「忘れたりするもんか」


「あれ、どうしたの、それ?」


 本から顔を上げて、僕は思わず声を上げた。
 宿に戻ってきた兄さんの両手は花束で一杯だった。
 フリージア。チューリップ。スイトピー。ローズ。バーベナ、マーガレット…。他にも僕の知らない種類の花がたくさんあった。ピンク。赤。白。オレンジ。イエロー。そして、緑。同じ色でも花々によって色が少しづつ違う。その美しい色彩 に兄さんは埋もれてしまっていた。
 外はまだ寒いけれど、一気にこの部屋に春が来たみたいだ。
 小柄(はっきり口に出すと怒るが)な兄さんがそれだけの量の花を抱えると、花束を持ってるのか、花束に添えられているのか解らなくなる。


「大佐のせいだよ」


 そう言ったので、僕は少しビクッとした。
 大佐の事は嫌いじゃない。決断力はあるし、頭はいい人だし、兄さんに焔をつけてくれた人だけど、でも、兄さんを気に入り過ぎてるんじゃないかなって思うところが何となく引っかかる。一見仲が悪くても、兄さんと大佐の息はピッタリだし、本気で手を組めば、大きな仕事が出来るんじゃないかな。野心の為なら、大人の大佐は私情抜きで兄さんを利用しにかかるかも知れない。それが怖い。
 大佐は公的にも私的にも、その気になれば兄さんを遠くに連れていってしまう事が出来るんだ。
 兄さんは勿論、抵抗するだろうけど、でも、大佐に僕の事を持ち出されたら、折れてしまうんじゃないかな。そんな事がチラチラ頭をよぎる。兄さんはスキンシップに弱いしさ。
 だから、兄さんが大佐の仕事を手伝っている間、僕は少しだけ国家錬金術師でない自分の立場が辛い。一緒にいたいという、そんな思いも『国家の命令』を持ち出されたら、呆気なく粉砕する。ここは軍事国家なんだ。大佐でなくたって、兄さんの力を我が物にしたい奴は大勢いる。


 仮に。


 仮にだ。大佐が大総統になったって、軍事国家である事は変わらないだろう。民主主義に切り替えたって、軍隊はなくならないだろう。人間は武器を捨てて、花を選ぶなんて事はしないのだ。
 自然がいくら綺麗だって、弱肉強食の掟はなくならないし、その世界は平和でも何でもない。食うか食われるか。人間は天敵がいなくなったから、お互いに食い合ってる。理性や知性が人間に生まれようが、そういう意味で僕らはこの星の古来からの習わしから、ちっとも外れていないのだ。
 だから、僕は怖い。いつまで僕らは『元の身体を取り戻す』という旅を許してもらえるんだろうか。



「仕事で大佐にくっついていったのはいーけどさ、作戦が方向転換ばっかで、挙げ句の果 て、機関車が温室に突っ込んじまって、農家の人からもの凄く怒られてさ。弁償で花を全部買い上げさせられたんだ。で、これ。俺の分だって」
「……………………へぇ」
 僕はニッコリ笑った。
「その作戦がうまくいかなかったのは、大佐のせいばっかりじゃなくて、三分の二は兄さんのせいでしょう?」
「ぶわっ、バカ言え! 俺が原因なのはちょこっと、いや、4分の一くら…いや、三分の一位 だ!」
「……とどめの機関車は誰のせいなの」


「…………」
「…………」


 僕は大きく溜息をついた。
「まーた、あちこちに菓子折配って、謝って回らないと」
「ア、アル、嫌味言うなよ! 仕方がなかったんだよ! お前がそこにいたら、絶対納得するって!」
「でも、他にやりようがあったんじゃないかって絶対言われたでしょ?」
「……ま、まぁ、幾人かからは」
「全員からだね」
 僕はまた溜息をついた。
「今度、大佐にお願いしてみるよ。軍部の経理に回せる領収書の限度額はとっくに切れたでしょうから、僕も一緒に連れてって下さいって」
「駄目だ、アル! お前は軍部なんかに関わらなくていい! それに極秘作戦ばっかりで、一般 人のお前は…」
 兄さんは真面目な顔で僕を睨む。だけど、僕は肩をすくめただけだった。
「大佐はいいって言うと思うな。機関車が農家に突っ込むなんて、何処が極秘作戦なの。全く映画じゃないんだから。明日の朝刊がコワイよ」
「アル、キビシイ…」
 兄さんはベッドにへたりこんだ。兄さんは完全な外弁慶で、僕やウィンリィに責められると、たちまち力を無くす。そこがかわいいんだけど、他人に迷惑をかけるのはよくないもんね。


 僕は兄さんのブレーキ。兄さんの船の舵。大佐にだって、兄さんを完全に掌握出来はしない。兄さんの手綱を握ってられるのは僕だけだ。
 大佐はそういう兄さんを従わせるのが好きみたいだけどね。自分に似た人間を従わせたいって、自虐行為だと思う。よくない遊びだよね。



 僕は兄さんの指を握った。
「僕らが二人三脚だって、今回で大佐にも納得できたと思うな」
「……お前、結構黒いよな、アル」
「待つ身は辛いんだよ、兄さん。僕を人質としてしか評価してないのは間違いだって、気づいてもらいたいしね。それに事件後に周囲に頭を下げて回るのもそろそろ願い下げにしたいんだけど」
「わぁーったよ」
 勘弁しろよと、兄さんは枕に突っ伏した。僕が相当怒ってるって解ってるんだろう。どんな極秘作戦か知らないが、間違いなく兄さんの命が危なかったのだ。僕の見えない所で兄さんの命が危険に晒されたのだ。兄さんが羽目を外すのは仕方がない。自分から危険に首を突っ込むのは毎度の事だ。僕だって相当なもんだから、それで兄さんを責められない。


 けど。


「僕は兄さんの墓を花で埋め尽くすなんて事したくないからね。そんな知らせも聞きたくないからね。僕の知らない所で死んだら許さないから。
 僕は…兄さんがいなくなったら、何だってする。何だってしてしまいそうなんだ! 解るでしょ? 兄さんだって、そうじゃない!?
 ……頼むから、僕を一人にしないで」


 僕は震えてたんだと思う。兄さんが手を回して、僕の首を抱き寄せた。兜に頬を寄せる。



「ごめん、アル。ごめん」

 僕はその身体をしっかりと抱いていた。兄さんの身体も震えてるのかなと、ふとそれが知りたいと思った。でも、何をやったって僕の身体は何も感じる事が出来ない。見えるだけ。聞こえるだけ。兄さんの小刻みな震え程度は見たって余り解らない。それが切なかった。



 でも、僕の眠った身体が「こちら側」にいて、僕の魂が「あちら側」にいるとしたら、兄さんがどんなに頑張っても、危険な事をしても、それすら知る事も出来なかったんだ。
 共に旅する事も、一緒に戦う事も、心配する事も、悲しむ事も、喜ぶ事も、楽しむ事も、話す事も、笑う事も出来なかった。こうやって、抱き締め合う事すら出来ない。兄さんを癒してやる事も出来ない。
 僕はどこかの病院で寝たきりで、時々、兄さんの訪れをからっぽのまま待つ事になっていたかも知れないのだ。


 それを思えば、鎧の身体の方が何万倍もいい。兄さんと生きていたい。兄さんの声を聞いていたい。ぬ くもりを感じなくたって、眠れなくたって、遠く離れているように感じられたっていい。兄さんが右腕と引き替えにくれた、僕の幸せ。生きている事の幸せ。
『人間』である事の、アルフォンス=エルリックの、エドワードの弟である事の幸せ。

 僕はいつだって、それを噛み締める事の幸せを改めて思う。


「兄さんは今、花の香りが移って、いい香りがするんだろうねぇ」
 僕は兄さんのシャツの隙間から手を差し込みながら呟いた。
 兄さんは少しだけ切ない顔をする。
「お前、花、好きだろう? だからさ? ごめんな、嗅げなくて」
「あはは、味は覚えてるけど、結構、匂いって忘れちゃうよね。
 でも、あんなに要らないよ? 一斗樽にでも押し込むしかないじゃない。枯れる前に宿屋のおばさんに少し分けてあげたら?」
 兄さんは小さくエヘヘと笑った。目が明後日の方を向く。



「…………もう、やった。2、3軒分、1週間も足りる分は」



 僕のほんわりした春のような気持ちへ、一気に春の嵐が到来した。冷たい雹が僕の温厚な笑顔に穴を開けていく。


「…へぇ〜、本当は一体、どれ位温室壊したのかな、このバカ兄は!」
「だっ、だから、不可抗力だってー! ちょっ、やだ!アル! いきなりはねぇだろ!?」
「今夜はお仕置きだから! あーあ、明日、軍部に行って詳細を聞いてこないとー! もう菓子折じゃ効かないよ〜」
「無事に帰ってきたから勘弁…っ! んんっ、あっ、バカっ、ヤダって!」
「もうせっかく花一杯の部屋なのに、ロマンチックな気分でしたかったのにー! 兄さんのバカー!」



 僕は大きく溜息をついて、兄さんを抱き締める。小さな悲鳴を上げながら、でも、すぐ、息が上がってしまう兄さんを抱き締める。


 嵐だっていいよ。
 花の匂いも色すらも、忘れてしまったって構わない。



 兄さんの事さえ覚えてられば、もういい。僕の中身はそれだけでいい。
 真理が、現実が僕に何をしようが、それだけは忘れたりなんかするもんか。

エンド

こういうノリの兄弟がやっぱり大好き

アルエドお題へ
 

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