「寒さは人を馬鹿にする」


「寒ーっ!」



 エドは歯をガチガチさせながら叫んだ。
 これで朝から15回目である。叫んだ所で暖かくなる訳がないのだが、叫ばずにはいられない。
「もう、兄さん。うるさいよ」
 さすがにアルフォンスは嫌な顔をした。鎧だから表情は変わらないのだが、雰囲気ですぐ解る。
「お前はいいよな。寒くなくてぇぇぇ」
 エドはますます寒そうにコートとマフラーの中に身を縮めた。身長がどう他人に見えるかも気にならない。寒さは人を馬鹿にする。
「うん、これあるし」
 アルは嬉しそうに白いマフラーを撫でながら笑った。先日、エドが買ってやったものがお気に入りで、アルはこの所何処に行くにもそれをしている。少しでも人間らしく見えるのが嬉しくてならないらしい。アルは綺麗好きなので、こまめに洗って手垢もついてないが、多少毛羽だってくるのは仕方がない。
(そんなに喜ぶなら、もう4,5本買ってやろうかな)
 思いはするが、アルの事だから、それを猫の寝床にしかねない。そうでなくても、秋から冬はアルが猫に嫌われる季節でもある。動物好きなアルは兄の愛情も、いたいけな猫の前では犠牲にしかねないのではないか?
「うう……こんな日にも呼びつけやがって。大佐のあんにゃろ〜」
「ハハ、出がけに寒暖計見たら、マイナス5度だったもんねぇ。今夜はまだ下がるってさ。
 兄さんは寒がりなんだから、もっと厚手のコートを買えばよかったのに。変な所でデザインとか色に拘るんだから〜」
「うるせ〜。俺はコートは赤しか着ないと決めてるんだよ!」
「はいはい。じゃ、僕、図書館の帰りにセーターや厚手の下着とか買っておくから」
「それよか、夜食にいいピロシキとかミートパイとか、腹持ちのいい暖かいもん忘れんなよ」
「もう、兄さんは食い気ばっかりなんだから〜」
「どうせ司令部の中は暖かすぎて、コートなんて邪魔なだけだからいいんだよ」
「やせ我慢ばっかりして、風邪引いても知らないからね」
「う〜、それにしても寒ィ! あー! 寒いぞぉ!」
(やれやれ)
 半ば諦め顔のアルフォンスと別れて、エドは雪避けに塩の撒かれた司令部の階段を駆け上がった。
 大佐と一日鼻面つき合わすのは億劫だが、セントラルヒーティングの魅力は抗いがたい。今滞在中の宿は、古いストーブ1個で、側にじっと張り付いていないと暖かくならないから尚更だ。
(寒いとアルも側に来てくんねぇもんなぁ)
 おかげでエドは欲求不満気味だった。
 しかし、とにかく今は芯から暖まる事が第一だ。



「チーッス! 鋼の錬金術師エドワード=エルリック様! 只今参上!」


 鼻水を垂らした衛兵に片手で挨拶しながら、玄関扉を開け放ったエドは仰天した。


(………さっ、寒―――――っ!!!!!)


 いつもなら常春の空気がお出迎えの筈なのに、厳冬の外と変わらない。コンクリートとモルタルで出来た建造物はしんしんと冷え切っている。


「う、うおおおおおおーっ!! 寒ィじゃねぇか、こんちくしょう!」


 見れば、軍人達も鼻先を真っ赤にしたまま、防寒コートを着て歩き回っている。国民の血税で全館完備された自慢の暖房設備がイカれてしまったのだろうか。


(やめた…………)


 エドはクルリと玄関に向き直った。素晴らしい暖房があればこそ、司令部に一日いるのも我慢できるのに、こんな『八甲田山 死の彷徨』みたいな場所にいたら、それこそ立ったままコチコチに凍り付いてしまう。
 ボロでもストーブのある宿で、ドーナツと熱いコーヒーを片手に毛布にくるまっている方がいい。



「……ああっ!? エドワード君!?」
 が、エドの逃亡はそこで遮られた。エドの大声を聞きつけて、ドアから飛び出してきたファルマンやハボックに両脇を抱きかかえられてしまったからだ。
「な、何だよ、急に?」
「おーい、みんな!! 大将が! 鋼の錬金術師殿がお出ましになったぞーっ!!」
 ワーッ!! やったー!! とあちこちで歓声が上がる。みんな涙目になって、エドを取り囲んだ。
「あー、本当によく来てくれましたね! もう来ないかと思ってました!」
「出来れば、寝坊しないで欲しかったぜ、大将!」
「徹夜はいけませんよ、エドワードさん!」
「ちょ、ちょっ…っ! 何がどーしたんだよ!? 気味悪ぃな」
 エドはさすがに怖くなった。
「あ、あの俺さ…急用を思い出したから、もう帰ろうと思って…」



「とんでもない!!!!」


 全員が声を揃えて、噛みつくようにエドワードを見下ろした。何かますます嫌な予感がする。
「大体、この寒さどーしたんだよ。まさか修理屋が来なくて、俺に錬成してもらうの待っていた訳?」
 エドは首を傾げた。それなら、司令室でふんぞり返っている筈の、あの国家錬金術師がいるではないか。いくら無能でも、焔しか起こせない訳ではあるまい。
「いや〜、ちょっと、ね」
「うん。まぁ、色々ね。大変なんだよ」
「まぁ、本当に来てくれてよかった」
「ささ、大佐の所にご案内〜v」
「ええ? 何? ちょ、ちょっとみんな待って」
 抵抗も虚しく、エドはさっさと司令室に放りこまれた。
 扉が閉まったのを確認し、ハボックが涙ながらに親指を立ててゴーサインを出す。無言でガッツポーズを作り、すぐさまフュリーがボイラー室へ駆け出した。




「チェッ。何だよ、もう〜。…………うおっ! ここも寒ィ!」


 エドは痛む腰をさすりながら、震え上がった。司令室も他と大差ない。
 見れば、大佐もやはり厚手のコートを着て、いつもの椅子からエドを見下ろしている。
「ああ、もうどうしちまったんだよ、ここは。暖房、壊れちまった訳?」
「まぁな。簡単に錬成しようにも、色々デリケートな場所で修理に手間取っている」
 大佐は笑いながら肩をすくめた。
「ふ〜ん、俺、金属専門だし、やってやろっか?」
「まぁ、じきに直るさ。それより、さっそく仕事の話をしようか」
「あ……ああ」
 エドは大佐の前に立った。ホークアイが準備したのだろう。書類や資料が系統別 にキチンと並べられている。ロイはさっそく資料を取り上げた。エドは不思議そうに大佐を見つめる。
 いつもなら、無駄話で一時間は割く癖に。エドがカンカンになってまともな思考ができなくなった頃、仕事の話に入るのが習慣だった。おかげで押しつけられた内容の半分も理解できず、宿で作戦資料を読み返し


『大佐の人でなしーっ!!!!』


 と、叫んだ事は一度や二度ではない。
「今日はいやに仕事熱心じゃん、あんた」
「さすがにこう寒いと、さっさと片づけて帰りたいからな」
「ああ、そりゃそうだ」
 エドも資料を取り上げ、ロイは説明を始めた。



(しっかし…寒ィ)



 立っていると余計に寒い。下から冷気が上がってきて、手足がかじかむ。抑えていても自然に歯が鳴り始めた。
「寒いのか、鋼の。だらしないな」
 ロイは呆れたようにエドを見た。
「い、いや、へ、平気だけど……ここ、寒すぎっだろ?」
「今日は基地中、何処に行っても同じだ。戦地の塹壕よりましさ。暖房の故障程度で仕事は休めないからな」
「ふ〜ん。あんた、いつもそうなら中尉に叱られないだろうに」
 エドはコートの襟を立てて、縮こまる。歯の根も合わない。足踏みでもしていないと、爪先が痺れて痛かった。機械鎧の付け根もピリピリして、神経を刺激する。
「せわしないな、鋼の。静かにしないか」
「そ、そーはいっても寒いもんは寒ぃんだよ」
「鍛え方が足りないんじゃないか?」
「嫌いなんだよ。寒いのは!」


(冷たいのは)


 エドはロイから目をそらした。


(冷たいのは、俺の手足。アルの体。あのなめし革の手袋。
 あれが、あの冷たさが恋しくて、愛しくて、ツラくて。それでも、馬鹿みたいに反応して。
 反応する、それに順応する自分がキライだ。
 忘れそうになるから、やな事を全部。俺の罪も全部)


「子供は風の子というがな」
 エドは我に返った。ロイの皮肉っぽい目の光に顔を顰める。
「殴るぞ、手前ェ」
「仕方ないな、こっちへ来い」
 ロイは手招きした。
「何だよ」
「寒いんだろう? 離れているより側にいる方が暖かい」
「変な事すんじゃねぇだろうな」
「こう寒いんじゃ脱ぐ気にもならんね。いいから来たまえ」
 エドは渋々ロイに近寄った。彼のすぐ脇に立つ。が、寒さは変わらないので、体が自然とロイにくっついてしまった。
 だが、お互いコートを着ているので少ししか体温が伝わってこない。体が焦れて、勝手に押しつけてしまう。
「おいおい、鋼の。そんなに押すな」
「あっ…、ああ、すまねぇ」
 慌てて離れたが、無意識にまたくっついてしまう。大佐は苦笑した。
「そんなに寒いのかね。君は」
 エドは赤くなった。
「い、いや、別に。
 …………あのさ、悪いけど資料を宿に持って帰っていいか? この任務は引き受けるからさ」
「この任務は内容が複雑だ。説明途中で帰る奴があるか」
 反論の余地はない。エドは項垂れた。だが、寒くて、その事で頭が一杯で、筋道立てて考えたくない。もう骨の髄まで凍り付きそうだ。暖かい場所に行けるなら何処でもいい。
 だけど、宿に戻ったって、アルは近寄ってこない。暖かい心は触れ合えるけど、そこまでだ。春までは何も出来ない。暖房の効いた部屋だって熱のないものは、温めない限り冷たいままだ。
 でも、それでもこんな寒い所よりいい。大佐にくっつきたくなるなんて、どうかしてる。
「仕方ないな、君は」
 ロイはコートの前を広げた。途端に、体温でぬくもった空気がふわっとエドを伝わってくる。


(…………うわっ)


 その一瞬のぬくもりにエドはクラッとした。体がいう事を効かない。気づいた時は大佐のコートの中に包み込まれていた。


(………あ、あったけぇ〜)


 だらしない程、体が弛緩した。天国かと思った。
 ほんの一瞬だけ。


「なっ、何すんだよ、いきなりっ!」
 我に返って、エドは逃げようとした。が、大佐に抱きすくめられて動けない。
「何って、一番この場合、有効な事をしただけだ。このままでは仕事が終わらないからな」
「だからって、こんなの、み、みっともねぇ!」
「みっともないのは、寒いばかりに私にくっついてくる君の方だと思うがね。第一、誰が見てる訳でもなかろう。同じ方角を見てる方が説明しやすいしな」
「だ、だけど、気持ち悪いんだよ! あんたに抱かれたまま仕事の話なんて! それに何だよ! あんたの足元、小さいストーブがあるじゃねぇか! ズルイだろっ!」
「上司の特権だよ、鋼の」
「こういう時だけ上司って……さっきの塹壕の話は何だったんだよ!?」
「戦争は戦争だ。かじかんだ手ではまともに書類にサインもできないからな。
 そんなにイヤなら私は構わんよ。普段の立ち位置で仕事を再開しようじゃないか」
 ロイはコートの前をくつろげた。途端にまたエドを冷気が襲う。あっさりとエドはコートを自分で締めて、ロイの胸の奥へ退却した。



「あ………ち、ちくしょう…」



 自分でやった事とはいえ、悔しい。エドは真っ赤になる。が、どうにもならない。
「何だ、君は本当にだらしないな」
 ロイがクスクス笑っている。その笑い声と吐息がエドの首筋をくすぐった。毛穴がぬ くもりで弛んだ所に息を吹きかけられているのだからたまらない。ただでさえ、欲求不満の体を持て余しているのだ。全身を甘い痺れが走る。エドの体が竦み上がった。


「…………ん、んんっ」


「何だ、変な声を出して。どうかしたのかね、鋼の?」
「なっ、何でもねぇよっ! とにかくさっさと仕事をしようや!」
「ああ、今度は君の方がせっかちだな」
 エドはまたビクッとした。
「あ、あのさ、耳元とか首筋で話すのやめてくんない?」
「くんないって、この体勢でどうしろと言うんだね? 仕事を急げと言ったのは君だよ?」
「………そうだけどさ」
「何度も言うが、私は君が離れても一向に構わないんだがね」
「いや………あ〜、もう。続けろよ!」
「しろと言ったり、止めろと言ったり、困った奴だな、君は」
 ロイはまた笑う。そのたびにエドの体はビクンビクンと震えた。
(ちくしょう………解ってやってるんだ、絶対……)
 だが、冷気は首筋や襟足から隙間が少しでもあればいくらでも侵入してくる。ぬ くもりを覚えてしまった体はそれに耐えきれなかった。解っていながら、ますますロイの胸元深く入り込んでしまう。その為、余計にロイの喋り続ける声や呼吸に皮膚や後れ毛がくすぐられた。
 肌がチリチリする。体の奥がよくない熱さを帯びてくる。
 でも、逃げられない。逃げたくない。
「…………ん、ん……じゃ、ここれ、そいつと……落ち合ふんだろ」
 呂律が回らないが、無理に訂正してロイに指摘されるのが恥ずかしい。
「そうだ。暗号をよく頭に叩き込んでおけ。時間厳守だ。二度接触はしない」
「……んん」
「彼の方から君を見つける。君はその店で待機しておくだけでいい」
「……あ…あ」
 考えが回らなくて、相づちが単調になってしまう。ロイが眉を顰めた。
「大丈夫だろうな、鋼の。極秘任務だから失敗してもらっては困るぞ?」
「だ、だいろーぶ…らって」
「……何だか心配だな。もう一度最初から説明しようか?」
「え?……いや、もうい…い。いいからっ、勘弁して……っ」
「勘弁とは何だ。君はちょっと軍属としての自覚が足りないな」
「い、いや、そうじゃないんだけど」
 エドは疼く体を持て余して首を振った。



(こんな寒い所で、大佐のコートの中で、勃ってるなんて)


 知られたくない。
 絶対知られたくない。


 でも、寒い。


 寒いからもっとくっつきたい。このぬくもりから出たくない。



 ロイは「仕方のない奴だ」と笑ってまた同じ説明を始める。そんな事をしなくたって、一度聞けば充分だよ、ボケとか言ってやりたいが、体が震えて、疼いて、寒さに放り出されるのがイヤで出来ない。



(バカになってる、俺)


 表面では解っていても、唇を噛み締めるだけで何一つ逆らえない。
 不意にロイの手が袖を抜けて、直にエドの体に触れた。拒否しつつも、焼けつくように刺激を望んでいた肌が歓喜の声を上げて、その指を歓迎する。


「あ、ああっんんっ!!」


 エドは真っ赤になって慌てて口を塞いだ。
「驚いた」
 ロイは笑っている。
「なっ、何すんだよ、急にっ!」
「いや、さっき機械鎧が痛そうにしていたから、どうかなって」
「どっ、どうでもいいだろ!! さ、触るなよっ、急に!!」
「普通、わあぁっとか叫ぶもんだが、驚くと君は変わった声を出すんだなぁ」
「う、うるせぇ!! ぶっ殺すぞ、手前っ! さっさと説明終わってくれよ」
 エドは半泣きの声で懇願した。何処まで耐えられるか、もう自信がない。



(ちくしょ……っ)


 エドは唇を噛み締めた。
(どんどんバカになる)
 でも、この柔らかい檻から出られない。
(俺はバカになっちまう)




「あ〜、あったけぇ〜」
 ハボックはほんわりと煙草の灰を吐き出した。
「そうですね〜」
「幸せ〜」
 他の全員も、のんびりと暖房の入った部屋で仕事をしていた。もう上着を脱いでも充分な程だ。
「大佐達はまだ出てきませんね」
 ファルマンは感心したように言った。
「そーだなぁ。よくあんな所で仕事ができるぜ。司令室の暖房だけが故障したからって、俺達まで巻き込む事ないのによ」
「そんなにまでして、エドワード君をねぇ」
「猫は寒いと自分からくっついてくるからかわいいって、猫好きの人間は人間には優しくないですよね」
「うんうん。でも、どーせ寒過ぎて、触る以上は何にも出来ないよな」
「バカですよね」
「司令室、寒すぎて、大佐バカになっちまったから」
「大佐も猫ですもんね」
「怖いねぇ、寒いって」


 全員が頷き、再び、素晴らしいセントラルヒーティングのぬくもりに体を委ねた。

エンド

イヤ、寒いとね。人間、アホになるから(^^;

鋼トップ

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