う た 

 

 吹く風が柔らかくなった。
 履き馴れた底の厚い革靴も冷たい大地を歩き続けると、下から寒さが伝わり、強ばってくる。そんな辛さも薄らいだ。
 もう春が近いのだ。
 冬の長旅の苦労ともおさらばと思うと気が軽い。俺達は根無し草だから、旅自体は慣れっこになってしまったが、やはり季節や天候の影響は身体にこたえる。街に滞在するのは本を物色したり、軍の仕事をこなす時だけだ。毎日、長雨や木枯らしの中を歩かずにすめば、どんなに良いかと思う。
 だから、余計に過ごしやすい季節が嬉しい。歩いていると、肌に直接その変化を感じる。心まで浮き浮きする。
 でも、俺の弟はそれが解らない。
 厳寒の冬の季節は、気をつけないと鋼の身体に霜が降りる。俺だって、機械鎧だけが冷えすぎて、接続部分が涙が出るほど痛い。冷え込みのきつい明け方にキーンとした刺すような激痛で飛び起きる時だってある。
 でも、あいつは痛みすら感じない。霜が降りた鋼は白い産毛が生えたように綺麗だけど、とても危険だ。うっかり直接触れると、皮膚がくっついてしまう。水でもかけないと鋼から取れない。無理に取ろうとすると、皮膚を剥がして大怪我をしてしまうのだ。でも、余りアルが綺麗で、解っちゃいるのに、俺は何度か舌で舐めてひどい目にあった。
 だから、寒い日にアルは俺の側に寄るのを嫌がる。手袋の上から触るのも余り許してくれない。俺はあいつの為に少しくらい血を流したっていいのに、あいつは俺から離れて歩く。
 それでも、キンキンに冷えた鎧は宿屋で溶けた雫をポタポタ落とす。あいつは綺麗好きだから、それをとても気にしてる。暖炉に当れば、今度は熱くなりすぎて、俺がヤケドしないかと気を遣う。外は寒いのに、俺達はなかなか寄り添えない。冬のアルは時に無口だ。自分が鉄の塊だって事を思い知るからだろう。
 だから、俺達は冬が嫌いだ。
 鋼の身体はもう日常になってしまって、さほど辛さは感じなくなっているが、触れ合えないのだけはひどく切ない。
 暖炉や薪で暖めて、暖めて、何度も手で触って、もう冷たくない、熱すぎないよとアルに言い聞かせて、それでやっとどうにか側に座れる。
  運よく宿に泊まれない限り、セックスだっておあずけだ。アルの冷たい指になれちゃいるが、さすがに俺にも耐えられる限界があるもんな。最初の頃、体温の加減が解らなかったアルに凄く冷たい指で腸内探られて、腹を壊した時だってあった。黙って我慢してた俺が悪いんだけどさ。言うとアルを傷つけると思ったんだ。
『でも、生身だったら言ってたでしょ? 変な気を遣わないでよ!』
 後でアルにさんざん詰られた。普通に人間としてつき合うって決めてたのは俺なのに、難しいよな。最近は錬成で暖を取ったり、色々工夫はしてるんだけど、アルは俺の身体をいたわるから、やっぱり冬はあいつをその気にさせるのは難しいんだ。
 だから、俺達は春が好きだ。
 もう何の気兼ねなく側によれる。冬には出来なかった分、どんな季節よりもアルが俺の側によりたがる。触ってくる。髪の毛、背中、ほっぺた。意味もなくそっと優しく撫でていく。
 アルの方からってのが、俺はたまらなく嬉しい。俺の方がきっと倍くっついてるんだろうけど、アルも我慢してたんだなって事がとても解って、胸が一杯になる。何かもうお互い触りまくれるってのが幸せで仕方がない。
 俺達は小川沿いに歩く。早咲きの菜の花が土手を埋め尽くしている。空の色も柔らかい。
 弟が空を見上げている。兜の奥から覗くほのかな輝きも(あれはアルの魂の輝きが漏れてんのかな、どうなんだろ)いつもより柔らかい。微笑んでるんだと思う。
 確かに鎧には表情がないんだけど、やっぱり只の置物とアルは全然違う。何となくね。雰囲気かな?匂いかな?それでアルの機嫌が解る。普通 の人間同士だって、言わなきゃ心の中なんて解らないけど、それと同程度には俺にはアルの気分を察してしまう。どう解ると言われても、うまく説明できないけどね。
 やっぱりアルには心があるからとしか言いようがない。
 俺の血がアルの魂の仲立ちになってるのもあるんだと思う。アルの魂が俺の右腕と引き替えだからって事もあるかも知れない。
 俺達は繋がっている。
 血縁という以上に、恋人である以上に俺達は近しい。
「今日は晴れててよかったねぇ」
 アルの声が弾んでいる。俺は大きく伸びをした。
「そうだな。この分だと街に早く着けそうだ。今夜はそこで一泊して、明日汽車に乗ろうぜ」
「うん。……ねえ、兄さん、ここで少し休んでいかない?」
「ん?……そうだなぁ」
 俺はちょっと迷った。宿に早く着いて、二人っきりになりたい気分だったから。アルは真昼間からっての嫌うけど、春はちょっと別 だから。
「少し早いけど、お弁当にしようよ。ここ凄く景色いいしさ。ここんとこ、強行軍だったから今日くらいのんびりしようよ」
「飯かぁ」
 飯と聞いて、俺の胃袋が無遠慮にグーッと鳴った。アルは声を立てて笑う。俺は照れて頭を掻いた。…ったく、これじゃ欲望のままに生きてると言われても仕方がない。
「しゃーねぇなぁっ!少し休むか」
 俺達は柔らかそうな草むらに腰を下ろした。まだ冬の名残が大地に残っていて、じっと座っていると腰から冷えるんだけど、それでも日差しは暖かい。綺麗だけど、菜の花は正直いい匂いとはいえないし、小川から吹く風は少し冷たいけど、いい気分だった。まるでピクニックだ。こんな日ばっかりだったら、旅も楽しいのにな。
「宿屋のおばちゃんがね、奮発してくれたんだ。デザートもあるよ」
 アルがお弁当の籐カゴを開けた。俺は歓声を上げる。
 ふかふかの狐色のくるみパン。スグリのジャム。こんがり焼けた唐揚。ミモザサラダ。ぷりぷりした黒胡椒のきいたソーセージには柔らかなアスパラガスも添えてある。黒オリーブを乗せて焼いた卵。汁がたっぷりで皮がパリパリのアップルパイ。みずみずしいイチゴやオレンジ。生クリームとミントで飾ったレモンゼリーや、ハムやサラミやチーズで身があふれんばかりのサンドイッチ。氷のつまった甘酸っぱいレモネードまであった。それを綺麗なレースのナプキンで包んであって、何か一人で食べるにはもったいない位 だ。
「わー、うまそー!」
 俺は早速両手にサンドイッチと唐揚げを掴んだ。アルの前で喰うのを躊躇うって事を、俺は随分前に卒業した。俺の身体はアルのものでもあるんだから、アルの分まで味わって、楽しんで、健康でいたい。しなけりゃならないとか、あれをすべきとか、義務感はなしだ。そんなもんお互いに重圧になるだけで、体にいい事は一つもない。
 アルは俺が喰うのを見てるのが好きだし、俺は食べるのが好き。そして、俺はその身体を、後で存分にアルに味あわせる。食えるだけ食ってもらう。それが俺達の等価交換だ。
「もう、兄さん。そんなにがっつかないでよ」
「いいじゃん。マジ、うめー!」
 実際、お弁当はうまかった。母さんの料理にも負けてない。天気はいいし、お腹は一杯。真っ黄色の菜の花のじゅうたんが風に揺れてる。青い小川や山並みはのどかで目に染みるようだし、空高く雲雀も鳴いていた。昼下がりの田園は穏やかで、寝ぼけたように誰もいない。何か俺達だけの天国みたいだ。  
 そして、アルの膝は日差しにあっためられて、気持ちいい。
「ふー、幸せ」
 俺はアルの身体にくっつくようにして、草むらに寝転がった。地面も暖まってきたのか、もうそんなに寒くない。風が俺の髪を撫でる。
「もう、食べてすぐ寝たら牛になるよ」
「いいじゃん、今日は。のんびりすんだろ」
「そうだね。たまにはね」
 アルの手がそっと俺に触れた。風よりももっと優しい。何かそれだけでアルが本当に俺の事を好きなんだって解る、柔らかな撫で方。俺はその手を握り返す。なめし革なのに、その指は本当に優しい。
 キスしたいな、とぼんやり思った。

 

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