。
(起きるなよ〜〜、まだ、起きるなよ〜)
そぉ〜と、ロイを覗き込んだ。黒い猫っ毛が風に揺れ、春の柔らかな日差しにツヤツヤ光っている。肌もきめ細かく、意外に睫 が長い。今まで上司をこんな近距離で観察した事はなかったが、こんな顔をしていたのか。ハボックは少し驚いた。
(ホント、こうしてりゃ、猫みたいにきれ〜なんだけどな)
だが、ロイは黒猫どころか赤猫だ。火をつけて回る。放火どころか、街ごと焼き尽くす巨大なチャッカマン。無実の部下達の頭を問答無用でアフロにして『ごめん』の一言もなし。
(基本的にわがままなんだよな、この人は。でも、恨んでるけど憎めないからやんなっちまうよ。
あ〜あ、この人の隙がつけたらな〜)
そういう点であの眼鏡の中佐は凄い。この気まぐれな猫の頭をどうしてあんな風に気軽にワシワシ撫でられるのか。イヤそうな顔をしても、ロイが本気で怒った所は見た事がないからそれなりに許しているんだろう。
この黒髪の上司がそういう事を『許している』というだけで大したものだ。
ハボックは改めて思った。自分がそれを羨ましいと思っているって事は、大佐に気があるという事だろうか。
(えー、まさか。俺は女一筋だ)
同じ手がかかるなら、女の方がいい。こんな爪どころか、火を放つ猫を撫でくりするなんて、命が幾つあってもたりゃしない。
(でも、なぁ)
それができたら、どんな気分がするだろう。この誰も寄せ付けない猫を懐に入れるというのは、どんな気分になるだろう。
三人が焦れて、しきりに手を振っている。ハボックは軽く頷いて、大佐の肩に手を置こうとした。
「はううぅぅっ!」
突然、大佐が身悶えた。
ハボックは顔面蒼白で10mも飛びすさり、他の三人の中に飛び込んだ。全員、壁際まで撤退する。
「い、今の何っ!? 何っ!?」
「ね、寝返りですよっ!」
「ただの無難な寝言ですっ、落ち着いて下さい、皆さん! ほ、ほら、大佐は寝てるでしょう?」
「や、やだっ! こ、怖いよーっ! もうやだぁ! 勘弁して!」
「お、男なら勇気を出せっ!」
「せめて中尉が戻ってくるまで待って! 何なら今夜のメシおごるからっ!」
「中尉は副官の会議で一日戻りません!」
「諦めろ、お前しか適任がいない!死んでこい、ハボック!」
ブレダがハボックの背中を蹴り飛ばした。
「い、いやぁ〜〜〜〜〜っ!!」
止まろうとしたが、ハボックは大佐に向かってつんのめった。
(……………………あ)
ハボックは硬直した。
大佐と顔が重なっている。正確には唇が。
(こ、殺されるっ!! 俺は絶対大佐に殺される!)
動悸、息切れ、冷や汗、悪寒。
『救心』を飲まなくては、間違いなく心臓麻痺になりそうな気分でハボックは恐る恐る唇を放した。
が、ロイは目覚めなかった。
呑気な眠り姫はスカーッと気持ちよさそうに、よだれを垂らして寝こけている。
(ハァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ)
一気に脱力した。
(頼むよ、おい)
膝から力が抜けている。困ったようにロイを見た。
(あーあ、俺のキスでは起きてくれないのかよ、まだ)
しかし、柔らかかった。
ハボックは今のキスを思い出す。男の唇なんて、筋肉みたいに固いのかと思っていた。触れたらどこもかしこも溶けてしまうような女とは正反対の生き物かと思っていた。
(ま、待て! 俺! こんな事で『目覚めて』たまるか! 俺はノーマルだっ!)
ハボックは頭をブンブン振った。気持ちを切り替えなくては。とにかく大佐を起こして大団円に終わらないと。
(ま、この衝撃でも起きなかったんだから、ちょっとくらい肩を揺すぶっても大丈夫だよな)
ハボックはロイを見下ろした。唇は柔らかかった。では、頬はどうなんだろう。肩より、頬をつついてみたい衝動がどうしようもなく駆けめぐる。
(し、しっかりしろ、俺!)
ハボックは唾を飲み込み、背筋を糺してロイの肩に手を掛けた。
「あの………………」
「ア、アヒルちゃーん〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
ロイは目を開けた。
彼の前には石になって泣いている四人の部下の姿があった。ハボックなどアフロが恐怖で真っ白になってしまっている。
「…………? 何をしてる? さっさと仕事しないか」
「ハ、ハイッ!」
四人はコクコク頷いているが、動こうとしない。
(…………………?)
ロイは不審に思ったが、うたた寝していた負い目もあるので無理に聞かない事にした。
ふとさっき見た夢を思い出す。
「………………アヒルちゃん、か」
ふふっと口元に笑みが浮かんだ。
思わず部下達の顔が強ばった。
「お、おい、『アヒルちゃん』は恥ずかしくないみたいだぞ?」
「ぼ、僕にはもう解りません!」
「こんな職場はイヤです!」
「お前ら、俺の頭をどーしてくれるんだよ!」
ロイはギロリと四人を見た。
「何をコソコソ言ってるんだ! さっさと仕事に戻れ!」
「ハ、ハイイィ!!」
全員が自席へ散った。
紋白蝶がひらひら窓を横切っていく。
のどかな軍部の昼下がり。エンド
初のハボロイです。ジャクリーンは………いいわーv
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