アルはバスケットを片づけながら、鼻歌を歌っている。
 鎧になってから、アルは音楽が好きになった。前から歌は好きだったみたいだけど、旅先のレストランで弾き語りや優雅な踊り子を見るようになってから、すっかり気に入ったようだった。
『何かね、本当にいい歌は僕の魂に直接触れてるような気がするんだよ。低く高く魂をこすってくの。それがね、気持ちいいんだ。魂が震えてるみたいでさ』
 俺もいい歌を聴くと感動するけど(もっとも俺は余り音楽がよく解らないし、興味もないが)アルは視覚と聴覚しかないから、俺よりずっと深い部分で音楽を聴いてるんだろうな。
 音の共鳴。空気の震え。高低。
 楽譜は錬成陣と同じ、綿密な数字の元にした記号の組み合わせでしかないが、人の声帯や楽器を通 すと、たちまち色を帯び、豊かに響きあって、俺達を感動させる。
 不思議だ。
 錬金術も音楽も突き詰めれば、正確な数値を絶妙な構成で設定し、追いかける事でしかないのに、そこから様々なものを掘り起こし、人の心を揺すぶったり、創造したりする。料理のレシピだってそうだ。
 グラム、音符、錬成式。そこにあるのは冷たい数字だけなのに、人の手が加わるだけで変化し、実体になる。
 その正体は何だろう。それが真理って奴かな。数と数の隙間、ゆらぎ、ファジィ、曖昧さ。それこそが人の心を突き動かす。
 それは見えなくて、触れ得なくて、演奏家、料理人、術師によって、千変万化に変化し、一つとして同じものなんかない。曲一つとっても、アレンジや気分によって、どんなに違って聞こえる事か。
 それは生命に似てる。科学的に見れば、炭素や水なんかの物質の集合体なのだけど、それで割り切れるもんじゃない。割った後に残るもの。それがどの錬金術師も掴めない何かだ。
 響き合い、ゆらめき、輝き、生まれ、消えていくもの。
 答なんかないもの。
 だったら、俺達が見つけようとしてるものは、本当に掴みたいものは、明確な形で解るものなのか。表現できるものなのだろうか。真理の奥の奥にあったもの。それを俺は錬成陣として組み込めるのか。
 アルを再構築できる錬成陣に、それをどういう形で示せばいいんだろう。
 あくまでも楽譜と同じで、錬成陣は完成された円陣でしか描けないのだから。
 解らない。
 結局のところ、俺はまだ何も掴んじゃいない。出来るのは今、賢者の石を見つけて、そして、改めて真理を見つける事だけだ。

 五月の丘 僕らが走る道  
  僕らが作った道
 足元から 虫が跳ねて飛ぶよ
 僕らの先を飛ぶよ
 とんぼの銀色の瞳
 風が草の海揺らして 僕らを隠すよ
 だから 手を握ってて
 大丈夫だって 笑って  

 こんな時、俺の耳にアルの歌は快い。
 アルの歌はいつも即興だ。歌詞も適当だし、曲も素朴で、何処かで聞いた古い古い歌に似てる。子供っぽい声で、技巧も豊かな声量 もある訳じゃない。
 でも、何か切なくて透明で優しくて、いつまでもいつまでも聞いていたいような気にさせる。
 多分、それはアルの魂が発してる『純粋な音』だからだろう。
 よく百年に一人とか、天使の歌声とかあおり文句を聞くけど、アルのは正真正銘の本当の魂の歌だ。
 俺達の生活も日常も、ありのままに生きる事は難しい。ひび割れはどうやったって起きる。どんなに好きだって、それは防げない。冗談で紛らわす事も、嘘もあるし、沈黙で補う事も、笑い飛ばす事も、話をすり替える事も、黙って解り合うだけで済ませる事もある。組み手したり、互いに触れ合う事もその一つだ。
 だけど、歌は嘘をつかない。アルは歌う時だけ、真正面を見てる。そんな歌はアルの優しさ、悲しみ、孤独、苦痛、切なさ、怒り、闇、希望、そんな感情全部引っくるめて、昇華させた結晶だから、こんなに綺麗で、俺の心を揺さぶるんだろう。
 一度うっかりレストランでアルが歌った時、店中がシン…として全員が聞き惚れていて、二人してどえらく焦った覚えがある。おまけに、客の中に山師臭い自称音楽プロデューサーがいて、振り切るのに大変だった。
『いや、君の歌はいい!僕んとこでデビューしない?あんた、練習すればどえらい歌手になる可能性があるよ。ところで、その鎧脱げないの? 顔、見せてよ。三つ編みの坊やもかわいいねえ。二人でデュエットしない? 何なら坊やが覆面 歌手でどう?』
 この手の輩は瞬殺にする事にしてる。レストランの窓や壁にひびが入ったが、それ位 仕方がない。
『僕の鼻歌なんて何処がいいんだろ? 学校じゃ褒められた事なんてなかったのにさ』
 アルは全然解らないらしい。お前が特別だからとは、俺は言えなかった。
『面倒だからもう人前で歌うな』
 言葉はその程度しか俺の気持ちを代弁してくれない。
『そうだね、恥ずかしいもんね』
 アルはちょっと苦笑いした。だから、アルの歌を聴けるのは俺とウィンリィ達くらいだ。
『アル、すっごい歌うまくなったねぇ。エドの腕を修理してる間、歌ってもらったんだけど、つい聞き惚れちゃって手が止まっちゃってさ。その上、何か凄く泣けちゃって、アルにびっくりされちゃった。
 でも、いいよね、アルの歌』
 ウィンリィがしきりに感心するのを、俺はただ笑って聞いていた。
 アルの歌う歌詞の内容は殆どリゼンブールの事だ。俺は目を瞑るだけであの頃に戻れる。
 草っぱら。牛や羊の鳴き声。馬小屋。花の色。空の青さ。大きな木。ブランコ。二階建ての家。トマト畑。シチューの匂い。夕暮れの灯り。
 母さん。
 お母さん。
 失ったもの。棄てたもの。焼いてしまったもの。
 それをアルはそっと歌詞に織り込む。
 二度と帰れない。でも、それでも。
 アル。
 だから、アル。
 いつか、帰ろう。
 俺達の『家』にいつか帰ろう。
 改めて、二人で旅立つ為に、いつかあの家に帰ろう。

 

 

「うわぁああーっ!アル、もう夕方じゃないか!何で起こしてくれなかったんだよ!」
 俺は無我夢中で道を駆けていた。アルが困ったようにその後をガッションガッションついてくる。
「だって、兄さん、今日はのんびりするって言ったじゃない!あんまり気持ちよさそうに昼寝してるから、起こせなかったんだもん!僕は兄さんの寝顔見れて、結構楽しかったし」
「だからって、ああ、もったいねえ! 今日、一日寝て過ごしちまった!」
「いいじゃない、たまには」
「だって、こんな天気のいい日を無駄にしちまったんだぞ? ああ、もったいねぇええ!」
「兄さんの貧乏性!」
「だいたい、お前がなー」
「何?」
 俺は詰まった。お前の歌が気持ちよすぎたからとは、言いにくい。クラシックのコンサートで寝こけたようなもんだし。
「ああ、何でもない! もう、今夜はサービスしろよ!」
「何がぁ?」
 アルは笑ってる。解って言ってるのだ。俺は赤くなった。
「知らん!」
「言ってくれなきゃ解らないよ」
「知らん!知らん! もういい! 今夜は俺に触るな!」
「ええ!? ちょっと、兄さんてば!」
 俺は一段とスピードを上げた。アルが猛然と追いかけてくる。鬼ごっこみたいで楽しくて、俺は思わず笑い出した。
 脇の草むらから俺達に驚いて虫が跳ねる。まるでリゼンブールだ。
(そうだ、何処にいても、どんな姿になっても、俺達は一緒だ。何にも変わっていない)
 アルの歌みたいに。
 街が見えてきた。夕暮れが迫っている。家々に灯が灯り始めていた。
 そうだ。俺は思った。また、こんな風に俺達は帰ろう。
 いつか、あの家に帰っていこう。

エンド

 

 猫柳を買いました。ほわほわで銀色で毛並みがすべすべで、手触りがエドやアルの髪の毛みたいに気持ちよくて、だから土手に猫柳が咲いていて、アルとエドがそれ見てお互いの手触りを思い出すみたいな、そーゆー短い話を書く予定だったのに、アルが鼻歌歌い出したら、アパッチ野球軍並に話が横滑りしてしまって、遂に軌道修正できませんでした。
  だから、自分的には失敗作なんですけど、まぁ多めに見てやって下さい。 アルサイドで猫柳を書き直そう。とほほ。

 

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