「知らない人」

 

 ちょっと変わった人だなぁというのが、第一印象だった。
  アルは父親の声も知らない。現存する写真はピナコの家にあるきりだし、エドが見るのを嫌がるので他の写 真で顔だけ隠してしまっている。それを兄がいない時を見計らってめくるのが、アルの小さな秘密だった。背の高い金髪金瞳の、少し疲れたような顔の男。家族写 真でみんなカメラに向かって楽しげに笑っているのに比べ、何だか部外者のような居ずらそうな困った顔をしていた。
(何でだろう)
 アルはずっと思っていた。何でこんな居たたまれない顔をしているのか。影が薄いのか。一歩引いたように見えるのか。
 兄に言わせると、研究ばっかりで家族を顧みず、遂に捨て去った人でなしで話は尽きる。あいつの話はやめろ。いつもそれだけだ。兄は父と正面 から向かい合おうとしない。
 確かに母の葬式にも戻らず、手紙一つよこさなかった。父がいてくれたら、母だってあんなに早く死なずに済んだかもしれない。病院でまともな治療を受け、手遅れにならずにすみ、自分達だって道を誤らなかったかも知れないのだ。
 全部、父のせいだ。
 兄は根っこでそう思っているのだろう。だから、弟に対する贖罪の気持ちが減るとも思ってないが、どこかにそんな気持ちは燻っている。
 アルにはよく解らない。

 -----父親。

 母親の濃厚な記憶に比べて、父親という言葉はアルにとって空白な文字と同じだ。赤ん坊の頃、既に家を出ていった男の匂いも手の大きさも背の高さも、人からの又聞きに過ぎない。ただ写 真で知っているだけだ。兄は父を憎んでいるけれど、贅沢だと思う。自分には思い出など一つもない。愛す事も憎む材料も何一つない。ただ自分を生み出した遺伝子の片割れという事実だけ。
 兄の世界は狭いから、身内に対する感情が深くて強すぎる。だから、捨てられたという事実が、母を助けられなかった無念さが、父への激しい憎悪に繋がっているのだろう。
 アルの世界も広いとは言えないが、父を憎悪で締めくくるには余りに繋がりが稀薄だった。物心ついた時は母と兄だけで、それで充分満たされていた。父が出ていった事情を斟酌するには幼すぎた。
(どうして出ていったの?)
 アルはそれが聞きたかった。仕事ばかりで家族を顧みない父親は、錬金術師でなくても大勢いる。エドだって、その片鱗があった。アルは兄の性癖に馴れているが、余程理解のある女性でなければ家庭に不満を抱くようになるだろう。だから、あいつは家族を蔑ろにしたと兄が憤ってもアルは大して腹も立たない。
(母さんを愛していたのに)
 三日三晩、母を悼んで墓の前にいたとピナコが教えてくれた。そんなに愛していたのにどうして戻ってこなかったのだろう。電話だって何だって連絡の取りようはあったのに。父の話だと、時間の観念に疎いそうだが、それにしては度を越している。

(もしかして、子供が嫌いだったのか、な)

 イヤな仮定だ。アルは項垂れた。子供を愛せない人間は、実は珍しくない。生まれる前から子供を溺愛するようなヒューズみたいな男もいれば、産んだのが実感できなくて、徐々に愛情が湧いてくる母親もいる。子供を虐待する人間もいれば、ペットと勘違いしている親もいる。
 だが、子供として、自分が『愛されていない』とだけは思いたくはない。どんな親だろうと、親は親だ。鎧の姿になったにも関わらず『アルフォンスだな』と認めてくれた時、どんなに嬉しかった事か。
(そういえば、あれが父さんから初めてもらった言葉なんだ)
 父から言葉をかけられるまでに十四年を要した。この感激はどう言っても兄には解ってもらえないかもしれないが、それでも「自分の名前」である事が嬉しかった。忘れないでいてくれた。息子だと知ってもらえた。兄程ではないが、ぼんやりと蠢いていた父に対する拘りなど一瞬で消し飛んだ。
 でも、兄は同じ屋根の下で寝るのも嫌がって、父をピナコの家から閉め出した。意固地になったエドを説得するのは家主のピナコでも難しい。兄さんとアルが咎めても、ギロリと冷たいまなざしを向けただけで、浴室に消えていった。
「まぁ、仕方ないねぇ。あの男も突然帰ってきたりするから」
 ピナコは大袈裟に溜息をついた。
「連絡の一つもよこせばいいのにさ。全く、お前達そっくりだよ」
「え? そっくりって……」
 アルは驚いた。
「同じじゃないか。いつも唐突に旅に出て、常日頃ウィンリィがあんなに口を酸っぱくして言ってるのに、あんたらが連絡して家に来た事があったかね? いきなりやってきて、用件だけ済ませてあっさり消えちまう。あたしらは馴れちまったから、いいがね。だから、親父さんとは血は争えないもんだと思ったんだよ。昔っから、あの男はそういう所があったからね。放浪癖のある男だからと、あんたらの母さんは半ば諦めていたようだし」
「ああ、はは……そうなんですか」
 アルは頭を掻く。ピナコはウィンリィが起きているかもと仮定して、やや声を落とした。
「多分……わざとしないんだろ、あんたらも親父さんも。あんたら親子は大事な事は胸に秘めちまう方だからね。私は錬金術はよく解らないが、研究を暗号化するように、錬金術師は特にそういうタイプが多いんだって、昔親父さんに聞いたよ。
 それはいい事もあれば、悪い事もある。解った後で何でだって聞いても、あんた達は答えない。馴れてはいるが、気分のいいもんじゃないね」
 アルは沈黙したままだった。エド達が言わないのは、余りに危険が多すぎる旅からだ。到達点はどう取り繕っても、禁忌を重ねる事である。まして、自分は賢者の石そのものだ。仮に成功しても、そこに何が待っているか解らない。だから、彼女らが見透かした目をしても、何も言わないでいてくれるのはありがたかった。結局、心配させているのだろうが、それで旅をやめる訳にはいかないからだ。
 だが、言わない事の暗黒面もアルは知っている。タッカーだけでなく、研究に没頭し、倫理を踏み外した錬金術師は多い。彼らが胸の内を誰かに語っていたら、相談していたら数々の悲劇は未然に防げたかもしれないのだ。
 アルは鋼鉄の体を見下ろす。それは自分達も同じだった。
 それでも、やはり誰にも言う訳にはいかない。
「そんなに僕ら、そっくりですか?」
「ああ、特にエドがね。顔も父親似だけど、性格もどことなくね」
「え? そうなんですか?」
 アルは興味深げにピナコを見つめた。兄と父の何処が似ているんだろう。父は想像よりおっとりしてるし、瞬間湯沸かし器で頑固で乱暴な兄よりむしろ自分に近いと思っていたが。
「ああ。まぁ、あの男はそりゃあ子煩悩でねぇ。あんた達が生まれた時、そりゃ喜んだもんだよ」
「本当ですか?」
 アルは心から喜んだ。愛されていた。僕達、愛されていたよ、兄さん。
「生まれたばかりのあんた達を眺めて、あやして、そりゃベビーベッドから引き離すのが大変だった。研究なんて、そっちのけで、あんた達の顔を見ちゃ「かわいい」の「ちっちゃい」の呟いては、ぐふぐふ、犬みたいに笑ってさ。村人から頼まれてた仕事まで忘れちまって大慌てな時も何遍もあったよ」
「へぇ〜」
 アルは目を丸くした。研究で書斎の机にかじりついていたという兄の証言とは別 人だ。
「でもね、親父さんは、ちょっと困った男でね。あやし方に問題があった。あんた達が珍しく生まれて1ヶ月もしない内に笑うようになったのもあるんだろうけど」
 アルは首を傾げた。早熟な子供だと昔から言われていた。2歳で文字をマスターし、3歳で錬金術を朧気に理解していた。それが悪いのだろうか。
「どうして? 笑っちゃいけないんですか?」
 ピナコはパイプに煙草を詰めた。
「笑い顔が見たくて、あんた達を抱いては揺らしていた。あんた達はそりゃよく笑う子供だったよ。そのたびに親父さんは嬉しそうだった。ほら、僕の子はもう僕が解るんだよって。私や母さんはそのたびに親父さんを叱っては取り上げないといけなかった」
「何故? それの何処がいけないんですか?」
 煙がプカリと宙に浮かんだ。
「首の座らない乳児を揺らしてあやしちゃいけないんだよ。首が脱臼したり、頭の骨に隙間があるから脳に影響したりする。だけど、私達が何度、口を酸っぱくしても親父さんはやめる事が出来なかった。あんた達の笑い声が聞きたくて隠れて揺すったりしたんだ。
  しまいには『高い高い〜』まで始めたよ。首がだらんとして、それでも笑ってるエドを見て、私はどんだけ血の気が引いたか。
 エドが大きくなって、あんたが生まれても、親父さんはやっぱり同じ事を繰り返した。学者さんなのに、学習能力がないのかねぇ。
  見張るのも疲れたし、しまいにあたし達はきっぱりとお前さんを親父さんから遠ざける事にした。親父さんはいじけて、書斎に籠もっちまったけど仕方なかった」
 アルは俯いた。父がいつも書斎に籠もっていたのは、それが真相だったのか。
「じゃ、父さんが家を出ていったのは……」
 ピナコは一笑に伏した。
「んな馬鹿な事があるもんかね。親父さんが出ていったのは全く別の事だよ。エドは勝手に誤解しちまって怒ってるが………あんた達は言葉が足りないんだから自業自得さね」
 ピナコはアルを見つめた。
「エドと似てると言ったが、親父さんは愛情が過ぎるんだよ。どうしてもやめられない。解っていても何度でも繰り返す。身をあやまつ程、相手を、自分を損なう程、好きになってしまうんだよ。そして、そういう自分が怖くて、幸せから一歩引いてしまう。あんたもそんな所があるけど、エドの方があたしは心配だ。
 まぁ、あんたはそういう事、とっくに気付いているだろうけど」
 アルは自分の手を見下ろした。自分の方が瀕死だったにも関わらず、平気で彼の魂を錬成する為に命を投げ出した兄。また同じ事をしないとは言い切れない。ピナコに指摘されるまでもなかった。兄はアルの為なら何だってする。鋼みたいなプライドも捨ててみせる。
 それ程までに望んだ事を今、二人は出来ないでいる。
 アルが賢者の石そのものになってしまったせいで。
 ただ、その場を逃げ出すしかなかった。大佐達は味方かも知れないが、軍部そのものはそうではない。彼らは立ち向かわねばならない。いずれ。
 でも、だからこそ、その前に。
(兄さん)
「ばっちゃん」
「何だい?」
「僕、父さんと話してくるよ。話さなきゃいけない事が一杯あるんだ」
「そうだね、それがいい。またいつ消えちまうか解らないからね」
 ピナコは笑った。
「でも、エドは怒るだろうね」
「今度は兄さんが書斎に籠もればいいんだよ」
 アルは笑って、肩をすくめた。

エンド

珍しくアニメの補完。
当初からホーエンパパに好感が持てなかったが、最後まで彼がエド達の父親である事が心から残念で終わってしまった。
原作ではどんな人だろうか。かなり奇妙な人である事は疑いもないんだが。

鋼トップへ

55 STREET / 0574 W.S.R / STRAWBERRY7 / アレコレネット / モノショップ / ミツケルドット