「素直じゃない」


「あなたが好きです」



 と、頭の真っ白いモヤシに告白されて『俺のいる半径50m内には近づくな」と、翌日近寄ってきた時、きっぱりと申し渡した。
 アレンの奴は悲しそうな顔をした。だけど、俺は最初から優しくしてやる事も好きになる事もないと言ってあったんだから自業自得だ。さっさと別 の優しい思いやりのある奴に乗り換えればいい。ここの男性の比率は女より過剰過ぎるから、奴みたいに女の子っぽい顔の子供なら誰だって、世間より5割増しで優しくしてもらえる。(リナリーなら20割増しになるが、自動的にあのシスコン室長がグリコのおまけで付いてくるから誰も手を出せない)
 見かけよりアレンは対人関係にはそつがなくて、要領がいいから『やらせずの援交』みたいな生活が出来る筈だ。
 けど、アレンは特定の誰かと親しくなってるようには見えなかった。リナリーとは仲がいいが、どちらかといえば双子の姉弟みたいだし、兄のお守りで手一杯だ。リーバー班長は気さくな男だが、科学班は仕事の過密スケジュールに追われて自由時間が少ない。探索部隊はイノセンスに選ばれなかったコンプレックスと、戦場でエクソシストの配下になる為か、俺達とは常に一線引いている。
 誰かと親しくなれといっても、ここに俺以外対等で同年代の人間はいない。
 結局、気付くと、アレンはいつも俺の視界のギリギリの所で俺を眺めていた。
 でも、俺は解ってるんだ。同年代とか対等とか多忙とか、そんなのが恋の前では何の意味もない事くらい。
 アレンは俺が好きなんだ。それだけの事だ。
 だから、いつも俺を見てる。
 切なくて、淋しそうな目。
 俺はかったるくて、やり切れなくてそのたびに場所を移動した。追っ払えればいいのだが、几帳面 に約束を守っているようなので、それ以上、俺からは何も言えなかった。だって、それじゃまるで俺がアレンの視線をいつも意識して、気に掛けてるように思われるじゃないか。


 俺はあいつの事なんかどうでもいい。
 あいつがいつ見ても視界に入る所にいるんだからしょうがない。


 
だけど、いつか奴も懲りるだろう。
 飽きるだろう。
 別の相手を見つけるだろう。
 俺は出来る限りアレンと組みたくないとコムイ室長に明言した。せっかく年齢が近くて組ませ易いのに、とコムイの野郎がぼやくので
「あんたの研究に身体を提供する回数を増やす」
と言ったら、渋々了承してくれた。
 まぁ、概ねは。



「どうしてそこまでアレン君を嫌うの」
 コムイはコーヒーを飲みながら笑った。でも、こんな時の奴の目があんまり笑ってない事を俺は知っている。
「別に。俺は誰も好きにならない事くらいあんたも知ってるだろ? ああいうタイプは早死にする。巻き添えになるのは御免だ」
「アレン君は結構タフだよ。弱そうに見えるけど、麦みたいな子だからねぇ」
「麦?」
「踏まれて、初めて強くなるタイプって事。あの子はよく泣くし、ぐらつくけど、それって本当に弱い事かなぁ。男が人前であからさまに泣くのは早々出来る事じゃないよ」
「みっともねぇ」
 俺は一言で切り捨てた。
「そうだね、君にはできない事だもんねぇ」
 コムイはコーヒーを一口飲んで笑みを浮かべる。
「だからこそ、イヤなんでしょ? 君のやわらかいとこ、触ってくだろうから」
 俺は持っていたカップをコムイの顔目がけてぶん投げた。粉々に砕け散った破片と染みだらけの壁を見て、コムイは悲しそうな顔をする。
「あ〜、お気に入りのカップだったのにぃ」
 声と裏腹に室長が面白がってるのが解る。俺はうんざりしながら、廊下を足早に歩いた。あの中国人は苦手だ。俺の心にツイと入ってくる。俺の知らない鍵でも持ってるかのように。
 リナリーといい、中国人はあんなタイプばっかりなんだろうか。
(ちくしょう、あいつのせいだ)
 俺はふて腐れて、教会の長椅子にもたれ掛かった。久しぶりにアレンから解放されて清々する。礼拝堂の中はシン…としていた。誰の気配も感じない。俺一人きりだ。
 ステンドガラスの見事な深い色彩が日差しに透けて、荘厳な絵を部屋中に投げかけている。俺はそれが好きで、わざとその極彩 色の絵が写った椅子に座った。そうすると俺まで美しい色に染め上げられて、絵の一部になってしまう。
 まるで教会そのものに溶け込んでしまったかのように。
 元々、この世になどいないかのように。



 そうだ。
 俺は時々そうなりたい。
 足掻くように生きたいと望む反面、俺はこの埃と光の織りなす空気に消えてしまいたい時がある。
 何の未練もなく。


 だけど、そんな事は出来はしない。だから、偽りでもこんな事をしてしまうんだろうか。誰も見てないから、と。


「…ホント、みっともねぇ」
 俺は右腕で両目を覆う。だけど、この光の絵画は余りにも綺麗だ。天井まで続く聖者の行いをしろしめすガラスの芸術はかつての彼らの栄光を褒め称えている。
 蒼。紅。緑。金色。朱。碧。
 それらはアレンの瞳を思い起こさせた。奴の目は不思議だ。碧かと思えば、光の加減で赤にも緑にも変わる。これもイノセンスとやらの奇怪かと思ったが、コムイに言わせると、人間でもたまにある虹彩 の変異だか何かの遺伝的なものらしい。
「普通は猫とかに多いんだけどね」
 コムイは科学者らしい好奇心に溢れた顔で感心していた。
「何から何までアレン君てレアだよね〜」


 だけどな。


 その時、俺は喉まで出かかった言葉を反復していた。
(アレンはそんな事、一度も喜ばなかっただろうよ)
 進化は変化の歴史でもある。環境に適応して身体を変化させたものが結果的に勝利を収めた。
 だが、人間だけでなく、動物は自分と違うものを徹底的に忌み嫌う。生理的に嫌悪を催す。情け容赦なくつつき出す。それは動物にとって、異質なものは敵の目を引くからであり、人間にとっては秩序を乱すからである。
 外見がどれをとっても異質であるアレンが、人々にどんな扱いを受けたか簡単に想像がつく。集団に馴染まぬ 者ははじき出される。
(俺みたいに)
 俺は溜息をついた。日本から出れば、少しは人間も文化や人種的容貌と同じように変わるのではないかと思った。俺を受け容れる、俺が馴染む場所もあるのではないか。そんな微かな期待も持っていた。理想が高く、潔癖性で頑なで少し不器用な俺は孤立すると解っても、その為に自分の理念を曲げることなどしない。
 個人主義で知られる欧米なら、俺の居場所も、探すべき人もいるのではないか。
 だが、同じ事だった。逃げた先に楽園はなかったけれど、黒の教団は日本よりはいい。それでも、俺はやはり独りだ。そういう道を選んでしまう。



『そういう愛し方しか出来ないんです』


 きっと、あいつもそうなのだ。


 異質。


 だけど、アレンは綺麗だ。あの左手も白い髪も色のクルクルと変わる瞳も、全然嫌悪感を感じない。むしろ見入ってしまう。あいつが呪われている事自体には嫌悪感を抱くが、それはアクマに対する感情に繋がっているからだろう。
 その呪いもアクマを見分けられる目と知ってからは羨望に変わった。それを望まぬ エクソシストなどいないのではないか? 俺はラビと会えばケンカばかりだが、それだけは意見が一致した。エクソシストになった瞬間から、人間を守りながら、人間を信じる事も愛す事からもおさらばするのだ。出来なくなるのだ。
だから、俺達はアレンが羨ましい。妬ましくすらある。どうしようもなく切ない程。
 どうしてアレンはそれを呪いだと厭い続けるのか?



(…………くそっ)
 俺は人間が好きじゃない。
 どうやっても孤立するのに、そんな人生を歩んできたのに、何でアレンを羨ましいと思うのだろう。
 今更、人間を愛したいと、愛されたいと望んでいるのか?
 俺はひとふりの剣でいい。
 神の剣になりたい。
 それだけで充分だと思っていたのに、アレンという存在でぐらついてしまう。



『アクマを救済したい』


 何、言ってんだ、バカ。アクマは兵器だ。壊すしかない。他に何の解決策もないんだ。俺達は破壊者に徹すればいい。無駄 に心を残すな。感情を移すな。全部、嘘でしかない存在の連中に同情しても何になる。
 だけど、アレンはそれに拘る。アクマが見えるから。
 聖職者の元々の役割『魂の救済』をなそうとする。



 でも、アレン。お前、解ってないだろう。結果的に俺達はアクマを救ってる。でも、俺達は救われた顔が見えない。魔導ボディを、機械を破壊した感触しか、事実しか解らない。お前のやろうとしてる事は、他のエクソシスト達には自分を全否定されてる事と同じなんだよ。俺達が日頃忘れようとしてる事、聖職者でも何でもなくて只の人間兵器だって事を、神の道具である事を、俺達もアクマと紙一重だって事を、お前以外は全員そうなんだって事を突きつけられちまうんだよ。


 だから、俺がアレンを受け容れられる訳がないんだ。
 剣でありたい俺はお前にコンプレックスなんて抱きたくない。
 ひとふりの剣でいいと思い続けたいんだ。



 だから、俺を見ないでくれ。
 俺を求めないでくれ。
 お前はたった独りだ。
 俺と同じように。
(そういえば、あいつは何処に行ったんだろう)
 いつもある筈の存在がいない。
 目の届くところにアレンがいない。
(…………?)
 アレンがいなくて清々したと思った。見ていると、苦々しくて、胸に余計な感情が渦巻くだけで、意見は対立するだけだ。守れる訳のないものを、自分を切り売りしてまで救おうとする甘っちょろい新人など、俺は絶対に受け容れられない。
 なのに、離れているとアレンの事ばかり考えている。
(チッ)
 俺は内心、舌打ちして寝返りを打つ。



 ふと。



 アレンが俺を見つめているのを感じた。少しだけ薄目を開けると、アレンが暗がりに立っている。何となくホッとして、安堵した自分がイヤで気付かない振りをする。
 俺はアレンなんか好きじゃないんだろう。そうじゃないのか?
 アレンは足音を忍ばせて俺に歩み寄ってきた。
(おいおい、約束はどうした?)
 俺は言いたいが、何となく目を開けたくない。開ければ、俺はアレンを払いのけないとならなくなる。俺が俺自身に嘘をつかない為には。
 だけど、目を瞑っていれば、俺が眠ったままなら、俺はアレンがどうしようと知らなかったで済む。詭弁だ。自分を騙してる。でも、俺は目を開けたくない。
 このままでいたい。
 アレンが俺を見下ろしているのを感じる。綺麗だと呟いてるのが聞こえる。息を殺して、静かに静かに、銀ヤンマを捕ろうという少年のように、長椅子に四つん這いになって、俺を見下ろしている。
 光の加減でアレンの瞳が赤く見える。あいつも俺もステンドグラスの光の絵の中に溶け込んでいる。
 俺達は絵だ。
 ただの絵だ。
 だから、今、ここで起こる事なんか俺は知らない。俺は覚えていない。



 アレンが俺を覗き込んでいる。
 小さな息づかいと、赤い目と、白い髪はまるで小動物を思わせる。
「ごめんなさい……ごめんなさい…」
 アレンが小さく小さく呟いている。まるで神様に許しを請うように。
「あなたを好きになってごめんなさい」
 泣いてるようだ。本当に泣いてるのかも知れない。
「でも、好きです……ごめんなさい……こんな事してごめんなさい」
 アレンが身を乗り出してくる。唇が触れる。軽く、そっと。
 俺は拒まない。俺は眠ってる。そういう事になっている。
 アレンがもう一度俺に触れる。俺の唇に触れてくる。
 そっと、何度も。
 俺は眠ってる。
 でも、アレンの息は甘い。唇はやわらかい。奴の手はあたたかい。
 それだけが現実。
 この一幅の絵の中の。



 こんな形でしか触れ合えない、2ヶ月目の俺達。

エンド

神田お題へ

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